第三十一話 青春の旅路8


 朝早くからのフライトにバスでの長時間移動、加えて見物で歩き回っていれば若者であろうとも当然のごとく疲労感が体を襲う。

 

 外の気温とは違い、適度に管理された館内では人々の会話すらBGMと変わり夢の中へと誘うかのように、眠気を誘発させた。

 

 頭を何度か上下させ、その度に眠気を払い除けるように左右へと振る。

 動作を繰り返す度に、隣からクスクスと微笑が聞こえるのは、少しだけムッときたのは内緒だ。

 

 何度か目の前を桜ノ丘学園の生徒が通り過ぎたのを見掛けたが、声をかけてくる生徒は一人もいない。

 

 隣に座る綺羅坂の発していた近寄るなオーラのおかげだろう。

 小一時間は小休憩とばかりに体を休めていると、二年三組の生徒達は入り口へと戻ってきた。

 

 表情は人それぞれで、満足そうにしている生徒もいれば退屈そうにしている生徒もいる。

 この手の鑑賞、歴史の振り返りは個人的な価値観が多く含まれるから、観光目的としては反応は良くはない。

 

 学校だから、その一言に尽きる。

 

 全クラスの生徒達が、一通りの見物を終えてバスの発着場へと戻ると、一行は本日最終スケジュールになっている宿泊先へと進路を進める。

 

「今日はオールっしょ!」


 バスの後方に腰掛けた派手な髪色の男子生徒が言った。

 賛同するように、周りの生徒達は大いに盛り上がる。

 

 女子生徒も流れに乗り、バスの前方に腰掛けていた担任に俺が少しだけ視線を向けると呆れたように口元に笑みを浮かべていた。

 

 人生に一度の経験だ。

 教員の立場でも、盛り上がる生徒達の空気を悪くさせるということはしない。

 

 

 これが、例えば犯人の全てがくじ引きなどで決められていたのなら別だ。

 静かな夜を好む生徒もいれば、大いに騒ぎたい生徒もいる。

 

 しかし、男女の組み合わせだけは抽選であって、班員は各々が決めている。

 後方に陣取るうるさい連中も、物静かな生徒達も部屋は異なるので問題はあるまい。

 

 あるとすれば……

 

「せんせー、本当に男子の部屋に行っちゃダメなんですか?」


 女子生徒の中から、中山が担任に声をかけた。

 修学旅行当日になるまでに、何度も繰り返された質疑応答だ。

 

 諦めの悪い生徒に対して、担任の男性教師は溜息をこぼす。

 シートベルトをしたまま、無理に体を中等の通路に乗り出して首を横に振る。


「ダメだ、これは全体としてのルールだからな」


「つまんないー」


 担任の言葉に、中山は言葉だけは納得したように言った。

 内心では、諦めていないのだろう。

 

 

 今回の修学旅行では、男子生徒と女子生徒の宿泊先は階で分けられている。

 男子生徒は二階のフロア、女子生徒は三階のフロアとなり、中央と左右に一つある階段には教師達が夜通し見張りをしているらしい。

 

 学校教員とは、大変な仕事だ。

 自分よりも半分近く子供な生徒達を、教員としての威厳を保ちつつ保護者達に怒られない程度に機嫌を取る。

 

 現在、湊くん的なりたくない職業ランキングではトップスリーには入っていると言っても過言ではない。

 

 そんなこんなで、バスの中は今日一番の賑わいをみせる中、バスは目的地へと進む。

 

 特に到着までの時間にやることもないので、隣の優斗に視線を向ける。

 こいつも、スマホで動画やゲームをしているわけでもなく、宿泊先の情報が書かれたしおりに目を通していた。

 

「……それ見て楽しい?」


「いや、全然?」


「……そうか、だよな」


 ですよね。

 愚問でした、俺が聞かれても同様の答えを返していたはずだ。

 

 暇な時って、普段は絶対に読まないような文章でも読んでしまう的なあれだ。

 何を聞いているのだと、逆に不思議そうな視線を向けられたが、話を逸らすように別の話題を考えることにした。

 

「部屋のベランダから上階に上がるなんて考えは捨てておけよ?」


 ちょうど、彼が次に開いたページが館内の案内図だったものだから、冗談ついでに言ってみる。

 

 過去にそんな奇行をした生徒がいたと聞いたことがあったので、本当に些細な冗談だ。


「……」


 ……なんで、冗談を言ってみたら真顔でこちらを見るのでしょうか。

 優斗との間に沈黙が広がり、先に視線を逸らしたのは優斗だった。

 

 彼も青春を謳歌する男子高校生だ。

 他の男子生徒達が異様に女子部屋に行きたいとアピールしているのは言わずもがな、彼も同様の感情を抱いてもなんらおかしくはない。

 

 ……生徒会としては、止めるべきだ。

 そう思いながらも、彼になんて言葉を投げかけるか迷っていると隣から笑い声が溢れる。

 

「冗談だよ、俺たちの部屋がどのあたりなのか確認していただけだ」


「……冗談なら表情を作りすぎるな、分かりづらいわ」


 演技派男子高校生とか、需要が高そうで困る。

 どこかのアイドル事務所で聞いたことがあるが、勝手に優斗の写真付き履歴書でも送りつけてやろうかと本気で思うくらいにはイラッとした。

 

 その後、バスの中では会話をすることはなく揺られること一時間、目的地のホテルへ到着した。

 

 

 班員から一名代表で鍵を受け取り、各自が荷物を置くために部屋へと通される。

 

 俺と優斗が過ごす部屋は四人部屋で、雫と綺羅坂の班になった男子生徒と同じ部屋である。

 畳にはすでに布団が引かれており、和をイメージした部屋となっていた。

 

 はしゃいで自分の布団の陣取り合戦を始めるルームメイトを横目に、ブレザーをハンガーラックに掛けて一息零す。

 

 これから一時間の休憩の後に、夕食がある。

 一階の大広間に学校側が手配した夕食の場が設けられており、そこで食事をした後に自由時間となっている。

 

 風呂も室内のバスルームを使用するもよし、温泉に浸かるもよし。

 一階のエントランスや売店など、共有スペースは自由に使用が可能だ。

 

 生憎、部屋にいてもやることはない。

 一階でも見て回ろうかと財布とスマホをポケットに入れて立ち上がった時だった。

 

「真良って怜ちゃんとも仲良いよな」


「怜ちゃん……?」


 なにその人物。

 俺の知り合いの中で同じ名前の人はいるけれども、そのような可愛らしい呼び方をしたら視線の矢で貫かれること必定な人しか知らないのだけれど。

 

 綺羅坂をちゃん呼びしていたのは、髪を刈り上げた野球部の生徒だ。

 普段の行動や言動、視線の動かし方で雫よりも綺羅坂の方に強い憧れを抱いている生徒の一人だろう。

 

 流石の優斗も綺羅坂をちゃん呼びはしない。

 少しヒヤリとした表情を、彼自身が浮かべているのが何よりの証拠だ。

 

「本人にも怜ちゃんって呼んでるのか?」


「勿論、苗字じゃなくて名前を呼ぶのが俺なりのスキンシップだからな」


 進みかけた歩みを止めて振り返ると、すでに布団に体を寝そべらせていた生徒へと向き合う。

 そう胸を張り断言した姿は、別の意味で勇ましいまである。

 

「それにしても、荻原といい神崎さんといい、怜ちゃんも仲良しなのは羨ましいけどな」


 ただ、事実だけを告げているような声音に、もう一人のルームメイトが頷いて賛同する。

 

 周囲から見れば、新学期が始まった頃は彼らの眼中にすら入っていなかったはずの俺が、そんな見られ方をしているとは。

 

 小さなコミュニティから輪を広げてこなかったから知る機会のなかった周囲からの捉え方だ。

 

「あんな美人な彼女が俺にも出来ないかな……」


 呟いた言葉に、思わずため息が零れた。

 男子高校生からすれば当然の欲求であり、綺羅坂が美人だということは否定しようがない。

 

 それを、自分の友人である相方以外の俺と優斗にいうこと自体に意味があるとは思えない。

 

 だから、続く言葉を待っていると、ようやく俺と呼び止めた理由の言葉を口にした。

 

「どうしたら、彼女達と仲良くなれるのかな?」


「……」


 好奇心と、ほんの少しの期待を帯びた瞳だ。

 この手の瞳をした人間と関わると良いことがないのは、これまでの経験で痛いほど学んでいる。

 

 同時に、無視しても悪い影響が出るのも理解できてしまった。

 

 どうせ、この後に同学年の生徒と修学旅行の話になった際に、今現在の状況についても話をすることだろう。

 

 大して会話をしたことのない相手に対して、ここまで口を軽く開くということは、当然他にも同様に語り伝えているはずだ。

 

 そこからへんな噂に発展して、俺以外の人間の悪い噂を耳にするのは避けなくてはならない。

 

「お前は……綺羅坂のどこが良いと思ってる?」


「良い所なんてたくさんあるじゃん、美人で頭の良くて、家もお金持ちだし、それに文学系女子っていうのかなーー」


 少し、俺も聞いてみたい質問だった。

 自分とは違う人には、綺羅坂怜という人物がどのように映っているのか。

 見えているのか。

 

 初めて言葉を交わす間柄だからこそ、純粋な意見を聞くこともできる。

 

 そんな意味を込めた問いに、返ってきたのはよく聞くようなものばかりだ。

 全て正しく、間違いなどない。

 

 十人が聞いたとして、彼の意見を否定する人は一人とていないだろう。

 そんなことを思いながらも、同時に納得してしまった。

 

 だから、彼女達、そして彼は周りから浮く自分のことを嫌うのかもしれない。

 

 野球部の青年は、なにも悪くない。

 十分理解してないがらも、口から溢れでた声音は低く冷めたものだったことだろう。

 

「そんなの履歴書見れば誰だって分かる」


 最後に室内に言い残すと、身を翻して部屋を後にする。

 ドタバタと、後ろから慌てて追う音が聞こえてきたから、優斗が一言謝って追ってくることだろう。

 

 彼が語る言葉が、過去の自分が抱いていた彼らへの感想と同じものだったからなのだろうか。

 

 自分自身が戒められている気がしたのだ。

 

 

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