第三十話 開幕4


 まるで、こちらが押し黙ることを悟っていたように、社長の言葉は続く。


「内面を意図的に隠して会話をする人間は多くいる、だがどれだけ完璧に形作ったとしても僅かに零れ出る情報があるものだ……しかし、君はどうだろう」


 ハッキリと、裏表がない性格だと言われた方が何倍も楽だったことだろう。

 だが、眼前のこの人は足元から少しずつ分析するかのように言葉を紡ぐ。


「言葉や行動から人物像は分かったとしても、その先の情報は全く見えてこない。作品の本質が理解できないまま映像を観させられているようだ」


「……酷い言われ様だ」


「端的に分かりやすく表現したつもりだったが、気を悪くしたのであれば謝ろう」


 謝罪の意など微塵も感じない言葉に首を振って断る意思を表す。

 憤慨する要素は一つもない。


 言葉の本質的な意図は分かったつもりだ。

 それに綺羅坂の父親であることも、鋭い指摘で不快に感じなかった理由なのかもしれない。


 彼女の冷たい対応がこんな場所で耐性を発揮するとは予想外だ。



 だが、”本質が理解できない”

 この一言に、社長が俺に対しての印象の全てが詰め込まれているようだ。


 ……自身の本質など、俺は分かっていないのだろう。

 


 常に意識してきたのは他人からの評価、総合的な自分の立ち位置だ。

 どう見られて、どう接するのが適切なのか。


 面倒な役割は避けて、自分が間違えと思う行動はとらない。 

 それが真良湊にとっての正しい選択であり、自分の内面と真摯に向き合ったことは記憶には無い。


 日々の過ごしも惰性で過ごしているに過ぎない。

 輝かしい夢も希望もありはしない。


 あるのは、この先もただ繰り返される日常の先で、自分はその場の最適解を選んでいるのだろうという考えだけ。

 役割を与えられた物語の世界とは違う、ありふれた人間の退屈な日々。


 

 身近で眩しいほどの光を発している人を目にして、終(つい)ぞ自分もそうなりたいとは思わなかった。

 人間、自分以外にはなれないのだと子供でも理解していたから。 

 


 だからこそ、社長の言葉に言い返せない……言い返さない自分がいた。

 誰と話していても、どこか心ここにあらずというのだろうか、目の前で話しているのに少し離れた場所から判断をしていて、行動の成否を問うている。


 判断基準が感情的なものではなく、客観的に見てどうかという判断の仕方が無意識のうちに当たり前になっていたのだ。

 

「私が偉そうに言えたことではないが、さぞや評価を得られない人間だろうな、君は」


「……周りから評価されるような人間ではないですからね」


 皮肉もここに極まり。

 普段のように返した言葉は、苦笑で再び俺の元へと返ってきた。


 しかし、瞳からは慈愛にも似たものが浮かんでいる。

 ……可哀そうな人を見る目ではないことを祈りたい。


「昨今は目に見えた数字と外見的な判断要素で人を評価する傾向が強い……秀でた才能も社会の言う一般的な評価の対象外でなければ意味はない」

  


 

 社長はおもむろに立ち上がると、俺達の周りを回るように歩く。

 零れ出た言葉には社長自身が感じていた不満が滲み出るように、声音が低く暗い。



 確かに、このご時世は目に見えない基準があるのかもしれない。

 個性や人物重視と言いながらも、個性の溢れる人間は逆に浮く形となり冷たい目で見られ、人物重視と言いながらも学力がものを言う。

 いや、ほんと嫌なご時世ですねこれは。


 学力に関して言えば、その人が積み上げた結果なので言うとすれば学力や卒業を審査項目にしていないとか書くなってくらいだ。

 個性に関しては……正直、天職を見つけてくれと言うしかないのだろう。


 結局、個性あふれる人間は集団では馴染めずに一人の道を歩む。

 その結果、ネットでの職業が増えた。


 しかし、そんな人ほど一般的な人よりもリスクを背負わされている。

 周りはごく普通に発している言葉も、ネットを介して思わぬところで零れ出ただけでその人の人生を左右しかねない。


 

 願わくば、将来は宝くじを当てて人目につかないところでぬくぬくと過ごしていたい……



 完全に俺の思考は明後日の方向へと突き進む中、社長の話は続く。

 どこまでも、それはどこまでも続く。


「一つ質問を変えよう、最近では仕事の取り組み方や日々の暮らしにおいて「これだから最近の若者は」と年齢の高い人が蔑み「時代遅れだ」と若者が嘲笑する……そんな場面が多いがどう思う?」


 コツコツと革靴の底を鳴らして俺と会長の真後ろで立ち止まる。

 頭上から投げ出された問いに、少し思案顔を浮かべて一考した。


 正しいかは別として、俺の答えはすんなりと出てきた。


「……別にどちらも間違ってはいませんね」


「ほう……続けてくれ」


 興味深そうに社長は続きを話すように促す。 

 これまでの会話のやり取りで詰まっていた息を吐き出すと、思い浮かんだ言葉を告げる。


「両者の常識や環境が違うんです……昔は今はなんて議論すること自体が間違っている」


 確かに最近の若者は根性がないなど、主に精神面などで言われることが多い。

 だが、それは生まれて育った環境が昔と今では大きく異なることを考慮していない。


 常に考え方の中心には自分自身がいて、否定的な意見は間違いだと謳うのだ。


 過去の常識は現在では通じない。

 また、現代の常識は将来には通じないだろう。


 ならば、そんな問題を考えること自体が間違っている。

 どちらも意見としては正しいのだ。 



 


 ただ、その事実を受け入れられないのもまた人間だ。

 結果、若者が……時代が、なんて意味のない言葉のやり取りを幾度も繰り返してきている。


 そして、一つの結論に辿り着く。


「両者の意見はどこまでも平行線なんだと思います……」


 決して交わることはない。

 分かっていても、理解できても心のどこかで拒絶する。


「悪くない答えだ」


 社長は後方から姿を見せる位置にまで歩みを進めると、再び鋭い視線でこちらを見据える。

 すでに、俺の中では文化祭の話など意識の外にいた。


 この人の瞳には俺がどのように映るのか、言葉のやり取りでどう変化するのかだけが脳内を埋め尽くす。

 会って間もない、言ってしまえば友人の親というだけの関係性。


 しかし、俺の中で既に綺羅坂怜弥という人物は強く印象付けられていた。

 おそらく、生涯忘れることは出来ないだろう。


 面と向かって「自分自身が見えていない」と言われたのだ、当然だろう。



「近年は大人子供に限らず考える能力が低いのだ……周りの視線や根拠のない情報が飛び交うことで自分の考えではなく他者の総意が正解となってしまう、だが忘れてはいけない……人間の最大の武器は考えることだ」


 質問の回答を聞き、社長はそう告げる。

 


「君の瞳は自分自身を知らない人間のものだ。自分が何者か、何をすればいいのか、楽しいとは何か、様々な状況において周りとは一線離れた場所で眺めている」


 会長も綺羅坂も、全ての人の意識を集めて再度断言すると、張り詰めている室内の空気を変えるためか溜息が零れ出る。

 


「学生だ、色恋沙汰も多かろうが君は何よりも楽しむ、自分の感情を優先させることを考えるべきだ……そして、それを教えてあげられるのが怜、それに茜……そして君の幼馴染みのような自分を理解してくれる人間だ」


 綺羅坂に、そして次に会長へと向けられた視線は我が子を見守る優しい父親のものだった。

 我が家では感じたことのない、暖かくそして我が子を信頼しているようなものを感じた。


 最後に俺を見据えた瞳は、これまでよりも柔らかいものだった。



「真良湊君、私は君を見た時にとても偏った人間だと感じた、子供らしくない……だが裏を返せば考える力は身についているのだ、あとは自分自身を知ることだ」


 そう言って、ソファから離れると高そうな椅子に腰掛ける。

 机の上に残った一つのファイルには、バスの貸し出し許可の書類が挟まれていた。


 綺羅坂は分かっていたかのように、会長は呆れたように視線だけを社長に向ける中、俺だけが状況の理解に時間が掛かる。


「あの……バスをお借りする話は?」


 俺との会話には終始文化祭の話題は出てこなかった。

 主に人間性、今後についての助言ともいえる話だけが俺の記憶には残っている。


 最後には直接問うと、当然とばかりに言って返された。


「そんなもの最初から貸し出すと決めていた。最初に脅しかけたのは君の反応を見るためだ」


「あぁ……そういうこと」


 その後は社長は口を閉ざしたまま、三人で席を立つ。

 広く入室するときは重く感じた扉も、出る時は軽いものだ。


 安心感と開放感、そして残った胸のざわめきの鼓動だけが耳に届く。

 だが、扉が閉まるほんの僅か前に「また話す機会もあるだろう」と言っていた。


 正直、今日告げられた言葉を理解して、自分なりに納得するまで会いたくはないのだが、どうやらそれは難しそうだ。

 再び相まみえるのは、俺が思っているよりも案外近いのかもしれない。


 

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