第三十二話 言葉の重み5



 二日目、最終目的地の場所は沖縄でも有数の観光スポットである美ら海水族館である。


 かいつまんで、情報を整理すると以前は世界最大の大水槽「黒潮の海」とやらの中で泳ぐジンベイザメが人気となり、館名は沖縄の方言で「清らしい海」的な意味らしい。


「へー……」


 班員の中山を先頭に歩く集団の最後尾で、スマホを片手に情報を調べて独り言のように驚愕の声を零す。


 確かに、水族館の後方は目の前が海で広がり、清い海は広がっている。

 方言だと意味までは読み取ることは出来なかったので、一つ豆知識が増えてしまった。


 これは、帰ったら楓に自慢しながら語らなくては。

 スマホの画面を消して、制服のズボンの中にしまうと入場の手続きを進めていた雫と綺羅坂に歩み寄る。


「上層が入り口で下層が出口とは面白い作りですね!」


「後ろが海だからな……確かに作りやすいのは上から下に向けてだと思うが」


 嬉々として、瞳を輝かせて告げる雫とは反して、その構造に僅かに怖さを感じるのは俺だけではなかろう。

 大丈夫、これ大人数が一斉に入館しても海に落ちないよね?


 そんな心配をしていることなど、周囲の生徒は毛ほども思わないだろう。

 俺達の班と同様に、水族館を最終目的地としている生徒達は多く向けられ、視界の様々な場所で同じ制服が転々としている。


 進行方向は同じく入場口だ。

 水族館の看板でもある大きなジンベイザメのモニュメントが生徒達を迎え、どこかのネズミーランドのように、ガラス張りの大きなゲートが広がる。


「海人門……?」


 漢字三文字で表記された文字に、何故だろう既視感を感じるのは。

 これまさか、ゲートオブバビロン的なあれか。


 中二病的な要素をふんだんに取り入れてしまった的な。

 俺が一人首を捻らせ、渋い表情を浮かべていると隣を通り過ぎた綺羅坂がさらりと答えを述べた。


「ウミンチュゲートよ、海の人と書いてウミンチュ。沖縄の言葉で漁師を意味する言葉」


「あ、なるほど」


 ありがとうございます、綺羅坂広辞苑さん。

 彼女のディクショナリーには、既に存在していた言葉らしい。


 流石は沖縄に別荘を持っているだけはある。

 

 それにしても、ウミンチュゲート。

 確かに、語呂的にはゲートの方が合っているだろうが……


「ゲートか……ゲートねぇ」


「どうしました?」


 海人門(ウミンチュゲート)とやらの前で佇み、唸っていると雫が問うてきた。

 まさか、この門を通り過ぎたらあなたも海人! とかって設定なのだろうか。


 夢の国さながら、何かしら舞台設定がありそうだと足を踏み入れるのを拒む俺を雫が引いて進む。


「皆さん進んでいますよ、湊君も早く!」


「いや、俺には海人は難しい……」


「何を言っているんですか、そんな過酷な職業は湊君には無理です」


「……」


 予想外のタイミングで、胸を鋭利な刃物で貫かれた気持ちだ。 

 前方で歩いていた優斗や宮下にも雫の声が聞こえていたのか、二人は肩を震わせていた。


 綺羅坂は、一瞥するだけで何も言うことはない。

 ……そこは言い返してもいいんだぞ。



 俺の胸中とは関係なく、海人門を進みエスカレーターを降りると入口は姿を現す。

 班員が固まり、入場手続きをするために順番を待つ間、俺は宮下に視線を向ける。


 ふと、彼女の視線が優斗から離れて俺と交差した時、意味ありげに視線を送っていたことから彼女が輪の中から抜けてこちらに歩み寄る。


 俺も、雫達から数歩離れてから宮下と向かい合った。


「どうしたの?」


 開口一番で宮下が言った。

 これから、自由行動のメインイベントが始まるのだ、楽しみで早く戻りたいのだろう、手短に済ませてほしいという空気が滲み出ていた。


「ちょっと聞きたくてな……水族館の中は照明も少ないだろうから人混みが多い場所で班を分断させるやり方でいいか?」


「それで大丈夫、ありがとうね」


 俺の提案に頷くと、宮下は少しだけ申し訳なさそうに表情を暗くさせた。

 

