第三十二話 言葉の重み8



 修学旅行二日目の夜。

 月が照らす夜空の下で、桜ノ丘学園の生徒達は新たな宿泊先のコテージに作られた屋外調理場に集まる。


 修学旅行最後の晩餐は、バーベキューだ。

 皆、朝日が昇れば慣れ親しんだ土地へ戻ることは知っている。

 だからこそ、最後のひと時を満喫するように表情には笑みが浮かぶ。


 教員たちも、普段なら注意するであろう行為も少しは見逃して生徒達に委ねていた。


 班員達が気分上々で食材を準備する中、一人火の番をしていた。

 燃え盛る炎に視線を向けて、喧騒とは離れた場所に訪れたような感覚で安心感が胸に込み上げる。


 見知らぬ土地で火を灯す、実にサバイバル的で良い。

 なんなら、今後の沖縄ツアーに是非組み入れていただきたい。


 サバイバル系の人々が集まることこの上ない。

 パンフレットの下の方に、俺の名前を書いてくれればそれでいいので、よろしくお願いします。


 なんて、ふざけたことを考えながら尽きかけていた木を投げ入れる。

 単純作業だが、俺くらいの熟練者になるとどの位置に投げ入れれば効率的に炎が燃え上がるのかを見極めるのも容易い。


 もしかしたら、サバイバル系男子になれるかもしれない。

 


 黙々と作業をこなしていると、砂利を踏みしめて歩み寄る音が生徒達の歓声に交じり耳に届く。

 振り返ることはなく、ただ瞳は前を見据えていた。

 短い気なんで、随分と聞きなれ始めた声は小さな声量で紡がれた。


「真良、何か手伝おうか?」


 隣で、宿泊先で着替えた私服のスカートを押さえながらしゃがむ宮下を横目で捉える。


「……あっちに混ざらなくていいのか?」


 少しだけ首を後ろに回し、生徒達が群がる方向を見やる。

 楽しそうに騒ぐクラスの中心メンバーたちは、宮下が傍を離れたことに気が付いていない。


 彼女も、かなりミスディレクションを使いこなす秀才なのかもしれない。

 しかし、そんなクラスメイト達とは違う空気を宮下は纏っていた。


「今は、そんな空気じゃないから」


 足元に置かれていた小枝を指先で摘まむと、それを火の中に放り投げ捨てる。

 枝に付いた葉が炎を纏い、一瞬だけ火力が増すがそれも僅かのこと。


 人の感情によく似ている。

 一瞬で燃え上がり、そして冷めてしまう。


「ごめんね、色々と迷惑かけて」


「もうその話はいいだろ、俺も自分で手伝うって決めたんだからな」


 何度謝られたことか。

 返す言葉も既に尽きている。彼女もそれは分かっていたのか俺の返答を聞いて自然と微笑を浮かべる。


 だが、少しだけ強張って見えた。

 理由も、すぐに続いて告げられる。


「明日、空港の屋上に荻原君を呼んだの……真良には伝えておきたくて」


 宮下は、緊張しているのか手を強く握りしめる。

 時間は止まらず、刻一刻とその瞬間は近づく。


 答えが分かっていても、緊張は隠せない。

 俺が彼女に掛けてあげられる言葉も、限られていた。


「そうか……上手く伝わるといいな」


 小さく、決して視線を交わせることなく呟くと宮下は口を開いてこちらに瞳を向ける。

 心地悪い、何か興味深そうな視線が注がれると、ポツリと隣で言われる。


「真良って意外と優しいよね……意外だな」


 ……意外で悪かったな。

 意外なのではなく、周りが俺の優しさに気が付いていないと思うんですよね、はい。


 修学旅行の班決めの時とか、俺に何故か面倒な役回りとかパスされるし、それを断らないあたり俺の優しさが垣間見えている気がするのだが……


 自ら、優男アピールも白々しいのでしないが。

 

