第三十一話 青春の旅路4


 後日談なのだが、結局あの後に雫と綺羅坂が教室に戻った際、班員の男子生徒達はまだ談笑していたらしい。


 そして、二人が定石として荻原優斗と同じ班と合併させてみてはどうだろうかと提案をしたらしい。

 結果は言うまでもない。

 男子生徒達は、二つ返事で頷いたそうだ。

 

 正直、修学旅行は楽しんだもの勝ちだ。

 優斗と同じ班で行動を共にできるのは願ってもない提案だったはずだ。


 二人は男子たちの承諾を得て、その足で職員室まで赴いたらしい。

 担任に合併の話を持ち出し、班員全ての同意を得ていることを伝える。


 そして、担任から改めて班員リストを受け取ると、満面の笑みで生徒会室に戻ってきた。

 生徒会室に入るまでの足取りが軽やかで、一瞥しただけで察してしまったのは俺だけではなく役員全員だろう。



 そして、クラス内の雰囲気は穏やかになり、日を増すごとに期待に胸を躍らせるように、二年生の棟は雰囲気を様変わりさせていた。


 そして修学旅行前日、俺は自宅のリビングから国際電話で母親に通話を掛けていた。

 理由は、土産は何がいいか聞くためだ。


 数回のコールが鳴り、聞きなれた声が受話器越しに聞こえてきた。


『はいはーい、愛しの息子ですか?』


「なんで楓じゃないってわかったんだ……」


 開口一番、この人はエスパーなのではないかと疑う。

 母親の感だろうか。


 久方ぶりに聞いた母の声に、僅かに心が落ち着くような錯覚がもたらされ、口元に微笑が零れ出た。


「明日修学旅行だから……何か買ってきてほしいものあるか?」


『お母さんは湊が買ってきてくれるなら何でも嬉しいよ』


 相変わらずの年甲斐もない声音に、今度は苦笑が零れる。

 親父との対応の差が凄い……


 しかし、特に希望もないのであれば湊君的なチョイスで選べるから、好きそうなお菓子でも買ってやろう。

 なんて、思いながら適当に別れの言葉を考えていると、先に母さんが言った。


『気を付けて行ってきてね、湊』


「個人旅行じゃないんだ、そこまで心配する必要もないだろ」


『母親はいつでも子供が心配なのよ』


 優しい声音で言った母さんの表情が、脳裏に浮かんだ。

 きっと、口元を綻ばせて目を細めているのだろう。


 そう思うと、急に恥ずかしく感じ始めたのは思春期の男の子だからです。


「じゃ、そろそろ切るよ」


『あ、待って湊』


 別れの言葉を述べて受話器を置こうとしたとき、母さんは遮るように告げた。

 そして、無言の状態が数秒間続く。


「……やっぱり買ってきてほしいものでもあった?」


『……ううん、やっぱり何でもないわ、おやすみなさい、湊』


 何事もなかったように、母さんは言い終えると受話器をそっと置いた。

 電話が切られた際になるツーといった音だけがこだまして、些細な違和感を抱かせる。


「普段は“湊ちゃん”とか呼ぶくせに……」


 まだ言えないことがあるのだ。

 母さんと楓は声にしていると分かりやすいくらいに隠し事が下手だ。

 一抹の不安が胸を渦巻くが、分からないことを延々と考えていても仕方がない。


 途中で止まっていた荷造りを進めたのだった。




 そして、迎えた修学旅行当日。

 真良家の前には、一台の乗用車が駐車されていた。

 

 高級車なのは、一目でわかる。

 早朝の六時、綺羅坂家の送迎車で空港まで送ってもらうことになった俺と雫、優斗の三人は荷物を運転手の黒井さんに手渡す。


 玄関の前で、見送るために出てきた楓の隣には会長が佇んでいた。

 会長の希望で、俺が不在の三日間の間は会長が楓の面倒を見てくれることになった。


 両親がいない状況で、会長がそばにいてくれるのは心強い。

 文化祭で二人が対面していて、親睦を深めていたのは意外だったが楓もすんなりと提案を受け入れた。


「兄さん、楽しんできてください」


「ぼちぼちな……写真送るよ」


 最後の荷物を黒井さんがトランクに入れ込むと、すでに綺羅坂が乗車している車内に雫と優斗が乗り込む。


「それじゃ、行ってきます」


「留守は安心してくれ、旅行を満喫してくると良い」


 胸の前で腕を組む会長に感謝の意を込めた礼をしてから、妹に軽く手を振って車に乗り込んだ。


 ゆっくりと動き始めた車を会長と楓は見えなくなるまで見送っていた。

 車内では雫と優斗が歓談して、綺羅坂が静かにしおりに目を通す。

 ついに始まった高校生活最大のイベントは、どのような行事になるのだろうか。




 閑話休題

 朝早く起床して、空港までの道のりを車で進む最中で、意識は朦朧となる。

 寝不足なわけではないが、朝早いのは非対応なわけであり、簡潔に言えば眠い。

 腰を下ろしているシートが無駄に座り心地が良いこともあり、体を預けて目を閉じる。


 俺を挟むように腰かけている雫と綺羅坂の肩が車の揺れで時折触れるたびに、ビクンと目を開けては閉じてを繰り返す。


 でも、次第に体が触れてしまうのは車の揺れだけではないような気がした。

 振り子のリズムのように、左右に僅かに引かれるような感覚が腕に走る。


 俺が目を覚まさないように、ゆっくりだが不自然な感覚だ。

 そうして、完全に意識を手放す寸前のところで両隣から声が耳に届く。


「綺羅坂さん、湊君の手を離してください」


「あなたこそ、さりげなく腕を組んでいるのを解いたらどうかしら?」


 ……目を閉じて、完全に寝る体制を整えていた俺が悪い。

 だが、優斗と黒井さんもいる車内で、恥ずかしいので言い合いは辞めてくださいと、意識を手放す前に胸の中で囁いたのだった。





 寝ていると、時間というのはあっという間である。

 優斗の声で目を覚ますと、窓の外には大きな建物が広がる。

 羽田空港の駐車場だ。


 凝り固まった体をほぐそうと、足に力を入れた時に気が付く。

 両肩が異常に重いことに。


 そして、後からふわりと花のような香りが鼻孔をくすぐった。

 視線を横に動かすと、綺羅坂が右肩に、雫が左肩に自分の頭を乗せて眠っていた。


「両手に花だな……」


「正確には両肩に頭だな」


 俺が寝起きの低い声で冗談交じりに呟くと、既に荷物を下ろしていた優斗が鋭い突っ込みを入れた。


 腕まで固定された状況で、どう起こせばいいのだろうか。

 誰か教えてください。


 優しく耳元でモーニングコールが主人公の王道だ。

 そして、俺はその道を進むもの……ではないので、とりあえず軽い力で頭突きをして起こしました。


 これがモーニングヘッドです。

 新しい目覚まし方法として、卒業論文にまとめて発表するまである。


 荷物を手に持ち、送ってくれた黒井さんに礼を述べると、四人で空港内に足を踏み入れた。

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