第三十話 開幕9



 商店街での開会式を終えた桜ノ丘学園生徒一同は綺羅坂の親父さんが貸し出してくれたバスに乗り込む。

 総数五台の大型バスで運び込まれる姿は圧巻である。


 その中に俺も同様に一つのバスに乗り込んだ。

 会長、小泉、三浦、それに雫や綺羅坂も同車する予定のバスだ。


 しかし、一向に火野君だけが乗り込もうとしない。

 乗車口で何かもぞもぞで動いて、しかし足を前に進むことはない。


「……何やってんだ」


「いえ……それは」


 彼が手にしていたのは、自分で買ったという一眼レフだった。

 何を撮影したのか、聞かなくとも分かる。


 開会式の後、タイムスケジュールでは一番最初に行われるのは市民会館での桔梗女学院の合唱だ。

 前に楓から助けてもらって以来、女神(仮)だとして崇めている火野君には逃せない機会なのだろう。


 そんな彼の心境を理解した上で俺は問いかけた。

 余計な言葉は相手には違ったニュアンスに変換されて伝わってしまう。


 だから、端的な質問で相手の反応を待つ。


「先輩はいいんですか? 楓さんの初めての文化祭ですよ」


「……」


 俺が黙ってバスに乗り込んでいた時点で、胸中では思っていたであろう感情を吐露する。

 言葉や声量は強く大きい。

純粋に疑問に思ったのだろう。


 火野君の言葉に、即答で返す言葉が見当たらなかった。

 本音を言えば、こんな行事など放っておいて妹の晴れ姿をこの瞳に収めておきたい。


 今の真良家、俺にとっての家族の繋がりは妹しかない。

 唯一、妹だけが近くで身を寄せ合って過ごしてきた誰よりも自分の理解者であり、愛すべき妹だ。


 しかし、その欲求を抑え込むだけの理由がある。


「……俺が今楓の場所に行ったところで、あいつは喜ばない。むしろ、なんで自分の仕事を放り投げたのだと叱咤するだろうな」


 まじめで、だが甘えん坊で、本当は嬉しいのかもしれない。

 俺が勝手にそう思っているだけかもしれないが、楓にとっても両親が自宅にいない状況では俺が唯一の家族としての繋がりだ。


 初の文化祭で不安もある中、家族が見に来てくれているのは精神的にも大きな良い影響を与えることだろう。

 しかし、それでも楓は拒むだろう。



 自分よりも、周りを優先して考えてしまう妹は、どこか雫に似ていた。

 姉のように慕ってきたからか、その部分は似ている。

 

 だからか、バスの中に乗り込んでいた雫と視線が交わると苦笑が洩れる。

 

「火野君……乗れ、これは先輩としての命令だ」


「……はい」


 本来、生徒会補佐に誰かを拘束する権限などない。

 その場の状況と雰囲気で押し切った形だが、火野君も渋々バスの中に乗り込んだ。


 最後の一人が席に着いたことでバスは走り出し桜ノ丘学園へと向かう。

 バスでの移動時間は約五分。


 その間に、皆が歓談している中、会長は静かに息を整えていた。

 これが本当の意味での文化祭開幕。


 今までのはチュートリアル的なもので、この後の学園内での開会式が彼女の最初の大舞台だ。






 バスは静かに学園内のバス停へと駐車する。

 ぞくぞくと生徒が下りて、一目散に自分たちのテントへと向かう。


 そんな中、小泉は大きな拡声器を取り出して、この後の流れの説明を始めた。


「五分後に開会式を中央広場にて開始します。全生徒は必ずご参加ください」


 何度もこだまして響く小泉の声に、何人かの生徒が時計を確認して足早にこの場から立ち去る。

 開会式の前に最低限の準備でも進めるのだろう。


 俺も生徒会のテントに向かい上着だけを適当な場所に掛けて置く。

 そして、中央広場のステージ脇に並び立ち全校生徒が集まるのを待つ。


 順番は会長、小泉、三浦、俺、火野君、そして臨時であるが末席に雫と白石が並んでいる。

 綺羅坂はステージの裏側で、木陰で静かに待っていた。


 小泉のアナウンスから数分する間で、ステージ前には多くの生徒が集まっていた。

 大方の生徒が揃ったのを確認すると、小泉司会のもとで開会式は始まった。


「まず生徒会長に開会の宣言をしていただきます」


 この一言で、会場の空気は一変して、静かなものになる。

 壇上に上がる生徒に見合が視線を奪われ、発するであろう言葉を一言も聞き逃すことが無いように静かに待った。


 歩くたびに靡く茶色の髪は陽の光によって輝きを発し、足取りは軽やかだ。 

 立ち振る舞いには緊張感は伝わってくることはなく、慣れた様子でマイクの前に佇む。

 会長はそんな生徒たちの姿を一望してから、静かに言葉を紡ぐ。


「私にとって最後の文化祭がやってきた。三年とはあっという間で今年の準備も数日のように感じてしまった……本当に最後なのだと考えると寂しいものがある」


 