 クスクスと、隣から笑いが零れていると後方で賑わいが一層強まる。

 何かと思えば、何度か目にした男子生徒達が騒いでいた。



「修学旅行の最後の夜は本音で語り合うっしょ!」


 二年三組の生徒達が集まるテーブル付近で、男子生徒の誰かが言った。

 声は響き、周囲の生徒の意識がそちらに向く。


 誰が言ったのか、周りも正確に判断できていない状況だが、盛り上がりは増す。

 この、最後の夜という単語が、言葉に特別性を生み出しているのだ。


 観衆の前で、わざわざ想い人に告白をする生徒など皆無だ。

 なぜ、そんなことが分からないのだろうか。


 軽はずみな言葉で、注がれた油に簡単に火が止まる。

  

 誰が告白をするのか、お前がするのか、あなたがするのか。

 無意味な問いかけが一体に広がる。


「何やってんだあいつら……」


「また男子が調子に乗って……」


 冷ややかな視線を向けて、その光景を見つめていると隣の宮下もこれには呆れた様子で呟く。


 この手のイベントが発生すると、必然的に迷惑を被る人を俺は知っている。

 視線は男子生徒達には向かずに、雫と綺羅坂、そして優斗の順に移動する。


 雫は何かを悟ったのだろう、居心地の悪そうに女子生徒達の陰に隠れて、綺羅坂は自分に与えれた夕食の準備を淡々と進める。


 優斗は、盛り上がる生徒達を嗜めていた。


 でも、一度灯された学生達の期待の火は消えない。

 金髪に髪を染めたお調子者の生徒が、雫と綺羅坂にも声を掛ける。


「神崎さんと綺羅坂さん、よかったら中心にお越しくださーい!」


 夕食で、誰かが座るはずの椅子に乗り、まるで全生徒の気持ちを代弁しているかのように言い放つ姿に、周りは拍手で盛り上がり同調する。


 断ることがまるで悪いことのような空気に、雫は小さく首を振る。

 彼女なりに、否定した仕草なのだが、それを謙遜と捉えた周りは彼女の手を掴み中心へと迎え入れる。


 次に向けられたのは綺羅坂への視線だ。

 期待の眼差しに、彼女は凍てつく瞳で一瞥した。


 言葉はなく、興味の欠片も示さない表情に周りは少し熱気を下げる。

 足取りが重くなった女子生徒の手を優しく雫は払いのけて、綺羅坂の机に逃げるように駆け寄った。



 このような状況を、空気が読めないと言うのだろう。

 男子は露骨につまらなさそうに顔をしかめ、女子は溜息を零す。


 自分たちで盛り上げておいて、違う行動をすれば冷めた様子で瞳を向ける。

 だから、彼らのような生徒には馴染めない。


 しかし、そんな空気を変えたのは同じくクラスの中心メンバーの一人だった。


「いいんじゃない、ねえ彩」


「紬……」


 派手に明るく染められた髪を撫でながら、中山は宮下に向けて言った。

 友達に賛同を求める声音ではない。


 挑発をする言葉だ。

 含みのある中山の言葉に、下がっていた周りの賑わいは息を吹き返す。


 手を叩き、宮下を中心に集まる生徒達。

 隣にいたはずの彼女の姿は、すぐに離れていった。


 見回し、違うと告げる言葉は生徒達には届いていない。

 断れない空気が、彼女に襲い掛かる。


「……」


 俺は、その中で一人達観して眺める中山に目を向ける。

 こちらの視線に気が付いた中山は、鼻で笑ったような笑みを浮かべた。


 ……昼間の腹いせか。

 自分の断りなく、荻原優斗との時間を独占していた宮下への当てつけか。


 分かりやすい邪魔をしてくれるものだ……


 無意識のうちに、助けを求めるかのように雫や綺羅坂に向けそうになった自分に気が付く。


 ……これは、俺が始めたことだ。

 彼女達にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。


 それに、この状況は俺が一番適任だ。


 三人が何を言おうと、どのように行動しようとも謙遜と取られる。

 都合の良い情報に、簡単に書き換えられてしまう。


 なら、全くの関係のない人間が行動を起こす方が周囲の空気というのは一気に冷めていく。


 友達としても繋がりを重視するからこそ、悪い流れだとしても周りは従う。

 友達など初めからいないなら、悪い印象を抱かれてもなんてことはない。


 とりあえず、意識をどう集めるものか。

 存在感がないから、これが一番むずかしいかもれない。


 

