第十一章 提案と妥協5
優斗は、申し訳ない時にいつも見せる乾いた微笑で言った。
「湊のことだ、俺たちが楽することができるように考えてくれたんだろう。でも、例えば手紙をくれた生徒には全員に返事をしたい……それが俺にできる最低限の礼儀だから」
「礼儀か……例えば全く知らない生徒でもか?」
断ることが礼儀というなら、それ以前に顔も名前も知らない生徒が手紙を出して呼び出しをすること自体が礼儀を欠いているのではなかろうか。
ただ断れないだけ、断ることを恐れている。
人に好かれる優斗にとって、人に嫌われることに免疫はない。
だから、もし仮に自分が嫌われるような立場になった時、どうすればいいのか分からない。
だからこそ、元々の嫌われる要因を、印象を悪くする可能性を摘んでおきたい、そう考えているのではないだろうか。
悪いとは言わない。
むしろ、人として正しい行動ともいえる。
俺たちくらいの年代だと、群れで生活している。
逆に少数、平たく言えば一人などで過ごしていると、友達がいないボッチと蔑み笑うものだ。
一般的に見れば、俺はそのボッチの一派になる。
大半を一人で過ごしているし、彼らのように群れを作り暮らしていきたいとも考えていない。
それゆえに分からない。
自分を優先せず、他人の感情を優先する気持ちが。
断るという結果は揺るがない。
だが、優斗のことだ……それでも優しく相手が傷つかないように細心の注意を払って言葉を選んでいるのだろう。
そんなだから、一度断った相手にも何度も迫られるのではないだろうか。
優しさが、必ずしも善とは限らない。
相手を傷付けまいと選んだ言葉で、微かに希望を残させて、自分の近くにいることを拒まない。
仮に雫を好いている人にとっては、他人から告白されることなど利点にはならないだろうに。
「少なくとも、俺はそう思っているよ」
今度はいつもと変わらぬ爽やかに微笑む優斗は、話は終わりとばかりに席を立つ。
立ち去ろうとする優斗を止める言葉を思いつくことはなく、ただ眺めるばかり。
そんな時に声を発したのが、綺羅坂だった。
「礼儀だなんて、随分な物言いね」
興味もないとばかりにしていた綺羅坂は、本を閉じそっと優斗に目を向ける。
自分の意見を素直に言葉にしただけの綺羅坂の声は、今日も冷めていた。
耳の奥にまで透き通るような声は、感情を感じさせない。
「あなたの言い方だと、私は礼儀知らずの人間になるわね」
「綺羅坂さん……俺はそんなつもりじゃ」
「私には、あなたの言葉が理解できないわ」
優斗の言葉に、そこまでの意味はないのだろう。
彼なりの礼儀として、これからも状況を変えずに過ごすだけだ。
しかし、綺羅坂には黙認できない言葉だったのかもしれない。
「大して話したこともなく、知り合いですらない、見た目だけで相手を好いた気持ちになったと勝手に呼び出して……全部勝手だわ」
初めて零(こぼ)したかもしれない綺羅坂の本音は、彼女、いや彼女達の心情を表しているようだった。
俺には……凡人には分からない苦悩があるのだ。
綺羅坂の言葉には、少なからず二人も共感できる部分があるらしい。
二人して俯いて、黙り込む。
「……そんな勝手な人たちに、私は礼儀を欠いていると言われた気がしたわ」
「そんな意味で言った言葉じゃないんだ。気を悪くしたらすまない」
綺羅坂に向け、優斗は小さく頭を下げた。
それが、さらに綺羅坂の言葉に拍車をかけた。
「私はあなたのすべてが正しいみたいな、その行動が気に入らない……自分が中心だと言わんばかりの態度が気に入らない」
「おい、綺羅坂……その辺にしておけ」
席から立ち上がり、優斗の前で腕を組み睨みを利かせ言葉を連ねる。
常人なら、何か言い返している状況でも、優斗は何も言わず受け止めていた。
今この場に、文句の言い合いに来ているのではない。
彼らの生活環境を少しでも楽にできないか、その話し合いをしに来たのだ。
だから、二人の間に入り会話の進む先を変える。
「今はそんな話をしているんじゃない……綺羅坂も少し落ち着け」
強く優斗を睨みつける綺羅坂は、間に体を入れても貫かんとばかりに視線を動かすことはない。
優斗も、少しだけ視線を下げた状態で、何を言わずただ立ち尽くしている。
少しでも状況の緩和をできるよう、助けの意味を含め視線を雫に向けると――
「私も……綺羅坂さんの気持ちが分かるかもしれません」
