第三十二話 言葉の重み2



 沖縄平和祈念公園。

 正式には、沖縄戦跡国定公園と呼称されるその公園は、湾岸の近くに面して作られており潮の香りと波打つ音、一望できる広大な海が自然景観として有名な場所だ。


 日本の歴史において、重要な一つの終焉地となった場所に建てられた慰霊碑には数多くの名前が羅列していた。


 時代が進み、かつての記憶や体験談などが薄れてしまう昨今、思春期の高校生に争いの悲惨さや悲しさを伝える重要な役割を現代では担っている石碑だ。


 公園に到着するとバスを降りてクラスごとに固まりを作る。

二年一組から順に、ガイドの女性が案内をして建設に至るまでの経緯や、沖縄についての歴史について振り返りを始めた。


「この石碑には約二十四万人の名前が刻まれており―――」


 二十四万、途方もない数字だ。

 俺の記憶が正しければ、俺達の住む町の住人は十万人と少し。

 その倍以上の人数の名前がこの石碑には刻まれているのだ。


 敷地の中には所狭しと、丸みを帯びた石碑が何十、何百と並ぶ。

 その光景だけでも異様なものであるのに、総勢の数を聞けば言葉も出ない。


 生徒達は、様々な様相で話に耳を傾けていたが、真剣な生徒は少ない。

 過去として、単純な昔の話として聞き流しているのだろう。


 今の若者からすれば、戦争という言葉はあまりに現実から離れすぎて想像が出来ない時代へと変わっているのだ。


 あたかも自分は理解しているかのように生徒達を眺めている俺も、例外ではない。

 資料や映像では見たことのある、だが自分の住んでいる世界とは関係のないフィクションであると言われた方が、まだ納得ができるくらいだ。


 それほどまでに、この平和祈念公園にある石碑に刻まれた人の名は多く、若者である俺達高校生がこの場所へ来ることの重要性を痛感させられた。


 平穏な世の中を過ごせていることを、不変の日常であると思い込んではならない。

 人一倍感受性の強い雫も、ガイドの人が発した人数には悲しそうな表情を隠しきれていない。

 綺羅坂も、一点に向けられている瞳には普段のような鋭さを感じない。



 しかし、ガイドの女性も暗くなる話題ばかりを上げるわけでもなく次には自然景観としても有名であることを強調して話題を次に移す。


 進んだ公園の突き当りには、フェンスが設置されその先には一面が海で広がった絶景があった。


「凄いな……」


「私達の町は山の近くですからね、こんな綺麗な海は生まれて初めてです!」


 程々にフェンス手前まで進み、景観を目の当たりにして一言吐露すると、雫も驚愕と興奮が入り混じった声を発する。


 晴れた空からの日差しが海面に反射して、眩い輝きを見せる。

 海は深い青色のイメージが強かったのだが、沖縄の海はどちらかと言えば水色やエメラルドグリーンに近い色をしていた。


 少し、水面に目を凝らしてみれば魚が泳いでいる姿もはっきりと視認できるくらいに海は澄んでいた。


「あの魚は美味いのかな」


「魚の目利きに来たわけではないわよ、もう少しロマンティックな発言が出来ないのかしら?」


「お前の瞳は、あそこで泳いでいる魚より綺麗だぜ……多分、瞳まで見えないから分からんけど」


「最悪の誉め言葉よ」


 気の利いた最高の一言を綺羅坂に送るが、彼女は不機嫌そうに半目して睨むと、怒気の含んだ声音で言い返してきた。


 俺の隣では、雫が視線を逸らして僅かに肩を震わせていた。


「何かしら……?」


「いえ、さぞお綺麗な瞳なのだなと思いまして」


「確かに、あの魚の方があなたの淀んだものよりは綺麗な瞳をしているわね」


「はい?」


「なにかしら?」


 雫が挑発じみた言葉を綺羅坂へと投げると、負けじと綺羅坂も強烈な一言を返す。

 一瞬の間が開いて、二人は額がぶつかりそうな距離まで顔を近づかせると、最大限の不機嫌オーラを放ち睨み立ち尽くす。


 ……。

 とんだ一言を発してしまった。

 なにこれ、どんな修羅場に遭遇しているの。


 周りの同じクラスの生徒も、二人の険悪な空気を敏感に察知して素早く移動を始めてるし。

 優斗にも手伝ってもらって、仲裁しようと彼を探してみても優斗も少し離れた場所でこちらに慈愛の目を向けていた。


 ここ最近は、危険察知能力が長けてきたのか。

 視線で「がんばれ」と語るような優しいものであることが、実に腹立たしい。


 そして、ちゃっかりと宮下は優斗の隣に位置して離れていないことも驚きだ。

 普段、これでもかと優斗の近くにうろついている男子生徒と中山達は突然発展した状態に、優斗とは違う方へと歩みを進めていたのに、流石は言葉にして表明しただけはある。


「神崎さんと綺羅坂さんは普段から仲悪いの?」


「普段からと言われればそうだけど……特別険悪になるのは一定の条件下だけだね」


「なるほど……」


 数メートル離れた場所で、宮下が優斗に問うた。

 苦笑を浮かべながら、それに答えた優斗に対して宮下もどこか納得したような頷きを見せた。


 納得されても困るんですがね。

 

「大体、朝に二人だけで会っていたこと自体が修学旅行の規則もそうですし、私との話とも違いますよね」


「朝の散歩くらい、あなたに拘束されるいわれもないのだけれど?」


「……」


 離れていた優斗たちから視線を戻すと、二人の話題は既に海中を悠々と泳ぐ魚の件から変わっていた。


 早朝に中庭で朝日を浴びていた一件について、雫が尋ねると綺羅坂は何も気にしていない様子で淡々と答える。


 修学旅行にまで来て、なぜ二人は喧嘩をしているのか。

 というか、口論の発端を作ったのは俺が綺羅坂へ発した冗談だったまである。


 いや、それ以外に原因などないので、二人が落ち着くまでただ口を挟むことなく立ち尽くして海でも眺めていよう。


「時間かかりそうだから、お前らは公園でも回ってくれば?」


 俺が優斗と宮下に言った。

 宮下の感情云々ではなく純粋に同じ班だからとこの場に留まっていては時間の無駄だ。

 余計な手助けになることも重々承知の上で、提案を持ち掛けると小さく溜息を零して優斗は頷いた。


「そうだな、じゃあ少し回ってこようか」


「う、うん!」


 幸い、反対方向に逸れた中山達一行は、目下の景観を写真に収めることに夢中となっているのか、優斗と宮下がこの場から離れようとしていることに気が付いていない。


 俺としては、大変よろしくない状況だが彼女にとっては大変よろしい状況だ。

 まるで、店内までエスコートするホストのような、自然な立ち振る舞いで微笑を浮かべて歩き始めた優斗に、申し訳ないが女子の扱いに慣れているなーと思いながら見送ると、近くの雫と綺羅坂に再び目を向ける。


「……」


「……」


 振り返った場所に立っていた雫と綺羅坂は、数秒前まで負のオーラを放っていたはずなのに、表情から不機嫌さは無くなり、平然とこちらに目を向けていた。


「どうしました?」


「いや、俺がどうしましたって言いたいよ……なに、解決したの?」


 雫からの問いに対して、俺が反対に問いかけると綺羅坂があっけらかんと言い放つ。


「あんなの、ただの喧嘩の真似事よ」


「二人きりに出来れば良いのですよね?」


 示し合わせたように発展した口論は、実のところは彼女達の計算のうちであり、俺の対応も彼らの対応も想定の範囲であったと。


 まるで、そう言わんばかりに綺羅坂は胸の前で腕を組んで佇み、雫は小さくV字に指を立てる。


「あぁ……そういうこと」


 もしかしたら、いや、もしかするまでもなく、彼女達が脳内で考えている荻原優斗と宮下彩の孤立計画の方が、俺が下手に策を弄するよりも手っ取り早くて尚且つ疑われなのかもしれない。


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