第三十一話 青春の旅路9



 理由を求める、答えを求める。

 自分と他人とでは一体何が違うのか、その答えを人は求める。


 だが、過程には興味は薄く、最短で最速で辿り着くことを望む。

 決して他人よりも優れていない人が、何故自分達とは違う結果をもたらすことができたのか。


 本当の答えに辿り着く人は少なく、突き付けられた現実を否定する。


 時代の変化、環境の変化で人は退化して行っているのではないだろうかと、高校生ながら考えてしまう。


 そもそも、俺ごときが人間の優劣、進退について語るほどの情報量も知恵もないから、これは子供の戯言に過ぎないのだろうが。


 ホテルのフロント前を通り過ぎて、売店近くに設置されたソファに腰掛けて思い耽る。


 学生が修学旅行で大量に宿泊していても、通常の客は訪れる。

 一番の多忙な時間帯にフロント近くに訪れたからか、優雅なBGMも人々の会話や移動の音、エレベーターがフロント前に到着したことを知らせるベルなどでかき消されていた。



 いつのまにか、館内見学の気分ではなくなってしまった。

 目的もなく、ただ人々の姿を傍観するだけ。


 近くから聞こえる若者たちの声は、おそらく売店の中で土産物でも見ている我が校の生徒達だろう。


 楽しい修学旅行は、現在進行形で続いているのだ。

 俺達の部屋でも、意味が分からないまま同室になった男子生徒が首を傾げているだろう。


 今一つ、この修学旅行に気が乗らない状況が続く中、どう過ごしたものだろうか。

 俯き、息を零し、脱力しているとフロアの床をカツカツと踏みしめる音が耳に届く。


 一定の速度で、少しずつ近づいてくる足音に気が付いていながらも視線を上げないで俯いていると、かつての状況と似た言葉が投げかけられた。


「君が真良湊君かな?」


「……」


 呼ばれた名前に条件反射で視線を上げる。

 瞬間、頭の中を支配していた考えなど消え去り、苦笑が零れてつい言葉が先に出る。


「日時と場所まで分かっていて、初対面のふりをするのは難しいんじゃないですかね社長さん」


 視線を上げた先には、新品同様に手入れの施されたお高そうなスーツに身を包んだ、綺羅坂怜弥が微笑を浮かべて佇んでいた


 同じ空間にいて、だが放つ雰囲気は一般の人とは異なる。

 有名人を見て、やっぱりオーラが違うという人の心境に近しいものだ。


 俺の言葉を聞き、瞳を閉じて笑う仕草は娘の綺羅坂怜とよく似ている。

 内心、驚きは当然あるが沖縄に降り立つ前に綺羅坂には父親が沖縄にいることは聞かされていた。


 この人なら、仕事の合間に訪れても不思議ではない。

 隣に座るかと思い、少しだけ隣に移動すると自然な動作で社長は腰を下ろす。


 視線をフロントに向けると、少し先ほどとは違ったざわつきがあるのは、オーナーであるこの人が訪問したからだろう。


 支配人でも呼ぶのだろうか。

 

 しかし、当の本人は何も気にしていないのかホテルの中を見回して頷いていた。


「このホテルには数年前に赴いただけだったのでね、気にはしていたのだが細部まで気配りが出来ていて心配など無用だったな」


「……そうですね、綺麗なホテルです」


 ホテルに入ってすぐに設置されたシーサーの置物や観葉植物が南国をイメージさせて、沖縄に来たことがない俺でも、沖縄感を感じる。


 というか、沖縄感ってなんだ。

 シーサーを見れば大体が沖縄感出ている気がするのだが。

 むしろ、海辺に生えているヤシの木風な木々を見るだけで沖縄まである。



 まさか、ホテルの状況を確認するために赴いたわけでもあるまい。

 些か、疑問の視線を向けると意味を汲み取って、背もたれに体を預けて足を組む。

 少し釣り目の瞳は真剣さが増して、低いが耳の奥にまで届くような声音で言葉を紡ぐ。


「文化祭の前に会った時より表情が明るく見える、だが修学旅行を楽しんでいるようには見えない」


「……すいません、別にホテルに不満とかあるわけでは」


 向けられた視線は、何もかもを見透かしているような、そんな気がした。

 生い立ちも、心境も、何もかも。

 たまらず視線を逸らして、誤魔化すように言った。


「まあいいさ……君の年代は大いに悩むことが必要だ、それに今日は見ておきたい人が二人いてね」


「見ておきたい人ですか……」


 そう言って、社長が見据えた先にあるのは、売店と隣接して土産物が展示されているコーナーだ。

 ちょうど、うちの高校の女子生徒達が複数人でエレベーターから降りて、見物をしていた。

 

 中には同じクラスの女子もおり、雫と綺羅坂の姿もある。

 一見、二人で仲良くお土産見分といった風に見えなくもないが……


「嫌そうな顔してるな……」


 特に綺羅坂が……

 雫は時折、綺羅坂に意見を求めるように声を掛けているが、綺羅坂は表情を曇らせてつまらなさそうに腕を組んでいた。


 適当な返事でもしたのだろう、今度は雫が不機嫌そうに顔をしかめて何かを告げていた。

 すると、綺羅坂も少しはやる気を出して、商品を手に取る。


 何やってんだあいつら。


 ここからでは、会話までは聞こえないが素直に意見を述べると、社長は感心したように雫に視線を向けていた。


「あれは、極端な女の子でね、好きか嫌いか、そして興味があるか否かで反応が露骨に変わる」


 父親らしい、優しいまなざし。

 これが父親の温かいまなざし的な奴ですか。

 見た目、全然変わってないけど。


 未だに従業員が近寄りがたい雰囲気だしていますからね、言ってしまえばさっき見た時よりフロントにいる従業員が少なくなっていますよ。


 権力と人望は同じではないのですね、参考になります。


 言葉のない人生の教訓を教えてもらっている気がしていると、本題について話が変わる。


「もう一人、荻原優斗君が同学年にいるそうだね」


「いますけど、娘さんから話でも聞きましたか?」


 ハッキリ言おう、彼女は優斗が嫌いだと。

 確たる証拠は聞いたことはないが、自他ともに認めることだ。

 

 そんな彼女が、家で話のネタにするような内容は、記憶している限りではないのだが。

 俺が問うと、社長は首を横に振る。


「あの子が私に直接話をしたことがある人は茜を除くと三人だけだ、君と妹さん、そしてあの子だ」


 視線の先にいる、雫に二人の視線が向けられる。

 どのように、社長には雫のことを説明したのだろうか、とても気になるが同時にとても怖い。

 

 水に油の関係性だ。

 だが、尚更疑問に思う。

 優斗の話が出ていないのであれば、どこから優斗に関して話が上げってきたのか。


 しかし、その疑問はすぐに答えてくれた。


「黒井は遊園地に娘を含めた五人を送迎したと言っていてね、それで娘が話題に出さない空白の人物が誰なのか気になって文化祭で立ち寄った折に彼に荻原君とは誰か聞いてみたのだ」


「あぁ……そういうことですか」


 納得しました。

 確かに、あの時の送迎を担当してくれたのは社長の補佐もしている黒井さんだった。


 自ら話題に出さなくても、娘が話をした人数と報告の矛盾点に気が付いてしまったわけか。


「君から見た荻原優斗君はどのような生徒なのかな?」


 改めて、問われる。

 俺から見た荻原優斗とは、思案するまでもない。

 幾度となく、似たような問題を自問自答してきたのだ。


「イケメンで頭が良くてスポーツも得意で腹立たしいほどお人好しですね」

 

「まるで嫌いな人を語るような勢いだな」


「嫌いですよ……今のあいつは」


 苦笑と共に案外すんなりと言葉は吐露した。

 綺羅坂怜という人間ほど極端ではないにしても、俺も好き嫌いはハッキリしているタイプの人間だ。


 好ましくない人間とは望んで関わることなどしない。

 だが、何故荻原優斗は違うのか。


 過去の関係性があるから?

 それはあくまで過去の話であり、現在まで引っ張ってきて昔はいい奴だったからと言っても言い訳に過ぎない。


 それでも、関りを切らないのは、誰よりもあいつが嫌いで憧れたからだ。

 きっかけは些細なものでしかない。


 単純に徒競走で負けたくない、テストで負けたくないとか。

 勝てないと悟っていても、彼には負けたくないという感情が手放してはならないものだと無意識に思ってしまったからだ。


 きっと、手放せば戻ってくることはない。

 顔だけ知っている世界的に凄い人間よりも、身近にいる自分が心底認めた凄いやつの方が俺にとっては貴重な存在だ。


 でも、その背にも陰りが見えている。

 優しさが本来の姿を隠してしまうのだ。


 振り返る必要はなく、ただ愚直に進み続けてほしい背中はいつの間にか立ち止まり、横に並ぶのを待ってくれている。

 

 優しさは、時に悪となり自らを阻む障害となる。

 本来、雫にも綺羅坂にも劣らないはずの能力を、自ら蓋をしている姿がとても気に食わない。


 こんな姿を追い求めていたのではないと、自分勝手な憤りを沸き上がらせる。

 でも、そんなことは誰にも言えるはずもなく、当然隣にいる人にも言うはずもない。


「主人公には友人Aよりも悪役の方が必要でしょうから」


 とっさに浮かんだ言葉だったが、関係図からすれば適切な表現なのではないだろうか。

 俺自身も、今後の展開に出てくるのが期待できないAよりかは悪役でもシーンに出てくる方がキャラ的に良い塩梅かなと。


「でも、なんで優斗のことなんか気にするんですか?」


「娘からしたら余計な親心だ」


 笑う顔、笑わない声音。

 奥底の見えないほどの冷たい声音で続いた言葉に、思わず背筋を凍らせた。


「娘の周りに悪い虫が飛び回るようだったら、今のうちに叩き落しておこうかと思ってね」


「……」


 怖いですね、冗談ですよね。

 いや、これは違いますね、本気ですね。


 瞳が得物を見定めた野生の獣のそれに近いものがある。

 ……野生の獣とか、隣の猫くらいしか見たことがないから、猫の瞳と比較しているのだけれど。


 冷や汗を流す隣人の思いとは裏腹に、杞憂でも晴れたかのように息を零すと社長は言った。


「だが、その心配も不要だったみたいだな、娘と肩を並べる女性など茜くらいだと思っていたのだが……あの子は確かに娘が気にするだけはある」


「そうですかね……」


 俺には、仲悪く土産物を見ている少女二人にしか見えないのですが。

 だが、社長には違った視点があるのだろう。


「娘との応対は自然体なのだろうが、学友への応対には計算されたものが見て取れる、相手がどのような反応を求めていて、自分がどうすればいいのかを考えて実行するのは言うほど容易ではない」


 そう言うと、社長は腰を上げて気が済んだのか出入り口へと足を進める。


「娘さんに声を掛けなくていいんですか……?」


 少し左に通路を進めば愛娘がそこにいるのだ。

 わざわざ、夕暮れ時に仕事を抜けてまでホテルに来たのだ、一言くらい話をして言ってもいいだろうに。


 しかし、俺が問うと不敵に笑みを浮かべた。


「娘には今日来るとは伝えてある、それに三人は既にこちらの視線に気が付いているみたいだからね」


 売店に指を向け、視線は右後方にあるホールの大きな柱の陰に向けられる。

 柱の陰から、明るい茶髪がひょっこりと顔を出して、視線が向けられた途端に揺れる。


「お前もいたのかよ……」


 呟くと、苦笑いをしながら柱から気まずそうに優斗が顔を出す。

 その仕草に、社長は優し気な笑みを浮かべると、止めた歩みを再開させる。


 本当、個人的にはこの人は俺の心境をかき乱して帰る嵐のような人だなと、再確認させられた。


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