短く、言葉の最後が小さくて消えてしまうそうな声で、雫がそう呟いた。
期待した言葉とは異なる、彼女の言葉に場の空気が凍り付く。
「話をしたこともない方に、突然好きだと言われても私にはどうすればいいのか分かりません……」
綺羅坂の優斗を見る目が更に強みを増し、優斗も尚更顔をしかめた。
しかし、そのあとに続いた言葉で状況が変わる。
「でも、荻原君の気持ちも分かるんです、せめてお返事だけでもしてあげたいとも思う気持ちもあります」
一度は傾きかけた話の方向性が、これでまた平行へと戻った。
雫も、一度は優斗のように誰にでも優しく接し、完璧な女子生徒として自分の気持ちを押し殺していた。
その経験から、両者の意見が分かるのだろう。
彼女なりに考えて、出した言葉がそれなのだ。
これは、元々の考え方の違いだ。
これ以上話をしていても、答えは出ないだろう。
一度クールダウンの期間を置いた方が、今は賢明なのかもしれない。
「今日はここまでにしよう……雫も綺羅坂も、優斗も一日考えてみてくれ」
「……たぶん結果は変わらないだろうけど少し家で考えてみるよ、じゃあ俺は先に帰るな」
「あぁ……」
一番に優斗が教室を後にする。
次に綺羅坂が何も言わずに教室から出ていった。
きっと、明日の朝も不機嫌そうにしている姿が容易に想像できる。
「湊君……」
隣に立つ雫だけが、教室から出ることはなく隣でこちらを見ていた。
三人の中で、唯一中立の立場の彼女も、どう反応すればいいのか困惑しているのかもしれない。
「悪かったな、急にこんな話をして」
やはり、今回は生徒会が手を出す問題ではなかったのだ。
余計なお節介が、結果として三人の関係を壊しかねない。
「いえ、私も困っていたのは本当の事ですから」
その言葉で、少しだけ肩の荷が軽くなった気がした。
いや、俺の話の仕方が悪かったのだ。
もっと、三人の考えを誘導して、何事も問題なく進行させる術(すべ)もあったはずだ。
「……まだ会長がいるかもしれないから、一度生徒会室に行ってくる」
「私はここで待っていますので、ゆっくり話してきてください」
先に帰ってていいと、そう言おうとしたが彼女の瞳を見てその言葉を飲み込んだ。
きっと、何を言ってもここで待っているのだろう。
長年の経験から、言わなくても分かった。
教室から出て廊下を歩きながら、今日の会話の流れを思い返す。
彼らの表情、言葉、仕草。
それぞれ、何を考えているのかは把握した。
それをもとに、会長への報告の後に最善策を模索するのが、今できる選択だ。
いくつか、既に頭の中で考えている中に、当然手を引くという選択肢もある。
そんな考えをしていると、いつの間にか生徒会室の前にまで来ていた。
重苦しい扉をノックしてから、ドアノブを回し中へ入る。
「真良か、どうした?」
生徒会室の中では、会長が一人書類に目を通していた。
何の書類かは、ここからでは確認できない。
問いかけてきた会長に、普段よりも小さい声で結果を伝える。
「いや……あれです、ダメでした」
「ふふ……いや、すまない。そんな気がしていたんだ」
予想とは違い、楽しそうに微笑んだ会長は、手で近くの席に座要に促す。
それに従い、会長の横に置いてある席に腰を下ろす。
すみませんね、役に立たない役員で。
会長の想像通りだった事実に、内心してやられた感を感じていると、会長が書類を置き体をこちらへ向ける。
「さ、話してくれ、どういう結果になったのか」
「はぁ……まず―――」
自分の能力、可能なことは理解している。
やれることだけをやる、その信条で生きてきた。
自分には出来ないことは、無理をしない。
必要以上に努力したところで、一人で出来ないものはどうあがいたって出来ない。
そんな時こそ、人を頼る、家族を頼る。
頼ることは恥ではない。
だが、前提として自分一人で解決できないと考えていたときに限る。
今回は、どこか一人で解決できると思っていた。
三人のことを、おそらく学園の中で最も理解している自分にならと。
最善の一手を考え抜いたつもりだった。
結果、それは最善ではない。
思い上がりが、こうして後手に回る結果を生み出したことに、自己嫌悪感を感じずにはいられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます