第十章 一枚の記憶2
「何かイメージと違いますね……」
撮影する本人よりも、楓のほうが意気揚々と雑誌と俺の顔を見比べて何やら似合う髪型を模索している。
俺みたいな中途半端に伸びた髪で似合うのを探すのは難儀だろう。
まるで他人事のように、一人食後のデザートで出された果物を食べながらその様子を眺める。
だが、俺は言いたい。
普段はセットのセの字も感じられない生徒が、修学旅行や卒業式のような行事になると急に気合を入れて髪型セットをして登校する場合、高確率で冷めた目で見られることが多い。
普段と違い過ぎるのは、それだけで違和感がある。
加えて今日の場合は、生徒会以外の生徒にとってはただの平日だ。
余計に目立つことだろう。
こういう場合は、普段と変わらず過ごすのが最善の選択だ。
未だ兄の髪型について決めかねている楓をよそに、俺は勝手に身支度を始める。
寝間着から制服に着替え、歯を磨き、顔を洗い、最低限の寝癖を直していく。
一本だけ、耳元からアホ毛のように髪が横へ跳ねているが、気にするほどでもない。
これで準備は完了、あとは時間を待つのみ。
踵(きびす)を返しリビングへ戻ろうとした歩き出した俺を、慌てて廊下を走る足音が止めた。
「待ってください兄さん!私がやりますから!」
「いや、もう終わったんだが……」
洗面所に駆け込んできた楓は、俺の髪形を見るや否や声を大にして叫ぶ。
これからやり直す手間も面倒だ。
慌てている楓から逃げるように洗面所から出るが、それを阻む人影が突然現れた。
「ダメですよ?今日はしっかりと身だしなみを整えないと」
「……なんでいるんだよ」
目の前に佇んでいた雫は、当たり前のように声をかけてくる。
むしろ、自然過ぎて最初違和感を感じなかったともいえる。
楓が何も言わないということは、既に周知済みあるいは許可済みなのだろう。
頭によぎった『無断侵入』という言葉を、隅に追いやると今一度彼女の姿に目を移す。
雫はいつもの腰近くまで伸びた黒髪を一本にまとめ、前に流していた。
それだけで、だいぶ印象が変わって見える。
抜群に容姿は整っている雫だが、それ故に幼くも見える時がある。
それが、髪型一つでこうも変わるものなのだろうか。
これが印象操作か……
一人、くだらない考えに思考を巡らせていると、右手を雫に、左手を楓に掴まれ再び洗面所まで強制的に戻される。
「じっとしていてください!いつもより少し整えるだけでもいいですから!」
「そうですよ湊君、我慢しましょうね?」
「俺は子供か」
美少女二人に押さえつけられる十六歳の男子高校生など需要もないだろう。
それに髪型程度で、必死に拒むほど子供でもない。
せめて、あとからぐちぐち文句を言うくらいだ。
俺のようなタイプは長く言うから気を付けたほうがいいぞ。
キャッキャと姉妹のように楽しそうに髪をいじる二人を横目に、俺は窓の外を通過する鳥の数を数え退屈とも感じる時間を過ごした。
「では、楓ちゃんも気を付けてくださいね」
「はい!兄さんをお願いします雫さん!」
桜ノ丘学園とは、正反対の女子高に通う楓は、玄関の前で別れる。
少し進み、突き当りを曲がる楓の姿を完全に見えなくなるまで見送ると、雫と二人通学路を歩く。
夏が近づいたこの時期は天気が良いと汗が額を流れるが、今日は心地よい風が吹いている。
山に近いこの地域の夏は、都会よりも涼しかろう。
住宅街を進み、商店街を抜けて高校に近づくにつれて周りを歩く生徒の姿がちらほら見受けられる。
「おはよう神崎さん!」
「雫ちゃんおはよう!」
皆が、雫の姿を確認すると我こそは先にと声をかけている。
早ければいい問題でもないだろうに……
「おはようございます」
雫は一人ずつ丁寧に返事を返す。
だが、十人を超えた辺りから、彼女を囲む生徒で姿が見えなくなる。
隣の俺は、当たり前だが眼中に入っていない。
挨拶する生徒もいなければ、こちらを見る生徒もいない。
雫の隣を歩こうと、彼らには背景、またはただのオブジェクトにでも見えているのだろう。
一人、また一人と生徒が雫に近づくにつれて、俺と雫の距離は離れていく。
雫も周りに増える生徒を押しのけることができず、チラチラとこちらに視線を向けてはいるが近寄るまではいけない。
本音を漏らせば、周りを気にすることなく歩けることに少し安堵をしていると、音もなく首元に真っ白な手が添えられる。
「だーれだ」
「……それは目を隠して言うセリフだ、手刀を首元に添えて言うな」
母さんの時とはまるで違う。
声だけで判断すれば、トーンが高めで機嫌が良く聞こえるのだが、彼女に関しては例外だ。
おもわず背筋が凍る感覚に陥る。
気配も音もなく表れた綺羅坂は、俺の首元に手刀の形で手を添え背後に立つ。
その姿を確認するべく、顔を横に動かすと本気の殺意を感じさせる凍てつく瞳でこちらを見据えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます