放課後と温泉3
綺羅坂の後に続き訪れた温泉―――いや、旅館と言う方が適切だろう。
旅館は、どこか懐かしさを感じさせるがとても綺麗に清潔感を保たれている。
日々、従業員が気にして清掃をしていることが容易に想像できた。
さすが、綺羅坂の親が関わる施設なだけはある。
この旅館へ訪れたのが放課後ということもあり、ロビーでのんびりとすることはなく男女で別れて各々浴場へと向かった。
俺は優斗を引き連れて男湯に入ると中には誰もいない貸し切り状態。
こんな贅沢なことをしてもよいのだろうか、なんて考えが一番に浮かぶ。
「露天風呂もあるのか!あとで行ってみような」
「……そうだな」
隣の優斗は気にしていないのか、瞳を輝かせて少々興奮気味で言った。
まあ、今日に限っては体を癒しに来たと考えて、余計なことを深堀するのはやめておこう。
俺と優斗以外は誰もいない湯を堪能することにした。
体を洗い終わり、室内の湯に最初に浸かっていると優斗が呟いた。
「この手のパターンだと女湯にいる二人の会話が聞こえてきたり……なんて定番なんだけどな」
「漫画の見過ぎだ……」
聞こえているのは湯が注ぎ足される水音と俺達の会話だけ。
こんな広い温泉で俺達二人しかいないのも静かすぎて逆に落ち着かない。
サウナや水風呂も設置されていたが、あまり好きではない。
ひとしきり体を温めると次に露天風呂に入る。
「いやー気持ちいいな」
「……」
体を後ろに預けて湯に浸かったまま空を見上げる。
夏が近づき明るい時間が増えたことで、空はまだ朱色に染まりつつあるが明るい。
これが平日のしかも学校の帰りに来ているとは自分でも違和感が凄い。
いっそ休日に来ていれば心の底からリラックス出来ていただろう。
少し耳を澄ませば川の流れる音すら聞こえる。
今度、楓と母さんが帰ってきたときにでも来てみようか。
そうするのなら、この場所の道を黒井さんに聞いておかなければ。
最悪、綺羅坂に聞けばすぐにわかることだ。
「俺……もう出るわ」
「なんだ湊、もう少しゆっくりしていけばいいのに」
なんだか、このままでは完全に長湯してのぼせてしまいそうだ。
優斗に一言伝えてから俺は浴場を後にした。
脱衣所に出ると、入った時には置いてなかった簡単な着替えが用意されていた。
貸し出し用の浴衣もあったのだが、少しで帰ることを考えると着替えるのは二度手間になる。
だから、もう一度制服に着替えればいいと思っていたのだが、黒井さんが用意してくれたのだろうか。
サイズも丁度のТシャツには文字で柄がプリントされていた。
『怜LOVE』
「……着れるか!」
即座に床に叩きつける。
いつの間にこんなくだらない物を作っていたんだ綺羅坂は。
呆れてため息を零していると、その奥にもう一枚服が用意されていた。
ふざけるだけふざけて、しっかりと普通のを用意している準備の良さに心底呆れてもう一枚のシャツを広げた。
『雫愛』
「……だから着れるか!」
まさかの二段階攻撃とは。
雫まで加担するこの悪ふざけに、思わず怒気まで含んだツッコみを一人脱衣所で繰り返していた姿がそこにはあった。
結論からして、普通に着替えることのできる服装は用意されていなかったため、制服を着用してロビーへと出る。
そこにはマッサージ機や自動販売機、簡単な食事処や卓球などの遊戯ができる場所が設置されており、そこに彼女達はいた。
「いい加減諦めなさい」
「綺羅坂さんこそ何度もしつこいですよ」
浴衣を着崩して温泉に入ったのに少し汗を流す二人は、学校で話していた通り卓球で対戦をしていた。
何が二人をそこまで熱くさせているのかは不明だけれど、負けられないらしい。
ポイントが十なんてとうに超えているのに、点差が同じということはルールはよく知らないがデュースでも続いているのだろうか。
黒井さんが審判役として二人の横で微笑んでみているが、何が楽しいのやら。
少し離れた場所でコーヒー牛乳を購入して、二人の勝負が終わるのを眺めていた。
「おーやってるな」
「勝負が終わる気がしないけどな」