 その一言に、会場はしんみりとした雰囲気が流れる。

 だが、それもつかの間、会長は先ほどの憂いさを断ち切るように大きく澄んだ声で宣言した。


「だからこそ、この文化祭は過去最高のものにすると宣言する!生徒諸君、大いに楽しみ思い出に残し、そして次代の桜ノ丘学園に来るであろう生徒たちのために高校生とはこんな生活を送っているのだと見せつけてやってくれ!」


 腕を突き出して告げられた言葉に、会場全体が揺れ動くような大きな歓声と生徒たちの熱気が溢れ出る。

 短く、本当に最低限の言葉であったがそれでも生徒たちの意識を鷲掴みした開会の宣言に、教員一同からも拍手が送れられた。


 最後に小さく礼をして壇上から降りる会長に全生徒からも惜しみない拍手が送られる。

 柊茜という人物が生徒たちにどれほど愛されているのかを明確に示した瞬間だ。




 そのあとは学園長、そして商店街からなぜかついてきた町長、さらには今回の学園祭のために個人的に寄付をしていただいた綺羅坂怜弥さんを壇上へと招き紹介をすると開会式は閉幕となった。

 生徒たちはすぐに自分たちの持ち場に移動する中、俺は最初の場所から動くことなく一点に意識を向ける。


 相手もそれに気が付いたのか、学園長たちとの会話もほどほどにこちらに歩み寄る。


「案外早い再会だね真良湊くん」


「……開会式に来るのであれば事前に教えていただければ準備もできたのですけどね」


 まあ、準備と言っても気持ちの問題だがな。


 相変わらず高そうなスーツに運転手、そして秘書付きで現れた綺羅坂怜弥には驚かされる。

 多忙の中でスケジュールを調節してきたことはもちろんだが、一生徒にここまで関心を向けられているとは少々買いかぶり過ぎだ。


 俺の隣で同様に父親に小さく礼をした綺羅坂は、何も語ることはなくその場でこの先の状況を見据えていた。


「……今日は何時ごろまで?」


「時間の許す限りは留まろうと考えている、それに娘と君が合作で出すスイーツも興味があるからね」


 ……実際には俺はさらに盛り付けと接客がメインなんですけどね。

 そんなこと、この人に言ったとことで違う場所を見ている気がするからあえて言うことはしない。


 この人と相対すると緊張感がマシマシになるので、当日には会いたくはなかった。

 しかし、来てしまったものは致し方ない。

 

