第三十話 開幕8
町の商店街には例年とは違う光景が広がっていた。
異なる制服に各クラスごとに統一された色鮮やかなシャツ。
だが、そのシャツもどこか自作の拙さが、学生たちが自ら作り上げたものだと物語っている。
普段は夕刻時にしか混雑しない商店街には多くの学生達で溢れかえっていた。
だが、学生だけではなく、他にも幅広い年齢層の人達も一様に楽しげにこの場に訪れている。
商店街で働く多くの商人たちも同様に学生たちと歓談をしていた。
本日は、過去に例のない初の試みである二校合同文化祭当日。
そして、高校だけでなく商店街を挙げて参加する町一大イベントが幕を開けようとしていた。
俺は制服姿で一人の生徒の脇に立つ。
片手に一日のスケジュールが記載された用紙を持ち、凛々しく佇む隣の女性に声を掛けた。
「会長は町長からの挨拶の後に瀬良会長と壇上に上がってもらいます。一人持ち時間は三分です」
白石の腕に巻かれた黄色の腕章とは違う、緑色の生徒会と書かれた腕章を身に着けて、生徒会役員らしい振る舞いを人前で見せる。
注目される視線も、すべて隣の人物に向けられているものだと頭では理解しているのに体に力が入ってしまう。
苦手なものは、簡単には克服できるものではない。
たとえ、それが選挙に出たからと言ってもだ。
「商店街での挨拶は簡単なもので済ませるつもりだ……それにしても珍しいな君が進んで仕事をしているのは」
「……一応、会長補佐なんで」
選挙で来期の生徒会の会長補佐として当選したからには、それ相応の姿を生徒の前では示さないければならない。
ましてや、文化祭という一大イベントで生徒の眼前に立つ状況であればなおのことだ。
俺の後方では小泉が商店街の人に女学院側の生徒を交えてタイムスケジュールについて最終確認をしている。
三浦もタブレット端末を片手に数字と睨めっこを続けいた。
唯一、火野君だけは開会式のため混み合う状況を苦手としたのか、むしろ生徒たちが彼の強面に苦手意識を持ったのか通路の隅っこで身を隠していた。
生徒会に加入して約半年が経過した現在でも、彼の身の回りの交友関係には進展がないらしい。
ここで一歩生徒に対して歩み寄る勇気か、反対に周りから彼に接しようとする度胸があれば少なからず現状のような孤立した状況は脱せするはずだが……現実はうまくいかないものだ。
それは彼だけに限らず言えることで、俺もそして雫や綺羅坂達も自分自身なりに上手くいかないことは多くあるはずだ。
「今日は神崎は一緒じゃないのか」
会長は周囲を見回してそう言った。
いつでもハッピーセットと思われているのはいささか思うところがあるが、問いに答えるように視線を会長が見ていた先よりも更に後方に向ける。
ただ集まるだけで統制もなく、ざっくばらんに広がる生徒の中でも一際目立つ存在感を放つ場所がある。
「雫ならクラスの奴らに挨拶行くって……あそこですね」
今日も今日とて微笑みを絶やさず、生徒たちと談笑していた雫の姿を捉える。
多少、立場が変わったところで彼女のクラス内の立場が変わったわけではない。
何もしていなくても、自然と周りに人が集まる。
そして、求められる立場や役割がある。
それが本人の望むものであっても、そうでなくてもだ。
雫は周りの癒しであり、中心であり、行動の原動力である。
大きな歯車で、彼女がその場所にハマることで動き出すのがクラスという集合体だ。
そして、荻原優斗も同様に大きな歯車である。
その二つの大きな歯車が当日、初めて揃ったのだから周囲の盛り上がりは最高潮だ。
「クラスの状況とかその他諸々……生徒会の手伝いをしていてもクラスの中心である事実は変わりませんから」
ワイワイと、これまでの苦労などを雫達に言って聞かせていたクラスメイト達を離れたところから眺めて思う。
青春ドラマや漫画でよく聞くセリフで「彼女が俺の青春だった」的なやつがあるが、果たしてあれは本当に青春なのだろうかと疑問に感じるときがある。
本人からすれば甘酸っぱい学生時代の良き思い出なのだろう。
恋焦がれ、儚く散った希望や幻想を時折思い出して物語の語り部となって言うのだ。
あの時が一番輝いていた……なんて。
実際、俺の親父も学生時代をそう語っていた。
人生において、一番記憶に鮮明に残り眩しく輝いていた時代。