頭にタオルを乗せて現れた優斗は、ゴシゴシと濡れた髪の毛を拭きながら隣の椅子に腰かける。
手には同じくコーヒー牛乳が握られている。
いいよね、温泉後のコーヒー牛乳。
定番とも言える。
一瞬、優斗に向けるために逸らした視線を再び卓球台に戻す。
テクニックや技、ルールも試合の形式も授業で行った簡単なものしか知らないが、それでも分かることはある。
二人が初心者とは到底思えないほど、高度な試合をしていることだ。
きっと、本格的に卓球をしている人からすれば、ただのラリーなんだろう。
だが、俺にはあんなスピードでラリーを互いに続けることが出来る彼女達は凄いの一言に尽きる。
才能の無駄遣い、なんて言葉すら思い浮かぶくらいだ。
暫しの間、俺と優斗は肩を並べて彼女達の勝負が終わるのを待った。
風呂上がりの休憩としては丁度いい暇つぶしにもなる。
大会にでも参加しているかのように、真剣な眼差しで両者は試合に没頭していた。
俺達が観戦を始めてから十分程が過ぎた頃、手持ちの飲み物もなくなり次に何を買うかと考えていると審判だったはずの黒井さんが目の前まで来てお茶を差し出した。
「ありがとうございます」
差し出されたお茶を礼を述べてから受け取る。
隣で優斗も同様にお茶を受け取っていた。
黒井さんは微笑むと振り返り彼女達、特に綺羅坂に視線を向けた。
「最近のお嬢様は本当に楽しそうにしております」
「でしょうね……」
人の着替えに自分の名前入りのロゴが入った物を用意するくらいですもの。
十分にこの状況を楽しんでいると思いますがね。
俺の返事を聞いて、黒井さんはこちらに小さく礼をした。
「全ては真良様にお会いしてから……ありがとうございます」
「……やめてください」
立ち上がり、黒井さんに頭を上げてもらうように頼んだ。
渋々といった表情で顔を上げた黒井さんに、俺は正直に告げた。
「……俺と出会ったからとか、そういうのは結果論に過ぎません」
仮に俺と出会っていたとしても、どこかの分岐点で今とは違う結果になっていたかもしれない。
結果を見てそれが必然だったかのように言うことは簡単だ。
偶然に偶然が重なり現在の状況が作り出されているのを、たった一人の人間と出会ったと決めつけるのは俺の考え方には反する。
黒井さんが言うように、綺羅坂が現在を楽しく過ごせている理由に少なからず俺達が関わっていることは確かだろう。
でも、それを俺一人のような言い方には素直に頷けない。
そんな意図を理解してか、黒井さんは尚も微笑む。
「真良様はそう言うと分かっておりますが、これはただの一人の老人からの礼と思って下さい」
「……まあ、そういうことでしたら」
俺のような捻くれ者の考えからをよく理解しているのか、断りづらい言葉で黒井さんは礼を述べた。
ここは素直に感謝されているとして受け取っておくことにしよう。
そこからは黒井さんも含めて、彼女達を見守った。
二人は確かに相性が最悪だ。
合えば睨み合うし、こうして意地の張り合いで勝負も中々つかない。
スペックが似ているだけあって、致し方ないことだろう。
でも、どこか似た者同士なのかもしれない。
犬猿の仲だからこそ、相手の悪いところばかりに目が行くからこそ本音で関わることが出来ている。
悪友という言葉もあるくらいだ。
黒井さんが礼を言うのは俺ではなく雫の方なのではないだろうか。
大きな施設にも関わらず俺達四人と黒井さん、そして従業員しかいない異様な建物の窓から外を眺める。
日が完全に沈み、今日もまた一日が終わる。
目の前の彼女達の試合が終われば、俺達は自宅に帰り明日からまた普段通りの一日が始まるのだ。
少しばかりの息抜き、気分転換にはなった。
二年に進級してからは普段通りと言っても、例年とは違う。
また、予想外の出来事やイベントが待ち受けている可能性もある。
リフレッシュしたはずの気分が簡単に沈んでいくのを自覚しながら、ただ今はこの場所で体を休めていた。
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