第三十話 開幕5


 社長こと綺羅坂怜弥との対談から一週間が経過した。

 その間に、桜祭の準備は飛躍的に進んだことになる。


 合同企画が確定したことで、商店街、桔梗女学院が使用する市民会館ホール、そして桜ノ丘学園を結ぶ移動手段の確立。

 それに伴い、二校の生徒会の出し物が確定して、問題だった部分は一通り目通しはついた形となった。


 結果、目下の杞憂がなくなった白石は一年生ながらも手腕を惜しみなく発揮して、他学年の実行委員会をまとめ上げた。


 全生徒と言葉を交わし、問題点を把握して、適材適所の担当生徒に問題をあたらせる。

 一見、白石自身は何もしていないよ思われがちだが、初の文化祭なのに問題点を修復するだけの知識と判断力、そして先輩に臆さない度胸は大したものだ。


 大体、組織運営の長は指示系統の確立、運営が主なのだから彼女自身が動くことが少ないのは当然か……


 それに、優斗はやはり人望が厚く生徒間のトラブルが発生した場合は大半が彼に仲裁を頼んだ。

 円満とはいかないが、妥協点を必ず見つけて納得させて和解させるのだから、彼の存在はスクールカーストにおいては抜きん出ていた。


 そして、雫と綺羅坂だが二人は生徒会に近い仕事を行っていた。

 綺羅坂には三浦と共に経理で予算の抽出やクラスの出し物に応じた予算分配の変更。


 元々、三浦がその手の能力に長けていたのだが、綺羅坂が加わったことで問題はまるでないと会長は言っていた。


 流石、定期試験で学年一位の座に鎮座しているだけはある。


 雫は当初、優斗と同じく生徒対応を任されていたのだが、本人自らの打診があり暫定的ではあるが生徒会に加わった。


 なので、会長、俺、雫の三人は主に生徒以外の場所で活動をしていた。

 つまりは、来客対応的なやつだ。


 文化祭が合同になったことで、商店街の人や桔梗女学院の生徒、他にも噂を聞きつけた個人経営の人間が来校することが増えた。


 職員が対応するのにも限界があり、まずは生徒会が用件を伺ってから担当となる教員へ割り振るということになったのだ。


 それがまた面倒なことで、利益……お金が発生する問題なだけに欲が多いといえばいいのだろうか、個人的考えが強い、協調性のない提案を打ち出す人間が非常に目立った。


 全てを叶えることなど不可能であり、そして学生の文化祭である。

 本来は主役は学生なので、要望を聞いてもらう側なのにこの対応。


 本末転倒、会長が文化祭に否定的だったのもこれを見越してのことだったのだろうかなんて考えまで最近では思い始めた。


 だが、俺は妹の楓を通じてだが桔梗女学院の生徒会との連携を行なっていることもあり、負担を分担させるために雫が多く対応してくれていた。


 今も隣で来校した婦人会とやらの人間と相談に乗っていた。

 今日の来校者は雫の担当で最後、胸に溜まった息を大きく吐き出して体を伸ばす。


「今日も人数はそれなりだったな」


 隣で会長も少し疲れたように苦笑して告げた。

 俺の倍は数を捌いていた人の表情とは思えない。


 俺なら完全に机の上に倒れ込んでいるレベルだ。

 それをケロッとした表情で言ってのけるのだから、会長のコミュニケーション能力と対応力は底が知れない。


「… …そうですね、文化祭もあと一週間ちょっと、大詰めに入りますから」


 来校者対応の教室にあるカレンダーを見て告げる。

 10月の20には大きく丸がつけられているカレンダーだ。


 そこは文化祭当日。

 現在は10日の木曜日だ。


 明日の金曜を終えると週末の休みが挟み、いよいよ次の週末には文化祭当日を迎えてしまう。


「大きな問題だった女学院側との話が終わってからはスムーズでしたね」


 俺の隣、反対側でご婦人対応していた雫が微笑んで声をかけてきた。

 気がつくと女性の姿はなく、彼女の本日の仕事も終了したようだ。


「まあ……終わったってよりか、楓がつっぱねてるみたいだが」


 思わず苦笑いを浮かべながら、先日の楓との会話を思い出す。

 唐突な呼び出しを受けた俺達の身を案じていた雫、それに妹の楓を集めて事情の説明を行った。

 

 文化祭でのバスを貸し出ししてくれること、そして俺と社長との会話。

 俺が名指しで呼ばれた理由を含めてありのままを伝えた。


 本来、話題は明るくて良いものなので和やかに行われるはずの会話も、俺の個人的な問題が含まれた途端にシリアスと化す。


 ……ごめんね。

 面倒な人間でごめんなさい、生まれ変わることがあれば猫になりたいです。

 飼い猫になって働かないでご飯をもらって昼寝をして過ごしたいです。


 ……犬でも可。



 そんな時に我先にと声を上げたのが楓だった。


「私が女学院側の問題を請け負います!」


 最近、少しずつ大人に近づいてきた楓が胸を張って告げた言葉に横槍を入れる。

 負担を請け負うと言っても、どのような問題が発生するのか分からない。


 それに、妹に苦労を掛けるのも兄としては気が引ける。


「本来、うちの生徒会から兄さんに投げかけられる質問や要望等は私が対応します。家族だからこそ情報共有は容易ですので、逐一電話で対応をする必要はありませんから」


 心配は不要とこちらに微笑む姿を見て、零れ出そうだった反対意見を押し留める。


 確かに、電話での情報共有だけでは認識の違いが起きる可能性はある。

 それに相手の高校の生徒である楓は適任と言えるだろう。

 

 瀬良も楓を一定の評価をしていたから、この提案を断ることはない。

 むしろ、こちらの情報を手に入れられる好機と捉えるはずだ。


 曖昧な立ち位置で状況に放り込まれる前に、楓自身も役割を決めていた方が楽になるまである。


 兄である俺が何も言わなかったことで、一同は妹の提案を受け入れることになった。


 結果、双方の事情を知っている楓は、不要な情報や提案を自分の段階で解決して、事後報告だけを受ける形となっていた。


 我が妹ながら優秀である。

 お兄ちゃん、鼻が高いを通り越して折れてしまいそうだ。




 夕焼け色に染まる教室で、雫と会長が手元の書類を整理している音を聞き、回想に老けていた意識を戻す。


 俺も自分の身の周りを片付けながら僅かに焦りを感じていた。


「湊くん、どうかしましたか?」


 止まっていた手に気がついた雫が尋ねた。

 向けられた無垢な瞳から気がつくと逃げるかのように視線を逸らす。


「いや……」


 誤魔化すように再び動かす手とは裏腹に、脳内では一つの問題だけが停滞したかの様に浮かび上がっていた。



 未だ自分自身の姿は瞳に映ることはない。

 十数年間も見えていなかった自分自身を、指摘されたからすぐに見えるようになるとは思っていない。


 だが、時間だけが過ぎ去る現状に何も感じないほど無神経でもない。

 

「社長さんに言われた言葉を気にしているんですか?」


「……」


 何を考えているかなどお見通しかのように、雫は当ててみせる。

 会長も動かす手を止めはしないが、意識と視線だけは向けている。


 長年の付き合いは些細な変化を見逃してはくれない。

 

 今回の一件で、何よりも恐れたのは雫に対してだ。

 彼女の言葉に俺は応えられていない。


 他に俺自身が好いている相手がいたからでも、付き合えない理由があって彼女が好意を寄せてくれたのを断ったのではない。


 他人を好きになるという感情が俺には分からなかった。

 家族へ持っている好きという感情と何が違うのだろうか、そう本気で思っていたのだ。


 今でも、明確な答えは分からずにいる。


 でも、雫もある種のケジメだと言ってくれた。

 自分自身がこれから変わっていくのだと、そう言っていたがあの日から雫に対して負い目を感じているのは否定できない事実だ。


 それが、恋心どころか自分のことすら理解できていないとまで言われてしまったのだ。

 告げられた言葉をありのまま伝えた瞬間に雫がどう感じたのだろうか。


 

「珍しいですね、湊くんが他人の言葉で心が乱れることは」


 そう告げると雫は笑って見せた。

 雪のように白い小さな手で口元を隠しながら俺を見据える。


 しかし、よく見ると微笑むというよりはニヤついている。

 目は息子の変化を眺める母のような、そして口元は口角が上がりとてもムカつく表情をしていた。


「私のよく知る真良湊なら『それはあくまで一個人の意見であって正解ではない』と言いそうですけど」


 表情はニヤついてからかうようなものだ。

 しかし、瞳は至って真面目なものだった。


 微笑は次第に真剣な表情へと変わり、そして声音は徐々に小さくなる。

 彼女の整った容姿と差し込む夕焼けが相まって、儚くも幻想的な雰囲気を雫に与えていた。


「仮に私が告白したことに対して負い目を感じているのであれば、それは気にしないでください……湊君が納得できる答えを出すまで私は待ちますから」


 横に顔を向けてこちらを見据えた雫の表情には、嘘偽りなく本心からそう言っていたように見えた。

 だが、それも束の間、どこぞの誰に影響を受けたのか嫌なことを思いついたかのように口角を上げてにじり寄る。


「でも、湊君が私に対して何かしらの引目でも感じているのであれば、文化祭でご一緒して貰えると嬉しいです」


 ニヤついた表情もすぐに天使のように輝かしい微笑みへと変わる。 

 純粋に文化祭を楽しみたいという感情が、彼女の身に纏う雰囲気が示しているようだった。


 ……もう文化祭は目前にまで迫っているのだ。

 自分の問題で生徒会活動に支障をきたすわけにはいかない。


 頭の中から、数日間占めていた問題を消去して、目先の問題と周りの人間への対応へと 意識を移す。


「……生徒会の仕事があるから時間は短いぞ」


「はい!それでも構いません」


 思わず目を逸らしてしまいたくなるほどの輝かしい笑みで返す雫に、苦笑が溢れる。

 この笑顔に幾度となく救われてきた。


 ……何か奢ってやるか。

 そんな考えを抱きながら、俺たち三人は放課後の視聴覚室へと向かい歩き出す。


 文化祭まであと10日。

 無駄にしている時間はない。


 なんて、格好良く歩き出したはいいものの、喧騒の音が大きくなるにつれて溜息が溢れてしまうのは何故でしょう?

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