第三十話 開幕3


 綺羅坂怜の父、綺羅坂怜弥(きらさかれいや)は以前に一度だけ会ったことがある。

 日本有数の大企業、綺羅坂グループを統括する日本経済界の重鎮。


 一見、スラっとして細く見えるが、近くからだと力強さすら感じる。

 顔つきは綺羅坂よりも鋭さを感じる瞳だが、パーツの一つ一つが整った容姿をしていた。

 髪も短く整えられ、前髪はオールバックのように上げられている。


 娘からどんな話を聞いて興味を持たれたのかは不明だが、前回もこの人は多忙の中で時間を割いてまでわざわざホテルまで足を運んだ。


 ホテル側も慌てている様子が見て取れたことから、急遽の訪問だったのだろう。

 娘もそうだが、この人も相当な自由奔放さだ。


 だが、雰囲気が、佇まいが目の前の人物が俺の想像している以上に大きな人物であることを伝えてくる。


 向けられた瞳は感情の一切を読み取らせることはない。

 子供と戯れるために呼び出してなどいない。


「君と会ったのは夏前だったね、相変わらずで何よりだ」


「……こう見えても体は丈夫なので」


 足を組み、両手を合わせて綺羅坂怜弥こと社長は呟いた。

 脳内で目の前に相対する人が綺羅坂の父親であると同時に、一企業の社長、そして今回の文化祭のスポンサーでもあると考えると、余計な思考が働いてしまう。

 だから、余計な考えを削ぎ落とす。


 言葉に適切とは思えないが、下手に取り繕うことなく返す。


 普段と変わらぬ態度に綺羅坂は微笑を零し、会長は苦笑を浮かべる。

 周りからは不遜な態度を取っている若者に見えているのだろうか。


 生憎だが、人に応じて面をコロコロ変えられるほどのコミュニケーション能力は培っていない。

 しかし、その態度が目の前の人物には好感を持たれたのか、口元に薄っすら笑みが見て取れた。


「体は大事にしなさい。だが私が言ったのは健康的な意味ではなく君自身の精神的なものだ」


 自分の胸のあたりを指先でツンツンと叩いて言った。

 まるで、すべてが分かっているかのように、悟ったように。


 以前会った時とは、少なからず変わっているはず……そんな感情が俺の中で渦巻くが、それよりも先に言葉は続く。


「長年、国境を問わず様々な人と接するから分かるのだが、変わった人間は瞳も自然と変わるものだ、だが君の瞳は何も変わっていない」


「瞳ですか……」


 偶然、壁面に取り付けられた姿鏡が隣にあったことから、自身の瞳を確認する。

 黒く、淡く、濁ったような瞳だ。


 雫や綺羅坂、会長達のように澄んだ瞳ではない。

 俺、今度からこの人に会う機会があればカラーコンタクトしてこよう。


 それはもうキラッキラのやつ。

 色付きで「これが真良家に伝わる秘術です」的な中二病発言する可能性すらある。


 しかし、発せられた言葉には、否定することのできない重さに近いものを感じたのもまた事実だ。

 人並み外れた観察眼を持っているのは、この人がこれまでに生み出してきた結果が何より物語っている。


 一方、俺には否定できるだけの結果は無い。

 それでも、何も言えずに黙り込むのと、言い返すのとでは相手に与える印象は違う。


 今回は文化祭について呼び出されている分、子供のように甘えた状況は作りたくない。


「変化を成長に繋げられるとも限らない……退化になるかもしれないですからね」


 なんて、屁理屈もいいところの言葉で返すと、父親の隣に座る綺羅坂がクスクスと笑いを零す。

 ……別にギャグを取りに行った発言ではなかったのだが。

 少しだけ冷ややかな視線を彼女に向けていると、俺の隣に座っていた会長が軽く頭を叩いてきた。


 小気味いいほどの音が室内に響き渡る。


「おじ様、申し訳ございません……真良、少しは気を付けて発言しろ」


「相変わらず茜はお堅いな……今は私以外誰もいないのだから気にするほどでもない」


 俺の頭を軽く掴んで頭を下げる会長に、渋々抵抗することなく頭を下げた。

 しかし、相手は毛ほども気にしていない様子で言った。


 僅かに隣から零れ出た吐息が、安堵と呆れから出ているのは聞くまでもない。

 頭を上げて再び社長と視線が交わると、そこには先ほどまでの優しい笑みは無い。


 これまでとは向けられる視線の質が根本的に異なっていた。

 この先に彼の口から告げられる言葉が、今回の要件の本質であることは俺だけでなくこの部屋にいる全員が予感していた。


「その通りだ、だから私は言ったはずだ『相変わらずで何よりだ』と……私は君が下手に変わってしまうのが嫌だったものでね」


 実に個人的な意見を、本人の前で平然と言う。

 その大胆さは娘さんにまでしっかりと遺伝していますのでご安心を。


 しかし、変わらないことを望んでいると言われたのは初めてかもしれない。

 決まって周りは変化を求める。


 企業の上に立つ人間であれば、なおのこと変化というのには敏感で願っているのではないだろうか。

 

