第十二章 準備と違和感11
「君に一つだけ、聞きたいことがある」
そう言った男性、綺羅坂の父親は暫しの間、黙り込むと静かに言葉を紡いだ。
「君の知っての通り、私には娘がいる、私から見ても非常に優秀な娘だ」
「でしょうね、誰が見たって彼女は優秀ですよ……性格を抜けば」
相手に聞こえない程度で呟く。
俺の後ろにいた黒井さんには聞こえていたのか、クスクスと密かに笑う声が聞こえた。
……自分が仕えている人を笑っちゃダメだよ?
俺の言葉を聞いた綺羅坂さん(父)は、ただ頷いた。
否定も肯定もせずに。
「あの子には、将来的には私の会社を継いでもらいたいと考えている。その能力があり、環境がある。
娘の幸せを考えるなら、これが最善の選択だと私は信じているのだが……」
そこまでスラスラと話していたはずの綺羅坂(父)は、言葉を止める。
何か考えている様子だった。
次の言葉が、この人にとっては本意ではないことを意味していた。
「娘には反対されてね……理由を聞こうにも「嫌」の一言だけだ……そこで君の話を思い出してね」
「俺の?」
なぜ、そこで俺の会話になったのかは気になるが聞かないことにしよう。
そうすると、この人が不本意だと感じたのが、綺羅坂が「嫌」と断ったことか、俺の話を思い出したことなのかがハッキリとしてしまう。
彼女のことだから、ろくでもない話の流れで俺の話題が出たのかもしれない。
けれど、それ以上に、彼女が普通に家族で話をしていることが驚きだ。
饒舌(じょうぜつ)に話をしているのか、それとも淡々と必要最低限で話していたのか……。
とても気になる。
「普段、必要以上に話をしない娘が学校であった出来事を話すのだ……今はまだこの環境で過ごしたいと」
「……」
綺羅坂が、そんなことを口にするとは。
何気ない日常が、彼女にはいつしか大切な時間となったのだろうか。
いや、俺が思っていなかっただけで、既に彼女からすれば今の日常が代え難い時間だった可能性もある。
俺の親父と同様にこの人もまた、娘に甘い父親か……。
しかも、その娘はあの綺羅坂怜だ。
これはあくまで想像だが、彼女の性格から考えても、学校と家で極端に変わることはないはず。
家でも読書に耽(ふけ)て、自由気ままに過ごしているのだろう。
だからこそ、この人には些細な感情の変化にも気が付いたに違いない。
そして、口数の少ない彼女が話した人物に強い興味を持ったのだろう。
……ってことにしておこう。
自己解釈は大事。
毎日が自己解釈のオンパレードな気がしてきたが、気にしてはいけない。
「君の売りは嘘をつかないことなのだろう?」
「勝手に人のキャッチフレーズみたいに言わないでください」
すかさず言葉を返す。
どこで聞いたんだそれは……
それは、優斗が勝手に言っていたことだ。
俺が、自ら発信したわけじゃない。
僅かに口角を上げ、口元を歪ませるような表情がまさに綺羅坂とそっくりだ。
親子なのだと、そこで再確認ができた気がする。
話に夢中で、後ろの黒井さんが暇していないかと振り返るが、真剣なまなざしで俺達の会話に耳を傾けていた。
「さっきも言った通り、正直な感想を述べてもらいたい……私の考えは間違っていると思うかね?」
「……」
娘を、家族を想う気持ちを間違っているとは言えない。
いや、言ってはいけない。
蔑(ないがし)ろにして、家族の事なんて考えていない人なら別だが、この人からはそんなもの微塵も感じられない。
けれど、話の流れから、一つだけ欠けているように感じたことを述べた。
「綺羅坂の言葉で、将来について聞いたんですか……?」
継ぐとか継がないとか、俺から言えることではない。
ただ、彼女が何を思い日々を過ごしているのか、どんな進路を進もうとしているのか。
