第十二章 準備と違和感10


 頂いたカフェオレを一気に飲み込むと、自販機の隣に設置されていた空き缶入れに投げ入れる。

 その間に、考える。


 この人から感じた違和感にも似た感覚は、どこで感じたものか。

 これまでの会話で、ヒントになるようなものがあるのか。


 限られた情報の中で、答えを探す。


「学生だから、何か話をしたかったんですか?」


 そう問いかけた。

 俺の問いに、男性は首を横に振る。


「私の立場から言わせれば、ここは『そうだ』と言うべきなのだろうが、生憎だが違う……学生の言葉や意見が必ずしも貴重な訳ではないのでね」


 この言葉に異論はない。

 正しいことを言っているのだろうが、一つだけ俺にも共通する点があると思った。


「……捻くれているって言われませんか?」


 考え方が多少、いや多分に捻くれている点だ。

 確かに人生経験の少ない学生の言葉が、必ず貴重であるわけがない。


 それでも、とりあえずは貴重だと言っておくものだ。

 だが、この人は違うと言い切った。


 それだけで、普段からの考え方が伺(うかが)えた。


「確かに身近な人間には言われる、言葉に嘘がないと自分では思っているがね」



『なので』と、男性は言葉を続ける。


「君だから話をしてみたいのだよ、真良湊君」


「……」


 両膝に肘を付いて、少しだけ前のめりな体勢で言った男性は、静かに俺の言葉を待っている。

 今の発言に対しての、俺の反応を確認しているようだった。


 その視線から、自分の目を逸らすことなく最初に冗談めいた言葉を返す。


「……俺は、そっちの趣味はないんですがね」


「私もない、家には愛する妻も愛娘もいる」


 分かったんですね意味が……

 てっきり、白けた空気になることを予想していたのだが。


 予想外の返しに、少し戸惑いを見せたがすぐに本題に戻る。


「なんで俺なのか、聞いてもいいですか?」


「さっきも言っただろう、君の話を聞いたからだよ」


「それは誰から?」


 学校ではないのか?

 勝手な判断で、俺の話を聞いていたのは学校からだと思い込んでいた。


 もし、学校ではなく俺の知る誰からの情報を耳にして、興味を持ったのだとしたら……

 一気に予想の範囲が絞られた。


 こういう場合、狭い人間関係で生きてきたことに感謝したい。

 ありがとう、俺。


「娘からだ」


「……」


 ノーヒント。

 娘からと言われても、あなたの娘が分かりません。


 言ってしまえば、俺はあなたの名前も知りません。


 自己紹介という、決定的な情報交換不足に気が付いたことで、改めて名前を名乗る。


「そういえば、まだ自分から言っていませんでしたが、真良湊です」


「私としたことが忘れていたよ、私の名前は―――」


「社長」


 今まさに、自己紹介を終えるというところで、俺達の後ろ、フロント方面から声を掛けられた。

 なんとタイミングの悪いことか。


 中断してしまった自己紹介を続けるにも、一旦後ろにいるであろう人物の要件を済ませる必要がある。

 そう思い、振り返るとそこにいたのは知る人物だった。


「……黒井さん?」


「これは真良様、お話しの途中に申し訳ありません」


 にっこりと微笑んだおじいちゃんこと黒井さんは、綺羅坂の家の執事兼運転手。

 加えて綺羅坂が学校へ登校中は、綺羅坂のお父さんの秘書の業務に従事していると聞いた。


「なんで黒井さんがここに?」


「本日は社長がこのホテルに来ておりますので」


 当然の返答だった。

 綺羅坂のいないこの場において、黒井さんがいる理由は一つだけだ。

 

 綺羅坂怜という人以外に、自分の仕える人物がこのホテルにいるから。


 ゆっくりと振り返り、先ほどまで会話をしていた男性に目を向ける。

 つまり、黒井さんが”社長”と言った男性―――先ほどから俺が話していた男性が……


「自己紹介の続きをしよう、私の名前は綺羅坂怜弥(きらさかれいや)という」


 一切の感情を悟らせなかったこの男性が、不敵に微笑みそう言った。

 この人が、綺羅坂の父親だったのか……


 どこか感じたことのある視線や仕草、歩き姿から感じた違和感にも似た感覚の意味をやっと理解することが出来た。


「……だから俺の話を聞いたって」


「娘が仲良くしてもらっているようだね」


 いえいえ、仲良くなんてとんでもない。

 あなたの娘さんのおかげで、毎日が大変なことになってますよ。


 この親にしてあの娘あり。

 身に纏った雰囲気など、確かに彼女にそっくりだ。


 むしろ、なんで今まで気が付かなかったのか、不思議に思えてきた。


 途中から会話に参加した黒井さんが、不思議そうにこちらを見ていたが、今はそれに答えている余裕はない。

 目の前で座るクラスメイトの父に、全神経を向けていると声音が変わったように聞こえた。


「一つだけ聞きたい」


 この人が、俺に話しかけた理由が、今日ここへ来た理由がこれからの会話で分かるのだと、そう思わせるくらいの真面目な声と表情に、無意識のうちに姿勢が立たされたことに俺は後から気が付いたのだった。





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