第三十二話 言葉の重み

第三十二話 言葉の重み1



 人間とは、挫折を味わった時、弱く脆い。

 自分を否定する、あるいは相手を否定する。


 そうして、挫折を帳消しにして再び歩みを再開するまで時間を有するのだ。

 誰も、自ら味わいたい感情ではない。


 否定されることは辛く、胸に孤独感を与える。

 理解されない悲しみは徐々に心を蝕み、マイナスな感情を芽生えさせる。

 

 嫉妬や怒り、それが好意から芽生えたはずの相手への感情を反転させてしまう可能性があるのが人間の恐ろしいところだ。


 今、俺が空が夕焼けから青黒く夜空へと変わり始めた情景の下で、初めて肩を押して送り出す少女がいた。


 分かっている。

 彼女は、今から自分の心を打ち明けて断られ、挫折や悲しみを味わうのだ。

 俺は分かっていて、そして彼女自身も分かっていて歩みを始めようとしていた。


 触れた肩は服越しでも僅かに震えていたのが伝わってきた。

 緊張して、息すら詰まりそうなのだろう。


 俺の隣で静かに佇む端正な顔立ちをした少女も、黒髪を払う仕草をして鋭い瞳で目の前の女子生徒を見据えて思っていることだろう。



 この場には来ずに、宿泊先で結果を待っているもう一人の少女も今まさにかつての自分と同じ状況へと足を踏み入れようとしている女子生徒へ共感する感情が胸中を渦巻いていることだろう。


 今、この場において得をする人間など一人もいない。

 これまで、何も気にしないで保持しつづけれていた居場所を捨て去ろうとしているのだから、むしろ損をする。


 なのに、歩みを止めない姿を見て、また一人で思考の奥底へと沈み込む。







 沖縄での二日目は、綺羅坂との意外な朝の挨拶を交わして始まった。

 集まったホールには、朝食を求めて生徒が賑わいを見せる。


 しかし、その姿には大きな差が生まれていた。

 男子生徒は、まだ完全に目が覚めていない生徒も多く身なりも軽くしか整えていない生徒が大半だ。


 一方、女子は寝ぐせなどなく既に制服を着用している姿が多く見受けられた。

 これが意識の違い……


 男子の中で、既に準備が整っている生徒には女子力高い認定を与えよう。

 まあ、俺の心の中だけの認定だが。


 しかし、朝食の場といっても夕飯時のようにな賑わいも会話も少ない。

 誰と同じ机に腰掛けるか、そこまでを気にしている人も少なく適当に腰かけたテーブルに雫と綺羅坂も同席したが冷たい視線は少なかった。


 時刻も七時とまだ早い。

 他よりも早めに陽の光を浴びて、完全に眠気など飛んで行った俺と綺羅坂は朝食もほどほどに周囲の観察が始まっていた。


「……」


「あの二人、一応は同じ机に座っているのね」


 俺が見据えていた視線の先を見て、綺羅坂が言った。

 雫もリスのように頬袋を膨らませて、もぐもぐと朝食を堪能しながら視線を同じ方向へと移動させる。


 優斗は、同室の男子生徒達に声を掛けられて二年三組の主要メンバーが集まる机で食事をしていた。


 近くには宮下の姿もあり、二人が確かな距離感を保っていることが見て取れる。

 優斗のことだから、彼女が自身に興味を示していると知っても突き放すことはしない。


 だからこそ、宮下も堂々と立ち回りができるのだが、昨日の今日では傍から見ていても二人のギクシャク感は否めない。


「あのままだと、中山さん辺りには勘繰られるかもしれませんね」


 雫がミックスジュースで喉を潤しながら一言発する。

 確かに、優斗の隣には中山の姿がある。


 彼女は常に優斗の近くに姿を見せては周囲の女子生徒をけん制しているように見える。

 優斗は別段気にしていないのだろうが、女子の縄張り争い的な目に見えぬ何かを感じさせる。

 

 ……俺、あいつ苦手だから相手にはしたくないのだが。

 中山も同様に、俺を邪険に思っているはずだ。


 さてさてはてさて、どうしたものか。

 同じ班だから、二人を露骨に孤立させることは簡単だが、それだと周囲に疑問を抱かせる。


 遠回しに二人きりの状況……正確には班行動の中で二人だけで会話が成立する状況を作りたいものだ。


 自尊心が高く、周囲からの命令を嫌いそうな中山には彼女と反対意見をぶつけておけば反感を買って強引に自分の希望する進路へと進めようとするはずだ。


 その後ろで二人には会話でもさせておくか……


 考えが大枠まとまったところで静かに二人から視線を外す。

 食事も済ませてこの場には用がないが、他に行く場所もない。


 ここなら飲み物が飲み放題の高級ドリンクバー的な使い方もできるが煩いというデメリットはある。


 でも、普段なら絶対に飲まないフルーツジュースなどを何種類か楽しむ方向性で飲み物をいくつか貰っておくことにした。

 あるよね、ちょっと好奇心と少なめの見栄を張ってコーヒーをブラックで飲んでしまうアレだ。


 目の前では、綺羅坂が平然とブラックコーヒーを優雅に飲んでいるから、完全に俺はお子様に見えて仕方がないのは気にしない。


 桜ノ丘学園の生徒で溢れるホールの前方には、大きなスクリーンが垂れ下がっていた。

 本来、映像などが上映されるであろうスクリーンには代わりに今日の我が校のタイムスケジュールが表示されていた。


 午前中は全体行動、そして正午前に物産館がある建物へと訪問して実家などへの土産物を購入して、そこからは班行動だ。


 好きな沖縄料理を満喫しながら未知の土地を巡る運びになっている。

 願わくは、たくさん歩かないように。


 

 

 学生の修学旅行は私服を用意する場合と制服の場合があるが、我が校は制服指定だ。

 賛否両論あるだろうが、着替えを三日分も用意する必要がないから俺は賛成派。


 雫は逆に私服を希望している派閥であり、綺羅坂は興味がない。

 二日目である今日も、昨日と全く変わり映えのない制服姿でエントランスに集まった本校の生徒は順々に指定のバスへと乗り込んでいく。


 昨日と同じような座席になる中、俺の隣には生徒の姿はない。

 優斗は、最後尾の集団の元へと移動しており両隣にはお馴染み中山と宮下の二名が腰かけていた。


「……なんかむかつくな」


 最後尾は五人掛け。

 完全に両手に花状態の優斗を一瞥して呟くと、前の座席から小さい咳払いが聞こえてきた。


「湊君?」


「言葉に気を付けなさい、その舌を焼いて食べるわよ」


 バスがエンジン音で唸る中で、前からも唸るような声が小さく耳に届くのと同時に寒気を感じる。


……怖すぎだろ。 

表情など見えていないのに、彼女達がどのような顔をして呟いているのかを想像できてしまう自分にも怖いよ。


 絶対に周りには聞こえていない程度の声量で呟いたつもりなのに、彼女達が一言一句聞き漏らすことなく返答してきたことも恐ろしい。

 

 下手に感想を呟くのは湊君生命を脅かす危険性があるので、黙っておくことにしよう。



 ホテルの従業員が青春を謳歌している学生達を営業スマイルでお見送りする中、我らが桜ノ丘学園は進路を平和祈念公園へと向けて進み始めた。





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