第十二章 準備と違和感9


 紳士風の男性は、フロントの隣を通り過ぎると建物の奥へと進んでいく。

 従業員が彼を見た途端に、視線を正して深々と頭を下げていた。


 予想通りではあるが、この人は確かに関係者らしい。

 それも、かなりの上役ときた。


 分からないことがあるとすれば、何故俺を呼び止めたのか。

 仮に経営者や何かだとしても、見たこともない従業員をわざわざ人気のない建物の奥に連れていく必要は無いはずだ。



 俺自身、このホテル自体に今日初めて来たのもあり、どこに何があるのか分かっていない状況で、たどり着いたのは建物の最奥。


 白色に発光する自動販売機の前だった。


「何か飲むかね?」


「いえ……結構です」


 知らない人には付いていってはいけない、さらに言えば知らない人からお菓子や飲み物を貰わないようにと昔から母親に言われている。

 呼ばれてホイホイと後ろについて言っている時点で、言いつけは守られていないのだが……。



 一人、自販機に小銭を入れて飲み物を買う男性は、断ったはずだが俺の分の飲み物を購入していた。


「私は苦いものが苦手でね、同じカフェオレになるが平気かね?」


「……ありがとうございます、俺も甘い方が好みです」


 「よかった」と、表情を崩すことなく男性は呟いた。


 廊下で声を掛けられから、ここへ到着するまでに数分の時間を要した。

 その間、会話をしてはいない。


 最初から、この場所で話をすると決めていたのだろうか。

 短い時間で終わると考えていたから、この男性は平気と言っていたが本当に実習的な問題は無いのか、どこか不安な気持ちがこみ上げる。。


 チラリと腕時計で時刻を気にする仕草を見せると、男性はすかさず言葉を発した。


「時間は気にしないでくれ、誰も君に文句は言わない」


「……随分と準備がいいんですね」


 むしろ、文句は言わせない……そう言われているかのようだった。

 この人の行動や言動を、俺の想像の範囲で予想するなど、無駄な考えに思える。


 それくらい、この人が社会的に偉い地位なのだろうと思わされた。



「君の話を耳にした時から話を聞いてみたいと思っていた」


 自販機の横に設置された木製のベンチに腰掛けると、男性はカフェオレを飲みながらそう言った。

 座ることだけの、クッション性など皆無の武骨なベンチ。


 年季は感じるものの、従業員が日頃利用しているのだろう、ご丁寧に掃除がされていた。

 汚れ一つ見当たらない。

 

「別に自分では変わったところなんて無いと思っていますが」


 変わったところがない。

 それは、周りから見ても魅力が極端に少ないことを意味していると同じだ。


 自覚していると言えるし、ネガティブだとも言える。

 自己評価を高く見積もるほど、愚かなことは無かろう。



「私は君が変わっているとも特別だとも言ってはいない、ただ話をしてみたいと言っただけだ」


 言葉のあげあしを取るかのような口調に、少しだけ思うところはあるが腹を立てるほどでもない。

 静かに視線だけを向けるこの男性は、事実を述べている。


 何かを試すためか、本当に興味からか。

 話を聞いたというのは、学校を通じてだろう。


 俺がここへ来ることは、事前に連絡はしてあるし直筆の自己紹介シートも送っている。


 それを見て、聞いて、仮にこうして俺の前にいるのだとしたら完全に変わり者だ。

 例えるなら、綺羅坂や会長、雫などに匹敵するかもしれない。


 俺のほかにも二人ほど、同じ高校から来るはずだった生徒の方が余程魅力があったはずだ。


「しかし、私も話を聞いた時には容姿や身体的な特徴があると思っていたのも間違いではない」


「ご期待に沿えそうにありませんね」


 つい、いつものように言葉を返してしまう。

 日常的な癖が、ここで出てしまった。


「いえ……つい普段の癖で」


「いや、気にしないでくれ。私としては普段通りの君と話がしたいのだ」


 初めて、感情というものを感じさせる表情に変わる。

 口元が僅かに上がっていた。


 少し気味が悪く、何を考えているのかを悟らせない。

 背筋に走る僅かな寒気が、慣れ親しんだものに感じた。

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