 あまり褒められたことではないが、まだ使用していない鍋とお玉を手に取り底をカンカンと数回叩く。


 甲高い音が響き、宮下に向いた意識が俺の向けられる。


「あんたらが常日頃美化している告白ってのは、見せしめか何かか?」


 告げると、適当に手に持った道具を調理台の上に戻して生徒の輪の中に踏み入る。

 騒ぎを聞きつけて、小泉と三浦の姿が離れたクラスの場所から近付くが、それも不要だ。


 突然、変なことを言い始めた生徒に、自然と視線はくぎ付けになった。


「思い出、青春……自分のことではないのだからと、外野から眺める光景はさぞかし楽しいことだろうな」


 騒ぎを生み出した男子生徒に目を向けて、感情を含ませずに告げると重なっていた視線は俺から外れる。


 集団の意思に反するものは敵であり、この場合は俺は悪だ。

 絶対的正義は、集団に依存する。


 だから、これは捻くれた外れ者の独り言。

 

「告白の度に心を痛める人がいるのは知ってるか……? 努力を才能だと断言される気持ちを考えたことはあるか……? 誰も等しく接しようと気を張っているか?」


 歩み寄った生徒の近くに設置されていた机の上には、修学旅行のしおりが置かれていた。

 女子の字で『最高の修学旅行』と書かれている。


 これが、最高の修学旅行のフィナーレか。

 それもまた、学生らしい光景なのかもしれない。


 止めるべきは俺の方なのかもしれない。


「真面目な人に、遊び半分の奴らが口出すな……」


 実に真良湊らしからぬ発言であると自覚している。

 それでも発した言葉に、周りの空気は完全に冷めきっていた。


 遊びの中に一人だけ本気の人がいると浮いて見えるように、俺も浮いていることだろう。

 実に醜く恥ずかしい存在だろう。


 それでも言い放つ姿に、どこからか声が零れる。


「何マジになってんだよ、つまんねーんだよ」


 言葉の後に宙には一つの球体が舞う。

 赤く、熟れているだろう野菜、トマトは綺麗な放物線を描いてこちらに飛来する。


 優斗なら、きっと格好よく片手でキャッチでもして『食べ物を粗末にしたらダメだぞ』とか言うのだろうな……


 おあいにく、俺は突然の飛来物を受け止める、もしくは避けるほどの反射神経は持ち合わせていない。


 頭にぶつかり真っ赤に鮮血したように飛び散った姿に、周りからは小さく笑いが零れる。

 ……トマト農家さんに怒鳴られろ、そんなことを思いながら、飛んできた方向に顔を向ける。


「今のは楽しかったか……? 良かったな修学旅行の思い出が作れて」


 着替えた私服は赤く染まり、頭は濡れて髪が滴る。

 小泉と三浦が俺の姿を目の当たりにして、周囲の生徒を散らばらせると雫と綺羅坂が駆け寄った。


「湊君、大丈夫ですか?」


「見事に当たったわね……じっとしてなさい」


 自分の手が汚れるのを気にすることなく雫は頭にこびりついた果肉を手に取り、綺羅坂はハンカチで拭う。


 しかし、首を横に振って身を翻す。


「シャワー浴びてくる……その方が早いだろうからな」


 この場に留まることは、悪影響でしかない。

 小泉と三浦には後で礼を言っておこう。


 もちろん、彼女達にもだ。

 離れる最中、痛々しいほどに向けられた嫌悪の視線を意に介さず歩みを進めると、視界に宮下が入り込む。


 申し訳なさそうに、罪悪感がその顔には浮かんでいた。


「明日って決めたんだろ……なら、周りに構うな」


 汚れた姿では、何を言っても格好悪いだけだ。

 小さく、宮下が頷いたのを見届けて、俺にとっての修学旅行最後の夜は幕を閉じた。



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