放課後と温泉2


 ”温泉”

 この言葉を聞いて、最初に連想するものとは何か。


 湯気が立ち込める湯船だろうか、女性の浴衣姿だろうか。

 個人で連想するものは違うだろう。


 俺には、頭に白いタオルを乗せたおじいさんが最初に思い浮かんだ。

 他意はなく、ただ単純に最初に思い浮かべた光景がそんな場面だったのだ。


 

 学校から綺羅坂によって強制的に連行された俺は、神奈川県の小田原バイパスを爆走していた。

 黒井さんが運転するその車は、お金持ちの代表的な車ともいえるリムジンだった。


 以前、黒いワンボックスカーを乗せてもらったので、今回も同じ車だろうと勝手に判断していたが、実際に迎えに来たのはこのリムジンだった。

 テンプレート過ぎて何も言葉が出なかったのは言うまでもない……。



 ともかく、現在は箱根に向けて進んでる最中なのだが、車内の空気は重苦しい。

 誰もが遠慮して、言葉を発することを躊躇うような空気が、目の前には広がっていた。


 その理由は至極簡単

 綺羅坂怜と神崎雫が対面した形で座り、とあるカードゲームで真剣勝負をしていたから。


 カードゲーム、まあトランプなのだが現在はババ抜きで対決中。

 俺と優斗は早々に手札を全て切り終わってしまったのだが、意外にもこの二人が残っていた。


 予想が正しければ、ジョーカーは雫の手札にあり、綺羅坂がジョーカー以外のカードを引けば勝ち、それ以外を引くと逆にピンチとなる。

 そんな状況の綺羅坂は躊躇うことなく右側の札を引く。


「あらあら、綺羅坂さんは簡単に引っかかるんですから」


「……この女狐が」


 ……おいおい。

 なんでこんなに真剣な勝負が繰り広げられているんだ。


 選択を誤った綺羅坂は、思わず汚い言葉をボヤいていた気がするが、雫も愉快そうに口元を歪ませている。


 おかしいな……俺の記憶が正しければトランプ関連のゲームは軽いお遊び感覚で行うゲームのはずなのだが……

 何事にも真剣なのは良い心掛けだが、この手の遊びに本気になることもないだろう。


 だが、彼女達は俺と優斗が終了すると打って変わったように豹変した。

 完全に表情から感情が抜け、まさにポーカーフェイスで互いの心理を読み合うかのような沈黙が続いた。


 何度か互いの手札を交換する作業が繰り返され、現在の綺羅坂がジョーカーを持つ展開までに至ったのだが、この二人は心底相性が悪いらしい。


 こんな暇つぶしでも絶対に相手には負けたくないのか、真剣と書いてマジと読む的な勝負師の顔をしている。


「こんなに重苦しいトランプは初めてだよ」


「安心しろ……俺もねえよ」


 隣に俺の向かいに座る優斗が小さな声で呟いた言葉に、同意の返事を返す。

 結局、綺羅坂の強制連行を逃れることはできない俺は、一つ条件を提示した。


 それが、目の前の優斗を同行させること。

 温泉は一人でも楽しめるが、移動中の社内の状況も考慮すれば彼を連れてきた方がいいと考えたからだ。

 

 しかし、最近の優斗は苦笑している表情ばかり見ている気がする。


 その理由を作っているのが俺達三人なのだと自覚がある分、何とも言えないのだが。

 女性陣が何度も同じようにジョーカーの交換を繰り返すこと十数回。


 勝負の終わりよりも早く、黒井さんから声が掛けられた。


「お嬢様、皆様、あと五分ほどで到着いたします」


「そう……この勝負はお預けね、決着は温泉後の卓球で決めましょう」


「望むところです……負けて泣いたりしないでくださいね?」


 二人はここでの勝負を諦めたのか、手札を机の上に置き勝負は一時休戦となった。

 車の窓から外に視線を向けると、そこは俺達の住む町とは違う景観が広がっていた。


 家族でも来たことがあるが、久方ぶりの温泉街に少々気分が高まるのを感じた。

 それと同時に少し前に電話した楓のことを思い出す。

 楓は普段と変わらない応対をしていたが、少しだけ拗ねていた。


 兄妹だから分かったのだろう。

 声だけだが、彼女が電話の先で不満げな表情をしていることが分かったのは。


 当然だろう。

 兄貴だけが温泉に行って帰ってくるのは、羨ましいと思うのが普通の反応だ。


 お詫びとして、今度の休日を返上して好きな場所に付き合うと伝えると、ケロリと様子を変えていたのでとりあえず問題は無さそうで安心はした。


 何かしらの妥協案を用意してないと、数日の間食事が出てこないなんて緊急事態になりかねない。

 妹に胃袋を掴まれている時点で、真良家での上下関係は決まっているようなものだ。


 とにもかくにも、これで二週連続で休日を返上することが確定した。

 俺の安息の地は遠退いていくばかりだ。




 

 黒井さんの運転する車は駐車場ではなく、建物の入り口まで進むと停止した。

 入口には既に従業員が数人整列して待機しており、一人の男性が停車した車の後部座席を開ける。


 その行動に少しばかり疑念を感じていると、綺羅坂が最初に降りた。


「お待ちしておりました怜お嬢様」


「突然悪いわね、少しの間だけ施設を借りるわ」


「まさか……ここも綺羅坂の会社の系列なのか?」


 同じように車から降りた俺は、当然とばかりに交わされていた会話にツッコんだ。

 おそらく館長とおぼしき白髪の男性が何度も頭を下げて、学生である綺羅坂に対して丁寧な対応をしている姿から、この後の返答など容易に想像が出来る。


 答えなど聞く必要もなく思える質問に、綺羅坂は答えた。


「そう、温泉に入りたいけど人混みが嫌いだから貸し切りにしてもらったの」


「今日ここへ来る予定だった人に謝れ……」


「平気よ、予約していた人も他の店に手回ししておいたから」


 放課後の思い付きでの温泉にこの女はいくらお金を使っているのだろか。


 逆に俺達が申し訳なくて温泉が楽しめない可能性が浮上してきただろうが。

 平然と中に入っていく綺羅坂の代わりと言ってはなんだが、俺は従業員の人に何度もお辞儀をしてから後を追った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る