第十章 一枚の記憶
第十章 一枚の記憶1
人間も動物も、建物や自然環境ですら時が経つに連れて、消えてなくなってしまうものだ。
それを寿命と言ったり、絶滅と言ったり、環境破壊と言ったり、場合に応じで言い方は異なる。
いつまでも同じ姿のままでいられるのは、一つとして無いだろう。
限りある時間だからこそ、美しく儚い。
人の記憶も同じだ。
人の記憶は日々更新され続ける。
一日を経過するごとに記憶は次第に薄れ、気が付けば頭の片隅に追いやられ、思い出そうとしても完全に思い出すことは難しい。
だから、人は起きた出来事を、感動を、当時の気持ちを忘れぬように写真や動画などのデータで残しているのかもしれない。
特に身近にあるスマホのカメラも性能が著しく向上している。
いまでは、背景の景色の色や顔の細部までハッキリと撮影することも可能だ。
撮影するその瞬間では、大切と思っている記憶も時と共に変わりゆく。
でも、それでも人は、忘れてしまうと理解していても、この一瞬を撮り、止まった瞬間を残しておきたいと考えるのだろう。
会長とのランチを終えた後、一日が過ぎた。
近所で飼っている鶏が、朝を迎えたと鳴き声を響かせる。
鏡の前の立つ人物の目は、相も変らぬ輝きのない濁った目をしていた。
目を覚ましたらイケメンになっているとか、夢物語のような展開など起こりはしない。
むしろ、昨日よりも若干老けて見えるまである。
髪の毛が、寝癖であらぬ方向へ曲がっているが寝ている間に掻いた汗を冷水で、頭の中にこびり付いた雑念を共に洗い流す。
適当にタオルで顔を拭くと、洗濯機に投げ捨てて洗面所から出る。
「おはようございます兄さん!」
リビングでは、今日も楓が元気よく兄を迎える。
朝からそのテンションに付いていけるほど、朝型ではない。
代わりと言っては何だが、手を挙げる簡単な動作で返事を返す。
いつものことだ、楓も気にしていない。
あくびを堪えソファに腰を下ろすと、特に興味もないニュース番組を眺める。
画面には、既に見慣れた女性アナウンサーが、最近起こっているニュースに真剣なまなざしで説明していた。
人気アナウンサーとして、見ない日はない。
毎日こんなにも朝早くから仕事とは、報道関係の仕事は大変だ。
他人で更にテレビ越しであるのにも関わらず、仕事に従事する姿に尊敬の念を送っているとパタパタとテレビからとは違う方向から足音が聞こえてくる。
「兄さん、今日は生徒会で写真撮影と言ってませんでした?」
「んー……確かそう言ってたな」
「では、普段より髪を整えていきましょうね」
ソファに座る俺の前に移動してきた楓は、寝癖で乱れに乱れた髪のを手で軽く整えながらニコリと笑い掛ける。
……何故だろう、体に力が溢れてきた気がする。
太陽のごとし眩しい楓の笑顔が、太陽光発電さながら俺に力でも与えているのだろうか。
これから調子が出ないときは、楓式太陽光発電をするとしよう。
「別に普段通りでいいだろ」
「ダメですよ?会長さんの記念の写真なんですから」
そう言うが楓は子供を叱るように、白い手でポンと頭を叩く。
会長にとっては記念の写真なのは承知の上だが、俺の写りなど気にする人は少なかろう。
そんな考えを見透かしている楓は、話を切り替えるように手を合わせた。
「でも、その前に食事にしましょうか!」
「はいよ……」
差し出された楓の両手を掴み立ち上がると、出来立ての朝食が並ぶ食卓に向かい歩く。
テーブルの上には、ご丁寧に付箋(ふせん)の付けてある若者向けのファッション誌が置かれている。
開き見ると、高校生向けのヘアセットについてのアドバイスが掲載させていた。
向かいに座った楓に、これは何かと目で訴えかけると真剣な声音で一言……
「兄さんも、そろそろ身だしなみを注意しましょうね?」
「……」
これが真面目なトーンで言われるもんだから、精神的にダメージがでかい。
近しい家族に言われると、案外傷つくものだ……
誤魔化すように勢いよく口の中に含んだコーヒーは、心なしかいつもより苦めの味だった。
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