 何かしらの方法で適当に話を流すことを考えていると、意外にも社長から背を向ける。


「まずは女学院の発表を見ていこうと思う。真良君の妹もいるのだから興味はあるからね」


「あぁ……そういうことですか」


 あっさりとした去り際に安堵していると、再び振り返る社長に思わず背筋が伸びる。

 何事かと構えていると、なんてことない問いだった。


「君の妹は兄と似ているのかね?」


「いえ……正反対と言ってもいいくらいに違います」


「ふむ……親御さんは海外だったね」


「はい、単身赴任の予定でしたが母が生活のサポートに行っているので別居状態です」


 ……いま、この情報がいりますかね。

 娘の綺羅坂からでも聞けるような内容を直接聞いてきたのは、事実確認程度なのだろうか。


 だが、問いに裏を探るにも思い浮かぶものはなく、やはり事実と異なっていないのか本人が確認をしておきたいと思ったのだろうか。


 それだけを聞くと、社長は何も言うことはなく正門の方向へと進んでいく。

 そこに停車してあった高級車に乗り込むと、車を走らせて姿を消す。


「何……あれ」


「考えない方がいいわ、父は大半が謎の人間だから」


 綺羅坂も先ほどの問いに深く言及することはなく、見送りを済ませると生徒会のテントに向かい歩き始めた。

 その間、何か話ことがあるだろうかと迷ったが、結局選ばれたのは綾鷹……ではなく沈黙だった。




「焼きそばいかがですかー!」


「フランクフルトもあります!」



 開会式を終えると、生徒会のテントまで聞こえる大きな接客の声がこだまする。

 活気が徐々に高まり始め、商店街での開会式を終えて歩いて向かってきたであろう一般来場者も増えてきた。


 隣の桔梗女学院のテントは未だ無人の状態が続いているため、俺たち生徒会も同じく営業は始めていない。

 準備だけ済ませていつでも開店できる用意はできていた。


 そんな状況下、白石はやっと始まった文化祭に瞳を輝かせる。

 瞳を大きく見開き、鼻息荒く生徒たちの姿を刻み込むように凝視していた。


 俺はそんな彼女を横目に、生徒会テントに腰かける。

 机の上に置かれた献上品という名の試食用の食べ物を頬張りながら。


「湊君、口元にソースが付いてますよ?」


「馬鹿野郎……これが最先端のメイクだ」


 くすくすとティッシュを一枚取り出すと、雫はこちらに差し出す。

 わかってないな……やはり、普段からメイクをしてない彼女には難しい最先端の流行だったか。


 すぐさま口元のソースを拭うと、次なる標的もとい獲物の焼き鳥に手を伸ばす。

 よく文化祭の出し物は美味しくないっていうやついるが、正直値段も格安なうえに市販品を使っているから安定的な味ではある。

 

 下手に個性を求めた店で苦手な味を出されるよりもマシなまである。

 そんな思いで焼き鳥を口に入れた。


「あらあら、真良君口元に棒が刺さっているわよ」


「これは焼き鳥を食べていたからだ……バイオレンスなことを真顔で言うな」


 雫の隣、生徒会のテントの奥では綺羅坂が手元の文庫本に視線を落としながらそう告げてきた。

 いや、口から棒を生やしている人間なんて常識的にヤバいだろう。


 というか、痛々しくて見ていられない。

 冗談性能が低すぎる綺羅坂に、冷ややかな視線を向けていると彼女はその反応が楽しいのか口元をニヤリと上げる。



 俺たち三人の会話を姉のように優しい眼差しで眺めていた会長は、腕時計で時刻を確認すると一歩前に出る。


「そろそろ桔梗女学院の生徒も入ってくる頃だろう。食事もほどほどにな」


「食べます……?」


 生徒会テントの机の上にはまだ多くの食料が置かれている。

 出し物の食料や飲料のすべてが置かれている。


 これまで行ってきた準備のお礼を兼ねて、生徒からの差し入れだ。

 残すのも申し訳がない。


 小泉も三浦も火野君も適当に食べていたが、まだかなりの量が残っている。

 俺がもう一本の焼き鳥を差し出すと、会長は何を思ったのか黙り込み一点を見つめる。


 ……何か? 



 静かに見守っていると、会長は俺の差し出した焼き鳥を受け取る……わけではなく、そのまま口に含む。

 いわゆる「あーん」ってやつだ。


 かがんで左手で揺れる髪を耳元に抑えながら、眼前にまで会長の顔が近づく。

 わずかに会長から花のような香りが鼻孔をくすぐる。



 完全に予想外の行動に、体は硬直してしまう。

 小さく一口食べたあとは、体をもとの位置に戻してもぐもぐと口を動かす。


 そして飲み込んだ後に、俺ではなく隣とその奥に座す女性たちに勝ち誇った笑みを向けた。


「……会長とて許せない行為はあります」


「いい度胸ね……本当いい度胸ね」


 会長の見え透いた挑発行為にも効果は抜群。

 雫と綺羅坂の二人は、完全にお怒りの表情を浮かべる。


 声音は低く綺羅坂の瞳は鋭く冷たい。

 そして、雫からは優しい微笑みは消え感情を感じさせない恐ろしい意味で迫力のある表情をしていた。


「二人に言っておきたかったんだ。文化祭は競争でもあるのだぞ?」


 先輩から後輩へ、ある種の宣戦布告にも似た言葉が投げかけられた。

 バチバチと三人の視線が交錯する。


 これは完全に修羅場ですね。

 いや、ほんと小泉と三浦に白石とか完全に関わらないようにテント端まで移動しているからね。


 怖いよね、俺も怖い。

 でも、完全に三人の中心位置で腰かけてしまっていただけに逃げることは出来ない。


 そんな中、火野君に視線を向けると。


「これが……タピオカミルクティっすか!?」


 ……友達とお店に行ったことなかったもんね。

 初めての味に感動してしまったんだね。


 ……わかるよ、でもこっちも見ようね。

 最後の希望も儚く打ち砕かれて、俺はこの状況で肩身を狭くしばしの間過ごすのだった。



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