第二十五話 開票と離別8
夕暮れ。
妹の楓が夕飯の準備を進めている中、一人自室の椅子に腰かけてただ漠然と外を眺めていた。
机の上には未読の本が乱雑に並んでいる。
雫と分かれてすぐ、部屋に戻った俺は無意識に本棚から取り出していた。
しかし、本を開くがすぐに閉じてしまった。
前までなら、楓の呼び声が掛かるまでの間、自室で読書タイムだったはずだ。
時間など気にしないでネットでおすすめのライトノベルから、親父や母さんが昔読んでいた古典文学から、ジャンル問わずにただ未知の知識を蓄えるかのように、没頭していた。
でも、いまは一文の内容ですら頭の中には入ってこない。
集中力が欠如していると言うよりかは、思考回路の大半が他に割かれているに近い。
もう、考えまいとしていたはずの会話や情景が瞳を閉じるとフラッシュバックするかのように、脳裏を掠める。
「……はぁ」
制服から適当な服に着替えて、財布だけを持って部屋を出る。
玄関で靴に履き替えていると、パタパタとスリッパを快音で鳴らして楓が玄関まで駆け寄る。
「兄さんお出掛けですか?」
「ちょっとコンビニにな……何か買ってくるものあるか?」
「では、コーヒーゼリーを!」
悩む様子もなく間髪入れずに注文をする妹に、苦笑を浮かべて扉を開ける。
夕暮れでも、夏の猛暑は容赦なく襲い掛かる。
……戻ろうかな。
いや、今玄関を開けたら完全に忘れ物をした兄として、妹がお迎えするぞ。
そのまま部屋に入ったら、完全に引き籠り系お兄ちゃんのレッテルを妹に貼られてしまう。
まあ、もう貼られているから手遅れなのだが……
住宅街を進み、公園の隣を通り過ぎて最初の信号が青色に変わるのを待つ。
そして、横断歩道を超えると目の前に数字の七でおなじみのコンビニが視界に入る。
駐輪場に近くの中学ジャージを着た少年達が、ヤンキー座りでスマホ片手に歓談していた。
甘いな……俺なら午後ティーを買い、口には棒付きの飴玉含んで睨みつけているまである。
そして、視線が交わりそうになった瞬間に逸らして何事もなかったかのようにスマホを操作するのだ。
うん、止めよう。完全によくいる控えめな男子中学生が家の近くで見栄を張ってしまった感じになる。
自動ドアをくぐり、適当に雑誌コーナーで少年誌を手に取った。
ペラペラと数ページ捲って、そして閉じる。
そういえば購読している漫画など、俺にはなかったのを思い出す。
特に目当ての商品があったわけではないので、楓要望のコーヒーゼリーと緑茶を買い外に出る。
外では変わらず学生達が集まっていたが、その奥に見知った制服を見かける。
俺達の高校の制服だ。
ここら辺を歩く同じ制服となれば、人物はだいぶ絞られる。
当然、その人物は良く知る人物だった。
「……ゆう―――」
「荻原先輩こんちゃーっす!」
駐輪場の男子生徒の一人が、声高々に叫んだ。
優斗は視線をこちらに向けて微笑で手を挙げて対応をする。
……どこの番長だお前は。
中学生の集団の後方に俺の姿を捉えた優斗は、歩みの方向をこちらに変える。
学生達が勘違いして彼の周りに集まるのは容易に想像できたので、一本道を外れた場所に歩みを進める。
優斗もその意図に気が付いたのか、学生達を適当にあしらって追ってきた。
「寄り道でもしてたのか?」
田舎のほうであるこの町はいたるところに畑やら田んぼがある。
今回は、畑の石垣の上に腰掛けて優斗に問い掛けた。
優斗も同じように隣に腰掛けると、問いに対して首を横に振った。
「違うよ、今はクラスで出場競技を決めているだろ?」
「ああ……あの無用な話し合いな」
目的は完全に景品なのだから、彼らの要望は完全に優斗達の優先的出場だ。
それなら、話し合う必要性もないだろう。
個人種目だけを彼らの思うように埋めて、そして重要なポイントには優斗達を配置すればいいのだから。
俺の考えが雰囲気から滲み出ていたのか、優斗は溜息を零した。
「俺も一応は断ったんだけどな、あの雰囲気だと個人の意見よりもクラスの総意が優先されている感じかな……」
「だろうな」
だから、あの場にはいたくなかったのだ。
そういう面倒事が、厄介なクラスでの馴れ合いが、周りと足並みを揃えなくてはならないのが嫌いなのだ。
嫌みを押し込むように、買った緑茶で喉を潤す。
一口飲んでから、優斗にも差し出すと彼も一口だけ似たように様々な感情を飲み込むように流し込む。
「……今日は神崎さんも綺羅坂さんも湊の後に帰っていったから、たぶん二人は湊がいないと話し合いには参加しないかもな」
「雫はどうだろうな……綺羅坂は知らんが」
今日は俺に話があって欠席しただけかもしれない。
明日になってみないとそこらへんは断言できない。
返されたお茶をもう一度飲むと、俺と優斗の間で沈黙が流れる。
遠くからの生活音と、カラスの鳴き声だけが響く。
「なあ、湊も一緒に体育祭に参加しないか?」
「……」
無駄ともいえる言葉だった。
桜ノ丘学園の体育祭には生徒全員が出場しないとならない全体種目以外は本人の意思が尊重される。
出るも、出ないも自由。
そして、俺の選択した答えが出ないだ。