所詮、記憶は自分自身の主観で形成されているから、文句などを言うことは出来ないのだが、仮に今のクラスの状況を思い出として語るのであればしっかりと混沌という単語は入れてもらいたいことろだ。
クラス規模で集まってはいるが、視線は二分化されている。
女子は優斗、男子は雫。
クラスメイトが互いに余計な行動や勧誘をしないように意識を張って、一人一人がけん制し合っている。
なにこれ……なんの修羅場ですかね。
文化祭に学園の王子様、ヒロインを連れて歩きたいという願望は理解できないが百歩譲って頷いておこう。
純粋な恋心からくる誘いであれば、それは清い行動なのだろうが、一概には言えない。
俺は私は、学園の中心人物を連れて歩いているぞという一種のブランドをぶら下げて歩きたい願望が見え隠れてしている。
そんな、自分勝手な理想を思い抱き、相手にそれを求める。
そして、生徒の願望が剥き出しになる代表的なイベントがこの文化祭なのだ。
きっと、今雫の周りを囲んでいる男子生徒の多くは、数年後にはこの時の記憶を引っ張り出して「ヒロインを巡って男子生徒たちは激しい争奪戦を繰り広げていた」とか言ってしまうのだ。
ならば、ちゃんと「混沌とした争奪戦」と一言入れてね。
湊君との約束だぞ。
そんなことを考えながら眺めていると、会長は違う方向へと視線を向ける。
「……まあ、生徒から注目されていても依然とした奴もいるがな」
人混みの端、商店街に並ぶ店の壁面に背を預けて一人瞑目して佇む姿。
彼女だけが放つ唯一無二の雰囲気と無意識に集めてしまう整った容姿の綺羅坂がいた。
一人、孤高であり学園の中心でありながらも彼女だけは例外的な行動をしていた。
あれは、おそらく縛られることを嫌う、そして誰も縛ることができないタイプの人間だ。
だからこそ、周りも興味があっても声を掛けられない。
掛けてはならない、そこに一人佇んでいることで完成される絵画のように。
「あれは例外です」
思わず苦笑と溜息が零れ出る。
雫とは対照的な光景が、彼女が周りから妄想すらさせない即断毒舌であるからこそ無駄だと悟らせるのかもしれない。
実に効率的で自分に負担のない対応だ。
周囲から特別だと思われているからこそ、対応は実にシンプルで完全な拒絶。
となれば、男子生徒に夢想すらさせない。
思い出したとしても、苦々しい思い出だけで逆に胸の奥底に隠しておきたいまである。
俺なら思い出した度に彼女の冷笑と冷ややかな声音、そして体の芯まで凍り付くような鋭い視線を思い出してガクブルしているに違いない。
「会長の見立てで構わないので、時間に余裕がありそうな時間帯を教えてもらえますか」
スケジュールを確認しながら、会長に問う。
その問いに、目線を少しだけ上に向けて思案顔で唸ると、会長は細い腕に巻かれた時計を確認する。
「そうだな……開会して二時間は人が溢れるだろう。だが時間帯的に昼の間は主食となる出店に人が集まるだろから、正午あたりであれば交代制で文化祭を楽しむ時間が作れるはずだ」
……十二時か。
確かにスイーツは主食にはならないから、その他の塩気が欲しいところだろう。
俺も昼飯は適当に買って食べるつもりではいたから、ちょうどいい。
そう思い、手に持った用紙の余白に「正午、交代可」と殴り書きで記す。
「何か気になるクラスでもあるのか?」
尋ねられた言葉に首を横に振り否定する。
正直、準備で頭がいっぱいだったからどのクラスがどんな出し物をしているのか把握はしていても興味は湧かなかった。
ただ、約束があるための問いだ。
「いえ、ただダブルワークが入ってましてね」
適当に、話をすように言葉を発する。
しかし、会長はその一言で何を考えているのかを当てて見せる。
口角を上げてニヤリと面白いおもちゃを見つけた子供のようだ。
「あぁ……私もその仕事のシフトを入れても構わないかね?」
「ご冗談を……仕事のやり過ぎでブラック企業として訴えられますよ」
「それはどこの会社なのだろうね」
真良株式会社ですね。
労働時間には厳しいで定評ありますよ。
残業したら即刻退勤を命じられますからね。
会社の社訓は「頑張ろう、でも疲れたら頑張るのをやめよう」ですからね。
なんてホワイトなのだろう。
「さ……十分前です、そろそろ移動を」
