第一章 新学期3

「……いや、まさか返事をされるとは思ってなくて」

 

 むしろ俺の存在を認識してくれるとも思っていなかったが……

 純粋な感想を彼女に向けて告げる。


「あら、そんな風に思われていたの?私は常識的に返事をしただけよ?」


「……よく挨拶されても無視していた気がするけど」


 俺の言葉を聞いた彼女は右肘を机に付け、右手で頬を支えながら、含みのある笑みを浮かべた。

 それが憎たらしいほどに整っていて、目を逸らしたくなる。


「あんな下心丸出しの男達に、何故返事を返さねばならないのかしら?」


 どこか裏があるような笑み。

 しかし、教室へ差し込む太陽の光も相まって、不覚にも美人だと言われる意味を悟ってしまった。


 女性にしては高い身長に、制服の上からでも容易に分かってしまうスタイルの良さ、肩より少し伸びた髪は黒く、男の俺でも手入れを欠かさず行っているのだろうと思うほど艶やかだった。


 確かに綺羅坂は美少女だが、どちらかといえば美人の部類に入るだろう。

 醸し出す雰囲気のせいか、俺達より少し大人びて見える。


 お互いに視線が重なり、しばらく逸らせずにいると、先ほどまで騒がしかった教室が静まり返っているのに気が付いた。


 その理由はおそらく二つ……彼らの中心にいた優斗と雫の二人がこちらを見ていたことに加えて、そして氷の女王なんて呼ばれる綺羅坂が、相手が誰であれ生徒と普通に会話をしていたからだ。



「綺羅坂が男子と話をしているところなんて初めて見たぞ……」


「あの人誰?」


 そういうクラスメイトは小さく話しているつもりだろうが、教室が静まり返っているのでこちらにもおのずと聞こえてくる。


 それよりも「あの人誰?」という言葉には、少々心にくるものがある。


 話をしていた女子生徒は去年俺と同じクラスの女子生徒だ。

 しかも俺と優斗が友人であると聞きつけるや、紹介しろと無理言ってきたこともあったのに覚えてすらいなかったとは……



 クラスメイト達がボソボソとこちらを見て何かしら呟いている中、優斗が生徒の輪の中を抜けこちらに歩み寄ってきた。


「やぁ綺羅坂さん、一年間よろしくね」


 綺羅坂の目の前で立ち止まった優斗は、まさに王子様スマイルで彼女に挨拶をする。

 俺達の近くに座っていた数人の女子生徒は、優斗の笑顔を見ると思わず顔を赤く染め俯いてしまった。


 こいつが相手など関係なく、フレンドリーに接することができる奴だとは知っていたが、まさか多くの視線が集まる中、綺羅坂にもサラリと声を掛けるほど強気な生徒だとは……


 おもわず、優斗の中にある無意識女の子キラーの効果が発動してしまったのかとさえ考えてしまった。


 屈託の無い笑顔に「これだからイケメンは……」と、彼に聞こえないくらいの声量で呟く。

 しかし、綺羅坂から返ってきた言葉は、一気に教室内の空気を凍らせた。


「どなたかしら?」




 彼女の一言で静まり返る教室。

 男子生徒達はその場に立ち尽くし、女子生徒は絶句していた。

 次第に女子の中で我らが王子を侮辱したと、怒りのあまり立ち上がる生徒まで出てきた。


「お、俺のこと知らない?荻原優斗っていうんだけど」


「存じ上げないわね、それに生徒全員が自分を知っていて当然と思っているなんて、あまりにも自意識過剰なんじゃないかしら?」


 今度の言葉には、女子生徒達も言葉が出なかったらしい。

 彼女達は言葉一つ発することなくただその光景を驚愕の顔で眺めていた。


 優斗も「そうだね、気を付けるよ」と、相変わらずの笑顔を崩さず返していたが、若干口元がピクピクと引くついているのを見逃さなかった。


 いつもニコニコスマイル製造機(湊命名)の優斗も、多少は自分が有名だと自覚していたらしい。

 お得意の笑顔に乱れが生じた。


 顔と名前が一致しないなんてよくあることだが、彼ほどの有名な生徒のことを知らない人がいること自体が衝撃的だ。

 これには、さすがの優斗も初めての体験だったのだろう。


「荻原優斗……哀れなり……」


 俺は、その場を立ち去る優斗の哀れな背中を、思わずニヤけてしまいそうな表情を引き締めて見送っていると、彼女が再びこちらへ振り向く。


「彼、とてもイケメンなのね」


「学園の王子様……なんて言われてるからな。本当にあいつのこと知らなかったのか?」


「えぇ、本当に知らなかったわ。それにあの人、イケメンを絵に描いたような人で全く興味がないわ。テンプレートみたいな人嫌いなのよね」


 ……これまた凄いことを言う人だな。


 普通の女子生徒が同じセリフを言ったとしても「何言ってんだこいつは?」位にしか思わないが、彼女のような美人が言うと、どこか説得力を感じる。


 美人にはイケメン、なんて考えはやはり固定概念なのだろうか?

 そういえば最近、美女と野獣カップルなんてテレビでも聞くことがあるし、この子もそのパターンなのだろうか。



「じゃあ綺羅坂さんの興味のある人ってのが気になるな……野獣系とか?」


「野獣?……あぁ最近よく耳にする野獣男ってやつね、嫌よむさ苦しい。そうね……世の中つまらなさそうに生きている人なんてとても興味があるわ。……それと同学年なのだからさん付けではなくて名前で呼んでもいいのよ?」


 ……変な人決定。

 その瞬間、俺の中で綺羅坂怜という女子生徒の存在は、氷の女王ではなく変な人と更新された。


 彼女は、とても噂のような人とは思えない笑みを浮かべる。

 雫のように周りを自然と笑顔に変えるような笑みではないが、楽しそうに、そして自然と視線を集めてしまう……そんな笑みだった。


「嫌だよ……ここで軽々しく名前で呼べるほど、主人公補正とコミュニケーション能力が高くないんでね……どこぞの主人公みたいで気持ち悪いし……」


「ふふ……そういう反応、私とても好きだわ」


 とても楽しそうにしている綺羅坂を見ていると、心臓がドキドキ……なんてするはずもなく、サーっと体温が下がるのを感じる。


 今まで聞いてきた噂とのギャップが凄いのと、目の前の彼女が妙に謎めいていて、おもわず警戒してしまう。


 そんなことを考えていると、今度は雫が優斗と入れ替わるように近づいてきた。

 ちなみに二人を囲んでいた周りの生徒達は、哀れな優斗に声を掛けてフォローしていたので、今度はこちらをあまり気にしていなかった。


「おはようございます綺羅坂さん」


「あら神崎さんじゃない、おはよう」


 綺羅坂は神崎のことは知っていたようで、普通に挨拶を交わしていた。

 だが、一言挨拶をしただけで、二人は少しの間言葉を発することなく見つめ合っていた。


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