沈黙を否定と捉えた優斗は、続けて言った。
「湊や神崎さんと初めて同じクラスになれて、来年は違うかもしれないし俺は一緒に出たいと思ってるんだけど」
「体育祭には出ているだろ、そもそも俺が出るメリットの方が少ない」
個人の意思としても、クラスの総意としてもデメリットはあれどメリットは感じない。
学校行事を損得で考えている時点で、心は違う所にある。
輪を乱すのが関の山だ。
だが、優斗は引き下がることはない。
「きっと皆で参加すれば楽しいはずだ、体育祭も文化祭も、それに修学旅行もきっと楽しいイベントになる」
「……」
余計な気遣いは必要以上に出来るのに、こいつは人の気持ちを理解できていない。
自分の目線や価値観、それに正しくあろうとする。
だから分からない。
自分より劣っている人間の気持ちが。
彼の後ろに立つことの心境が。
それは逆も然りだ。
俺も彼の気持ちなど分からない。
他者よりも優れたことはない。
いつも平均点で、秀でていると自覚したこともない。
この先も、優れた人間の立場を理解することはできないだろう。
人間、自分が立っている状況の事しか本当の意味で理解など出来ないのだ。
「……お前はアホか」
「アホ?」
「お前はこれまでの高校生活でのイベントは楽しかったか?」
一年の行事含め、二年で行われた球技大会から始まる数々の出来事。
諸々を総合して、彼にとってこれまでの高校生活は楽しいものなのだろう。
恵まれた能力と人望、そして意中の人間と同じ学び舎で一つ屋根の下を暮らす。
想定できる最高の条件の大半を兼ね備えた日々だ。
リア充エリートコースで、完全に主人公ルート。
むしろ、テンプレート過ぎて鼻で笑ってしまう。
でないと、荻原優斗のような脳内ハッピーな人間は生まれない。
腰掛けていた石垣から立ち上がると、軽くズボンの埃を払う。
ポケットに手を入れて、片側に体の重心を預けて返答を待つ。
「当たり前だろ?……球技大会も打ち上げも、それに遊園地だって―――」
「俺は楽しくなかった」
楽しいとは感じなかった。
時に憂鬱で、面倒で、半ば強制的に付き合っていた。
その後の人生で、何の意味があるのか分からない。
きっと、意味はない時間のほうが多いと思う。
だが、これだけは断言できることが一つあった。
それでも、意味のない時間だと思っていたとしても、少なくとも彼らと……優斗や雫、綺羅坂達と過ごしている時間だけは無駄な時間だとは思っていない。
何をしていいのか分からない、世界が退屈で色のないモノクロの人生だったけれど、それでも無駄とは思わなかった。
だが、楽しめていたかと自問自答しても、首を縦に振ることは出来ない。
ここで、優斗の手を取りクラスの中に溶け込んで暮らすのも一つの選択肢だ。
ただ、待っているのは、俺の考えられる中で最も無駄な時間。
なんて酷い言い方だろうと自分ですら思う。
だが、こいつにだけは本心で、ありのままの言葉で伝えたかった。
たとえ嫌われるとしても、嘘をついて上辺で付き合う関係性にだけはなりたくない。
「……結局、この先に待つイベントはお前達しか楽しくはならない、それが事実だ」
納得が出来ないとしても、それは仕方のないこと。
所詮、この世界は平等ではない。
何かを得るには、何かを捨てなければならない。
楽しみたいのなら、何かを犠牲にしなくてはならない。
友人、クラスメイト、そして自分自身すら時には犠牲にすることが必要になる。
俺は、その天秤に掛けてクラスでの時間を捨てた。
前までの「友達だからといって学校でも一緒にいる必要はない」というスタンスを貫くことにした。
その結果、退屈な高校生活になってしまったとしても、それは俺の選択だ。
間違っていたとしても、自分の責任だし、俺も自分自身で出した答えだから後悔はしていない。
口を開いたまま、硬直したように動かなくなった友人に背を向けて去り際に呟く。
「お前は自分の考えを貫けばいい……周りの求める荻原優斗ではなくて、お前の求める荻原優斗でいいんじゃないか?」
これが俺が彼に言える唯一の言葉だった。
人のために、周りのために、求められるまま演じて偽ってしまう……偽りを演じられてしまう能力を持っているからこその問題。
俺には、こいつが何をしたいのか分からない。
中学の頃のほうが、もっと分かりやすく純粋だった。
他人よりも自分が気に入った相手に歩み寄って、その結果俺との関係性が生まれたのだ。
だが、今の彼にはその姿が淡いものになっている。
本来、人との付き合いが得意で、周囲に溶け込むことが何より秀でていた優斗は、この高校生の周りに合わせるという風潮に飲み込まれた一人なのだろう。
「じゃ……また明日な」
俺は優斗と分かれ帰路につく。
彼はまだ、腰掛けたままその場に座り込んでいた。
これで、俺もあいつも選択を迫られた。
どの道を選ぶかは、彼自身の自由だ。
でもなぜだろう、彼から離れていくにつれて少しだけ胸の奥に言葉には表すことの出来ない嫌な感覚が残ったのだった。
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