壇上に登壇する予定の人とは思えない余裕で表情を綻ばせている会長の背を押して、目的の場所まで歩を進める。
すると、年相応の女性らしく拗ねた様子で文句をぶつくさと呟いていた。
その大半をスルーして進んでいると、会長は顔だけを横に向けて言った。
「では、文化祭の代わりに開会式では私をしっかりと見ていてもらうとしよう」
その一言で押していた手を止めて、少し先で体を反転させた会長と向かい合う形で静止する。
音もなく差し出された手のひらは、小さく白く彼女も自分と一つしか変わらない女の子であることを再確認する。
言動や立ち振る舞いで忘れてしまうが、この人も人間で完璧を体現しようと努力している人なのだ。
「……安心してください、それ以外に特に見ている場所ないので」
差し出された手を軽く叩いて合わせるようするとハイタッチのような快音を鳴らして会長は身を翻す。
大丈夫……そんなことを言われなくても会長としての最後の晴れ姿を余計なことで見逃すつもりはない。
「おはようございます」
会長を送り出して背を見送っていると、後方からもう聞きなれてしまった声が届く。
昨日までならうんざりしていたところだが、当日になると意外にもそう思わない。
振り返って正面で相対すると勝気な瞳を見据えて挨拶の言葉を述べる。
「ども」
……まあ、お世辞でも親しい間柄ではないので声音は低く適当な言葉が無意識に口からこぼれ出る。
相手の瀬良も特に気にしていない様子で、自信に満ち溢れた微笑みを浮かべていた。
開幕一番からその表情はどうなのよ。
あれですか、お前一人で寂しい奴だなとでも言いたのだろうか。
言っておくが、俺は一人なのではない、独りなのだ。
いや、よく分からないね、俺も分からない。
瀬良も壇上に上がる準備のために通りかかったのは言わずもがな分かっていることだが、話しかけたのだから要件はあるのだろう。
そう思い、続く言葉を待っていると期待通りの言葉を言い放つ。
「今日は何が何でも勝たせていただきますので」
彼女の意識は柊茜との勝負で埋め尽くされているのだろう。
彼女が望んだ形ではないにしても、訪れた機会に前のめりの気持ちが隠しきれていない風に見える。
「頑張ってください……俺も小腹が空いたら買いますんで」
会話を早々に切り上げて、早く一人落ち着いた場所で開会式を眺める場所を見つけたいのだが、それを阻むかのように瀬良は言葉を続ける。
「そこは売り上げに貢献しないのが普通ではないのですか」
何か裏でもあるのではないか……目を細めて問うた瀬良に対して思わずため息が零れる。
俺ごときが裏工作をしたところで、あなたなら看破できるだろうが、なんて本音を零すことはせずに純粋に思い浮かんだ言葉を投げかける。
「ただ優先順位が俺とあなたでは違うだけです……正直、俺には勝負よりも無事行事が終わる方が重要なので」
生徒会として同じ立場にある人間が、勝負にだけこだわっている時点で文化祭が滞りなく終わるかどうか不安になるだろうが。
しっかりと頼むと瀬良さん……なんてフレンドリーには言えないので、優等生のような模範解答を答える。
白石なら完全にこの回答を選んでいただろうな。
最後に「それに……」と続けて、改めて目の前の先輩を見据える。
「妹がいる店に行かない兄がいますかね」
……決まった。
これは完全に相手は何も言い返せなくなってしまうパターンですね。
自信満々で告げ、反応を窺ってみたら予想とは反して引くような表情を浮かべられていた。
あれ、これは完全に普通は行かないパターンですね。
全然決まってませんでしたね。逆にシスコン認定を決められてしまいましたね。
瀬良は苦笑いを浮かべただけで隣を通り過ぎて行った。
……何か言ってくれよ。
さては、無視が一番精神的なダメージが大きいってことを小学校で習わなかったのか。
あれはボッチの流儀第一巻で習う必須科目だぞ。
しかし、面倒な人が去ってくれたことで楽になったのは間違いない。
適当な商店街の壁面まで移動して、開会式が行われるステージを眺めて待つ。
そして、しばらくして、生徒たちの大きな賑わいの後に町長、そして柊茜と瀬良が登壇して開会の宣言が行われた。
俺の生徒会役員としての初めての桜祭が始まりの瞬間を迎えた。
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