番外編2

番外編2 庭と犬



 文化祭が終わり、本格的な冬を迎える前の一時。

 真良家の中庭には、兄妹が並び膝を抱えて座り込んでいた。


 視線はまっすぐ、同じ方向へ向けられる。

 他の一般家庭でも多く見受けられる、だが真良家には存在していないものが、期間限定で目の前に広がっていた。


「わんっ!」


「ツー……」


「可愛いですね」


 小型の、茶色の綿飴みたいな毛に包まれた犬。

 トイプードルが、真良家の庭を縦横無尽に駆け回る。


 それを物珍しそうに兄妹揃って眺めていたのだ。

 いや、マジナニコレ、可愛すぎない?


 一周回って俺が可愛いまである。

 トイプードルの中でも、骨格が小さいのか俺が見たことのある近所の犬たちよりも小さい印象を受けるその犬の名前は「ニコ」君らしい。


 確かに、お座りをしてこちらを見据える表情は、ニコニコしていて相応しい名前だと感心してしまった。


 それにしても、何故真良家にトイプードルがいるのかと問われれば長く壮絶な理由がある。


 近所の人が旅行に行きました。

 はい、これが理由でございます。


 正しく説明をすると、猫を飼っている家とは反対側、子供達が成人して夫婦二人になった家の主(あるじ)たちが商店街の温泉旅行を当てたらしい。

 それで、一泊二日の旅行に出たので一日だけ預かることになったのだ。

 文化祭で盛り上がっている中、商店街でも福引など行っていたとは、雫と赴いたときに参加しておけば良かったと後悔したものだ。


 楓は当然拒むことなく、土日の休日だから別段断る理由もなく俺も承諾した。

 だが、いざ目の前に犬がいるとなると、どう接すればいいのか分からないものだ。

 これが犬の飼い方未経験の宿命……とか、適当に格好いいセリフを思い浮かべながら、普段全く活用していないスマホ君の画面をスクロールする。


 運動の量、ご飯の適切な時間帯。

 分からないことだらけで、飼い主から聞いた情報以外にも注意点を調べていたりしている。


「わんわん!」


「ツーツー」


 繰り広げられる、犬と人間のコミュニケーション。

 


 手に持ったボールをコロコロと軽く転がしてあげると、短い尻尾をブンブンと振り回して取りに走るニコ君に楓の表情は綻ぶ。

 これでもかというほどに綻ぶ。


 ……悪くないですね。

 これなら週一で旅行に出掛けてもらっても、全然預かりますよ。

 ペットホテルよりもお手軽で料金無料、それが真良家です。


 しかし、静かなはずの自宅の庭が賑やかになると、自然と家全体が明るく様変わりしたようだ。

 二人きりの生活だから、久しく忘れていた。


「はぁ……可愛いです」


 両手を頬に添えてうっとりと溜息を零しながら楓が呟いた。

 完全にメロメロになっている……


 まあ、確かに小型犬の中でも骨格の関係上さらに小さいし、愛くるしい目鼻立ち、それに人懐っこいのは、誰しも惚れてしまうはずだ。


 俺が投げたはずのボールを、何故か隣の楓の足元に落として視線を上げたニコ君は、褒めてと言わんばかりに尻尾を左右に振る。


 ……あざといぞ、ニコ君。

 だが、それもまた良い。


 可愛いから俺に持ってこなくても許してしまう。

 決して、自分のもとに持ってこなかったことに悔しいとか思っていない。

 思っていないったら思っていない。


 しばらく、楓が頭やおなかを撫でて、満足したのか適当に庭を歩き回る姿を見てほのぼのしていると、小さく隣から呟かれる。


「兄さんは何か良いことでもありましたか?」


「……別に良いことは」


 思い浮かべて、何か最近良いことがあったのかを思い出す。

 ない、終わり。


 それでも、何かしらの思い当たる節を考えていると、楓は続けて口を開く。


「文化祭までの兄さんは、少し思いつめたといいますか……無理している感じがしていましたが、今はそんなことありません」


 少し先で楽しそうに走り回るニコ君を眺めつつ、納得した。

 確かに、変化はあった。


 だが、些細な変化に気が付いたのは家族だからこそなのだろうか。

 それとも、妹の観察眼が優れているのだろうか。


 どちらにせよ、答えを待つ楓に淡々と言葉を連ねた。


「心の重荷が取れた……まあ一時的なものかもしれないが」


 雫達が屋上で言った言葉が、俺の心の重荷を軽くしてくれたのは事実だ。

 先送りのものなのかもしれないが、変化をしない自分に焦りを感じていたあの時には、不変であることを肯定してくれたことは、楓の言う良いことなのかもしれない。


「兄妹だから話をしてくれとは言いません……兄さんが普段通りに過ごせていればそれだけで十分です」


 微笑んで告げた楓は、人一人分ほど空いていた合間を埋めて腕に寄り添うように体を寄せる。

 服を通り越して、腕に僅かな温もりが伝わってきて、安堵の息が洩れる。

 

「もし本当に躓いたときは、頼むよ」


「はい、お任せください」


 にっこりと、微笑む妹の頭を一撫でして視線を前に向ける。

 何気ない日常だが、妹と意図することなく会話の時間を作れたのは、目の前のニコ君が我が家に居候しているおかげだろう。


 だから、おやつ用のジャーキーをあげちゃう。

 俺に懐いてほしいからとか、そんな邪推な意図は全然ない。


 ないったら、ない。

 この日は、兄妹と一匹で他愛もない会話をして過ごす一日となった。


 自称猫派の人間だと思っていたのだが、犬も悪くはないものだ。

 目に見えて甘えてくれる、反応が良いことが何よりこちらからしても接していて楽しい。


 だが、最終日に別れ際に妹に駆け寄っていったのは今後、忘れることはないだろう。



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