第三十二話 言葉の重み6
優斗と男子生徒は次のフロアに移動し、遅れて中山も宮下との会話を終えて後を追う。
雫が入れ替わるように宮下と話をする最中、俺は最後尾で依然として巨大な水槽を見上げる綺羅坂に視線を向けた。
彼女は、白く細い手を水槽に向けて掲げると、意味ありげな瞳で見上げる。
「どうした……」
歩を止めて、振り返ると彼女に問うた。
綺羅坂は、声に反応して手を下げると手を後ろに組んで微笑を浮かべる。
「いえ、不思議と似ているものだと思ってね」
「似ている、どこが?」
なぞなぞですか、そうですか。
人間と魚、お世辞にも似ていると言ったら命が危ぶまれる回答だ。
共通点など皆無な気がするのだが、綺羅坂は自傷を含ませた言葉を紡ぐ。
「水槽という檻の中で、人々の観賞用として大切に扱われていること……かしら」
「……」
なら、彼女が言いたいのは自分も水族館の魚たち同様に、人々から観賞するために大切に扱われているということだろうか。
教室という檻の中で、手の触れられないもののような接し方をされていると。
「自虐ネタだとしたら、程々にしておけ……」
「それは忠告? それとも心配?」
一言に、綺羅坂は食い付き言い返す。
その表情は普段の悪い笑みを浮かべていて、だが何かを求めている風にも見える。
普段らしさを装っていると言えばいいのだろうか。
言葉を詰まらす俺を見て、綺羅坂は静かに苦笑を零す。
「冗談よ」その一言を告げて、隣まで歩み寄ってくると会話の矛先を別の方向へと変えた。
「本音を言うと、真良君が旅行中に他の人のことを考えていることが、気に食わないの」
「本当に本音だな……」
あっさりと、隠す素振りすら見せずに言ってのけた綺羅坂に、流石の俺も苦笑いが浮かぶ。
確かに、お節介で旅行には無意味なことをしている自覚はある。
だから、それを直接的に言葉にされると言い返す余地もない。
「学園での集団行動だとしても、普段通りにのびのびしているあなたの隣でお話しながら観光できれば、どれほど楽しいことか」
隣で佇み見上げられた瞳は、冗談の類な見て取れないほど澄んでいた。
本音を、ただ心に思ったことを言葉にしているのだと、そう感じた。
「きっと、彼女も同じ……」
先を見据えた視線の先には雫の姿がある。
宮下と何か話をしている背中を眺めて、小さな罪悪感が胸の中に渦巻く。
罪悪感を感じているということは、俺も彼女達に引け目を感じているからだ。
楽しみにしていただろう修学旅行に、知らぬ存ぜぬ女子生徒の頼みを優先している。
前々から、共に行動することを心待ちにしていた人からすれば、腹立たしく思うのも仕方がない。
「でも―――」
「それでも……今あなたがやりたいと思ったことを終わらせてほしいと願っている自分もいるの」
でも、だとしても俺にはやりたいことが、清算しておきたいことがある。
そう告げようとした言葉を、綺羅坂は上書きするように告げた。
まるで、答える言葉を知っていたかのように。
普段は鋭く、射殺さんと好機の視線を向ける男子生徒に放つ眼光とは違い、優しく温かみのある眼差しだ。
理解をしてくれている、楓や雫と同じ瞳だ。
しかし、その瞳もすぐに彼女が瞼を落としたことで隠れる。
次に飛んできた言葉は、普段の含みある謎めいた声音だ。
「でも、修学旅行が終わったら覚悟しておきなさい」
「……」
彼女が不敵に笑みを浮かべて、俺を掴み引き連れて進む後姿を見て、やはり彼女は何を考えているのか分からない女性だと、思うのだった。
そんな会話をしている最中、宮下と雫は対面して一つの問答をしていた。
「神崎さんは、荻原君と付き合っているとかじゃないんだ」
「いえいえ、全くもって違う根も葉もない噂です」
手を振り、違うことを全面的に主張する雫に対して宮下は一つ息を吐く。
安心したように、そして疑問を抱く。
「じゃあ、荻原君が他の女子と付き合ってしまっても大丈夫ってことでいいのかな?」
「私の許可など必要ありませんし……皆さんの余計な気遣いが邪魔な時もありますので」
そう短く言葉を切り、雫は満面の笑みを浮かべる。
普段のおしとやかで、優しい彼女からは想像できないほどに強く断言した発言。
クラスメイトが見てきた神崎雫という女性が、本当にごく一部でしかないのだと思い知らされた瞬間でもあった。
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