「ごめんね、真良も楽しみたいはずなのに」


 そう言って、視線を雫と綺羅坂、そして最後には優斗に向けた。

 彼女が修学旅行を楽しみに、そして楽しもうとしているのと同じで、俺達にも人生で一回だけの旅だ。


 それを個人的な都合で、ややこしくしていることに負い目でも感じているのだろう。


「そんなことなら、俺じゃなくてあいつらに言ってやってくれ」


 俺よりも、彼ら三人の方がよほどこの修学旅行を楽しみにしていたのだから。

 そして、今日も含めた残りの工程も楽しみにしているはずなのだから。


 俺もできうる限りは、雫と綺羅坂の手を借りることなく、かつ何事もなかったかのように済ませたい。


 そこだけの利害が一致していれば十分だ。

 しかし、そんなことは宮下には伝わるはずもなく、事細かくこちらの内情や心情を離すのも面倒だ。


 適当に濁してから、最後に一つだけ尋ねたかったことを言い放った。


「中山とは、どこかのタイミングで話をする気はあるのか?」


「……」


 問いかけに対して、少しの沈黙が続く。

 親友でも、友達なのかすらも分からない関係であろうと、これまでは表面上は友人として過ごしてきたのだ。


 何も言わずに、ハイさようならとはいかないはずだ。

 決別では大げさだが、俺にしたように決意表明くらいは言っておかねば、中山は今後も優斗の周りに居続ける。


 関係性が、確たる線引きが優斗によって下されるまでは。


「そうだね……そうだよね」


 俯いて、視線を落とすと小さな声量でポツリと言葉を零す。

 これまで、機嫌を取ってきた相手と相対することは、本人からすれば避けたいはずだ。


 こういう状況の場合は、男子の方がさっぱりとしている印象が強い。

 女子の方が、集団意識が強く拗れた場合は延々と悪い関係性が続くとも聞いたことがある。


 身近に飛んできた火の粉だ、修学旅行以降も巻き込まれたくはない。

 静かに、ただ宮下がどのように答えるのかを待っていると、彼女は一つの決意を固めた面持ちで俯いていた顔を上げた。


「……やっぱり、水族館で二人きりにするのは紬(つむぎ)とでいいかな? それから、神崎さんとも話をしてみたいの」


「……宮下がしたいようにすればいいと思うけど、館内を二周する時間はないぞ」


 スマホの画面を確認すると、時刻は午後の三時。

 初日と二日目で宿泊先は異なるので、時間は四時半までが限界だ。

 班行動では、二周目を回っているほど時間はないが、中山だけでなく雫とも話がしたいのであれば、雫との話はホテルに帰ってからで優斗を優先するのが得策に思える。


 だが、そんなことは百も承知の上での頼みなのだろう。

 俺の言葉に笑って頷く姿を見て、それ以上何かを促す言葉は出てこなかった。




 美ら海水族館は、入場より前の四階からルートは始まり、一階で出る。

 各層にはテーマがあり、四階が大海への誘い、三階がサンゴ礁への旅、二階と一階の一部が黒潮への旅、最後に一階が深海への旅。


 基本的は「旅」というコンセプトらしい。

 あんまり深海魚とか得意な顔立ちしてないから、ペンギンとかアザラシが見たい。

イルカもありだ。


 四階はサンゴ礁の水槽を上から眺めることが出来、それを見てから館内に入場すると最初に目にしたのは浅い水槽。

 

 中にはヒトデやナマコなどが棲んでおり、手を水槽の中に入れることが出来た。


「ヒトデじゃん」


「マジ、ヒトデだわ」


 野球部男子が、小学生たちがしゃがみ込んで楽し気に水槽に手を入れている隣で、同様に騒いでは、中身のないことをやまびこの様に言っていた。


 進んだ先には、四階のフロアから見下ろしていたサンゴ礁が、熱帯魚が、そして先に進むにつれて照明はおしゃれに暗いものへと変わる。


 水辺の生き物たちの住む水槽には窓のように丸い穴が付けられ、観賞することが出来るように工夫されていた。


「何あれ、うなぎ?」


「大きいですね……」


 一つの窓から、雫と二人して覗き込むと大きなうなぎが悠々と群れで泳ぐ。

 果たして、大きいうなぎは美味しいのか、水族館でそんなことを考えてしまう自分には水族館デートは厳しいだろう。


 雫と髪が触れ合うほどに近づいていた間に、白い手がするりと入り込み雫と頭を左へと押しやる。


 代わりに、今度は綺羅坂が隣へと移り説明を始めた。


「巨大オオウナギといって、うなぎが大きくなったのではなく別種よ」


「え、もしかしてさかなクン……?」


「その口、二度と開かなくしてあげましょうか?」


 あまりに詳しい姿に、思わず呟くと綺羅坂は端正な顔で微笑を浮かべて言った。

 瞳は真剣なもので、怒気すら含ませた声に思わずあとずさりするくらいの迫力がある。


「湊―! 次行くぞ」


 少し先で、優斗が班員たちと共に俺達を待ちながら声を掛けてきた。

 最高のタイミングでの声掛けだ、君は最高の親友になれるかもしれない。

 そう心の中だけで優斗に賞賛を送りながら、平然と綺羅坂と雫の間を縫うように次のコーナーへと足を進めた。


 シアターやサメの専門コーナーなど、普段は絶対に興味を示すことのない分野の生物たちの生息は初耳なものばかりで、つい説明文などに視線を落としていると、ようやく最大の目玉である二階フロアの黒潮の海と呼ばれる巨大な水槽へとたどり着く。


 

 これまで以上の人が、その場で足を止めて眼前の水槽の中を泳ぐジンベイザメに視線を向ける。

 スマホやカメラを向ける人も多く、暗い室内だが記念撮影の様に自撮りをする女子生徒もちらほら。


 ここでなら、班員に気が付かれることなく分かれることが出来るだろう。


「水族館に来ると、しばらく魚介は食べたくないな」


 まったくもって場違いであるが、何かしらで意識をこちらに向ける必要があるので優斗とその後ろにいた野球部コンビに向けて告げた。


「だな、今日の夕食がコテージのバーベキューでよかったよ」


「マジ肉食系だな」


 優斗は共感したように苦笑して頷き、一人の男子生徒はやはりよくわからん発言をする。

 そのタイミングで、宮下は中山へと近づいた。


「紬、ちょっと」


「は、何よ急に?」


 突然、宮下から手を引かれて俺達が立っているフロアの反対側へと連れられた二人は、思っていたよりも簡単に班から離れる。


 男子の面々は気が付くことはなく、視線を上へと向けていた。

 予め離れることを知っていた俺ですら、人混みで姿を見失ってしまった。


 これなら大丈夫だろう。

 一つ息を零してから、右側で同じくジンベイザメに視線をくぎ付けにされていた雫に小さく要件を伝えるべく口を開く。


「宮下が後で話があるらしい……このフロアの反対側にいるだろうから見つけたら声かけてやってくれ」


「私に?」


 思わぬところで白羽の矢がさされたことで、雫は驚いたように瞳を大きく見開いたが素直に頷いた。


 可能な限りの時間を黒潮の海フロアで楽しむと、班員達は名残惜しそうに次なる旅へと進む。


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