真剣に言葉を交わしていたのなら、そもそも他人である俺に話をする必要性もなくなる。
寡黙な父と、娘。
両者だからこそ、言葉のキャッチボールが純粋に足りていないだけなのではないか。
脳裏には、綺羅坂が書店で海外の本を見ていた姿を思い出していた。
彼女なりに、進もうとしている道はある。
「こんな見ず知らずの小僧に意見を聞く時間があるのなら、一分一秒でも早く娘と話をしに行った方が俺は良いと思います」
「…………ふふっ」
堪えきれなくなったのか、綺羅坂さん(父)は笑みを零した。
おいおい、別に笑いを取りに行ってないし、笑うところでもない。
ムッとした顔で彼を見るが、次の瞬間には笑みなど消えていた。
「怜が言っていた通り、君は歳に見合わず冷静なのだね……いや、冷静という言葉で表していいものか判断しかねるな」
「はい……?」
「参考になった、時間を取らせてすまなかったね」
まるで独り言のように言葉を発すると、綺羅坂さん(父)はベンチから腰を上げ、その場から立ち去る。
その圧倒的自己中心的な行動に、立ち尽くしていると黒井さんが礼をして後を追いかけるように歩き出した。
「何だったんだ……あの人」
突然現れ、一方的に納得されて、勝手に場から去る。
台風な人だと、心底思った。
いつの間にか予想以上の時間が過ぎていたことに気が付くと、俺も慌てて実習に戻る。
これで怒られたら、綺羅坂に文句でも言ってやろう。
「ああ……疲れた」
一日の実習を終え、ホテルの玄関から外へ出ると温い風が出迎えた。
汗で若干べとべとした体には、気持ちの悪い風だ。
倦怠感で体が重く、慣れない仕事をしたから想像以上に疲労感がある。
いち早く家に帰り、風呂に入って夕食を食べ、一分でも長く寝る。
そうして体力の回復に勤(いそ)しみたいものだ。
駅を通り過ぎ、住宅街に入ろうとした時、一人の女子高生が自販機の前に立っていた。
今日は自販機をよく目にする日だ……
気が付かないふりをして通り過ぎるという選択肢がまず頭に浮かんだが、今日彼女の父親に会ったばかりだ。
それに、一つ彼女に渡しておきたいものある。
俺は何を買うか迷っている彼女の隣で、迷いの無い動作で一つの飲み物を購入した。
「あら?真良君じゃない」
「なにが「あら?」だよ……お前の家は反対側だろうが」
俺の家の方向とは正反対の位置に家があるのに、ここへいるのは理由など簡単に予想できる。
黒井さんが連絡をしたかで、彼女はここで待っていたのだろう。
俺は買ったばかりの飲み物、冷たいカフェオレを綺羅坂に手渡す。
「何かしら?おごり?」
「な訳あるか……お前の親父さんに渡してくれ」
「父に?……なぜかしら?」
小首を傾げてそう問いかけてきた綺羅坂に、短く言葉を返した。
「奢られっぱなしは嫌いなんだよ」
綺羅坂は意味が分からなさそうにしてたが気にせず自宅へ向け歩を進める。
どうせ、何食わぬ顔で雫も家にいることだろう。
綺羅坂と同じ実習場所だから、あいつも終わっているからな。
「なんだか二人だけで歩くのも久しく感じるわね」
「そりゃ良かったですな……」
微笑を浮かべて隣に並び歩く綺羅坂は、夕日に照らされて美しく輝いていた。
これなら、確かに人の視線を無意識にも集めてしまうのは仕方がない。
彼女の隣で歩く俺は、綺羅坂の父親に返した答えが、本当に正しい回答だったのか、繰り返し自問自答しているのだった。
「あ……美味しいわね」
「お前が飲むなよ……というかお前は今日は帰れよ」
やはり、彼女を思うがままに制御するのは、誰にもできないのかもしれない。
……俺が言った手前、彼女には早めに帰ってもらおう。
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