第九章 変化7


 会社に入ってから、一番最初に起きた嫌な出来事とは何か。

 いつだったか、仕事から帰宅した親父に聞いたことがある。


 その時、親父はこう答えた。

「初めて上司と二人きりで食事をしたときだな」


 自分よりも上の立場、上の年齢、距離感も掴めていない新入社員の時代では確かに嫌な出来事だろう。

 


 まさに、いま俺の置かれた状況と似ている。

 目の前に座るのは高校の生徒会長で、一つ年の学年、最近知り合ったばかりと共通点も多々ある。


 だが、部活に入っていない生徒にとっては、学年など大した問題ではない。

 そもそも、同学年以外と関わることも少なく、見た瞬間ではすぐに学年など分からないものだ。


 上履きの色を確認して、初めて把握できるまである。


 見慣れ始めた教室ではあるが、ぎこちない空気が漂う。



 会長は普段の活動では使うことの少ない冷蔵庫から、布に包まれた容器を取り出すと中からサンドイッチを取り出した。


 間に挟まれた野菜が瑞々しく輝いているのが、空きっ腹を刺激する。



「君の弁当は妹さんの手作りかね?」


「ええ、まあ……」



 視線は弁当の一点へ向けたまま答える。


 球体をこれでもかと主張する緑色をした豆類。

 出たなグリーンピース、俺の宿敵め……。


 茄子(なす)の次に嫌いな野菜ランキングに入る強者(つわもの)だ。



 器用に箸先で豆を摘まむと、弁当の端に寄せる。

 また家に帰って楓に残したことを注意されるだろうが、嫌いなものは仕方がない。



 何やら自分の弁当と俺の弁当を見比べた会長は、「ふむ」と一つ頷いた。


「私も毎朝弁当を作っているのだが、君の妹には勝てそうにないな」


「作っているだけ凄いですよ、俺なんか妹に頼りっぱなしですからね」


 女性にとって、料理とは一つのステータスなのだろう。

 自分より二個年齢の下になる楓の料理を見て、敗北感でも感じたのか苦笑いを浮かべていた。



「そうだった」


 会長はそう言うと、立ち上がり部屋の奥に姿を隠す。

 向かった先は給湯室だったはず。


 普段、火野君が根城としている場所だ。


 奥から、嗅ぎ慣れた香りを立ち込めさせて会長が持ってきたのは、二つのマグカップ。

 中にはインスタントであろうコーヒーが注がれていた。



「インスタントだがコーヒーでもどうかね?弁当には合わないだろうが」


「すみません、俺が入れる立場なのに……」


「気にするな、私はそういう上下関係は苦手でね、まあ飲んでくれ」


 微笑を浮かべ、片手に持っていたマグカップを差し出してくる。

 それを受け取ると、湯気の立ち籠る中身を冷ましながら一啜りした。


 

 正面に腰を下ろした会長は、両手でカップを包んだ体勢で笑顔でこちらを見ている。

 いや、まるで観察しているかのようだ。



 遠慮する素振りなど微塵も感じない。

 こうも堂々と見ていられるのも凄いものだ。


 何が目的で食事になんて誘ったのか。

 手は動かしたまま、頭の中ではそればかりを考えていた。



「怜は……私の知っている彼女はもう少し感情表現の乏しい女性だったのだがな」


「はぁ……あの綺羅坂が」


 唐突に話題が変わり話し始めた会長は、遠い目をした表情でそう話した。


「表現が乏しいとは語弊があるかもしれないな……それでも妹のような存在だ、私も怜の変化は嬉しいが同時に複雑な気持ちもあるのだよ」


「……俺には変わっていないように見えますけど」



 仮に何か変わったかと言えば、彼女のイメージ、噂が真実ではなかったことくらいだろう。

 感情表現が豊かではないのは否定できないが。



 ……興味のない相手にはとことん無関心な所も噂通りか、特に優斗とか。

 


 彼女なり、相手の意図を察しそれでも必要と思わなければ、氷の女王と呼ばれていた無反応の冷たい態度を取っているのだ。

 そこの線引きは彼女にしかわからない。


 表面上仲良くしていて、腹の中では何を考えているか分からない女子よりも余程良いがな。


 俺は偶然、その線引きの中に入れただけで、優斗は入れていない。

 雫はそもそも線引き云々でなく、犬猿の仲、それが正しい表現だろう。



「成長、心境の変化があったのかは怜にしかわからないが、それでも君のおかげでもあるのだろう。私には出来なかったからこそ、君が羨ましいとも感じている」


「そんなことないですよ……」




 俺は、成長を促せるほど立派ではない。

 彼女自身の心境の変化、環境の変化に応じて変わっていっただけのこと。


 きっかけになったのも、俺ではなく雫や優斗などの影響が大きかろう。

 会長が言うほど、俺は何もしていない。


 故に、疑ってしまう。

 何を考えているかわからない人ほど、恐ろしく感じるのが当たり前の反応だ。



「神崎も最近楽しそうにしている、良いことだ」


「……そうですね」



 悪気もない会長の言葉が、小さく胸に突き刺さる。

 現実から目を背けていたことを、突きつけられるようだ。


 会長は知らない……優斗が告白したことを、雫が気持ちを本音を伝えたことを。


 雫も優斗も変化を望んだ。

 己が好意を寄せていた人間との関係性に、成長、進展を望んだのだろう。


 その結果、今の曖昧な関係性が生まれた。


 原因は明白、俺の答えだろう。



 だからこそ、嫌な気持ちになる。

 お前だけだと、逃れるすべのない現実が目の前に現れる。



「……俺だけか」


「ん?何か言ったかね?」


 サンドイッチを頬張っていた会長は、中々に可愛らしい姿だったが、俺は視線を下にすぐ逸らす。

 半分ほど食べていた弁当を閉じると、席から立ち上がる。


「会長、次が移動教室なので俺はここで失礼します」


「……そうか、付き合わせて悪かったな、写真の撮影日時は放課後の活動時に知らせる」


 扉の前で一度振り返り、会長に頭を下げてから退室する。


「変化を望まないことも、時には正しいこともあるんだよ真良」


 背中越しに、一言会長の言葉が耳に届く。

 優しい声音だった。

 慰められていると感じてしまうほどに……。



 人一倍、生徒に目を向けているのが柊茜という生徒なのだ。

 だから、些細な人間性の変化意にも気が付いてしまう。


 昔から付き合いのある人物が、関わっているのだから内容も自然と絞られるのだろう。

 

 昼食に誘われた意味を、少しばかり理解した俺は生徒会室から出る。






 俺は未だ昼休みで生徒の声が響く廊下を一人歩き、かき消されるかのような小さな声を零した。


「……疲れた」


 

 無意識に考えまいとしていた現実を、突きつけられる一日だった。




  

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