 しかし、俺の考えを答えるように綺羅坂の父からは言葉が紡がれた。


「何故私が君をそこまで気にしているのか、ただ単に娘が君を気に入っているからではない」


「……」


「無論、知るきっかけとなったのは娘だ。しかし、君は周りとは違う点がある」


 そう語る社長の言葉に三人は静かに耳を傾ける。

 少なくとも自分が特別な人間ではないと自覚しているからこそ、この先に何が語られるのか興味はある。


「学生は人生の中で唯一同じ年頃の人間が公平に集まる場所だ、肩書の上下関係は無く集団での暮らし故に人間性は環境に染まりやすい」


 向けられたはずの瞳は、影を落としたように暗く沈む。

 人間が集団の中で染まるのは学生だけではない、社会人だって同じだ。


 人間は自分自身が置かれている環境に適応するために、少なからず同じ色に染めて過ごしているのだ。

 善悪の判断が薄まるのは、周りが同様のことをしているからという無意識の考えから生まれるものが多い。


 それ故に、世の中には多大な差が生じる。

 恵まれた環境で暮らせばそれが当然になる。

 悪い環境にいれば、それも当然となってしまう。

 

 これが当たり前なのだと自分自身の考えを否定して、少しずつ染まっていくのだ。

 

「中学は家庭の事情や自らの意思でない限りは小学校の延長線上、義務教育と言われているのも幼い故。大学となれば年齢の幅は格段に広がる……だから高校生である君に注目しているのだ」


 足を組みなおして、そう語る社長の表情は真剣そのもので、背筋が伸びる。

 怒られているわけでもないのに、言葉一つで自分自身の行動や言動を振り替えさせられるような、そんな感覚を味わう。


「私は娘の才能を誰よりも理解している、そして君の隣の茜についても同様だ。他にも怜の話には似たような才能や能力を持つ生徒が二人ほどいるらしいね」


 父親の一言に、隣の娘は余計なことをと顔をしかめる。

 意外も意外、綺羅坂の口から雫と優斗の話題が出ていたのは驚きだ。


 優斗については正直綺羅坂自身が認めているのか分からない部分が多いが、雫に関して言えば綺羅坂も一定の評価をしているのだろう。


 互いの不仲と評価を照らし合わさないのが、綺羅坂の美徳だ。


「……幼馴染と中学からの友人です」


 逸れていた視線を戻して、社長からの問いに答える。

 俺の言葉を聞き、頷くと話は続きへと戻る。


「才ある者に人は魅了され憧れる。それが身近に数人も存在すれば必然的に周りの人間には多大な影響力を及ぼし変化させるものだ……だが、君は依然として変わっていない」


 ようやく一息ついたところで、社長は自身の体をソファに預ける。

 嘆息に似た息を零して、じっとこちらを見据えてくる。


 興味深そうに、奇妙な物でも見るかのような視線が嫌というほど向けられる。

 これまで雫達と共にいた時に向けられていたものとは根本的に異なる視線。

 何故だろうか、とても嫌に感じた。


 自分の中まで深く入り込まれている、そんな感覚だ。


「憧れたところでその人にはなれませんから……憧れた人に近づこうと進む人もいれば、諦めることを選択する人もいる」


 ポツリと、口からはそんな言葉が零れ出ていた。


 これまでの身近人生の中で、幾度となく思い知らされた残酷なまでの現実。

 そして、憧れながらも自分には無理だと諦めた人を少なからず見てきた。


 近くに優秀過ぎる人間が多いからこそ、否が応でも見させられてしまう現実というものだ。


「なら、君はどちらを選択した?」


 俺の言葉を聞いて、社長は問うた。 

 どちらを選択したのか、答えはすぐには浮かんでこなかった。


 いや、それ以前に俺は選択をしたのだろうか。

 雫や綺羅坂達のようになりたいと、彼女達のようにはなれないから諦めるという選択をしたのだろうか。


 そもそも、俺も彼女らのようになりたいと行動を起こしたことはない。

 諦めるという選択自体が俺には存在していないのかもしれない。


「茜が君を生徒会へと誘った要因が第三者的な視点から物事を判断できるからと聞いた……言い得て妙だ、君はおそらく桜ノ丘学園で最もその役割に適した人材だろう」


 段々と小さくなる社長の言葉。

 続く言葉は言わずとも分かってしまった。


 俯いて、口を閉ざして目を閉じる。

 これまで目を背けてきた現実を突きつけられている。


 なんで、俺と周りとの温度差を感じて生きてきたのか。

 なんで、周りが知っているはずの感情を理解できていないのか。

 それを今、言葉にして告げられようとしていたのだから。


「真良湊君、君の瞳には、心には怜達はおろか自分自身すら映っていないのだろう?」

 

 言い返すことは出来たはずの一言。

 だが、いつもなら饒舌に動くはずの口からは言葉を発すことができず、ただただ押し黙ることしかできずにいた。



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