四.

「その時はあたしと二宮さん、男の先輩二人の四人で打ってたんだけど」

 すらすらと口から流れでてくる言葉が渦のようになっていくのを感じながら、季子は、卓袱台の上でうつ伏せになりつつも顔だけをあげている槙原を見ている。

 眠たげな目は、本当に眠いのか、元々そういうものなのか判断し難かった。高校時代の記憶からすれば、元からこんな顔をしているので、後者である可能性が高い。とはいえ、なんだかんだ段々と時刻が遅くなってきているのもまた事実であり、ほぼ上半身だけ転がっているような今の槙原が眠気を感じていてもおかしくはなかった。

「あたし途中で、寝こけちゃってさ。何の牌を切ってるのかもわからなくなっって」

 槙原の上目遣い。目を開けたまま寝ているのかもしれない。それにしても、あらためてみると整った顔をしている。高校の時も似たようなことを何度か思った覚えがあったけど、その時はどちらかと言えば、野暮ったい、という印象の方が強くて、深く突きつめることはなかった。しかし、あらためて向き合ってみれば、綺麗な鼻筋や細い唇なんかは羨ましいくらいだし、野暮ったさの遠因の一つでもあった眠たげな目も、今では無垢さを感じさせ、これはこれでありだと思わせられる。

「そうやって、なんか適当に牌を切ってる途中にパチッと目が覚めてさ」

 手を大きく広げる季子。わずかに瞬きをする槙原。たぶん、起きているんだな。なんて思いながら、先程聞いた、浮いた話がない、という槙原の言を信じがたく思う。無くなってはっきりしたのは、黒く長く伸ばされた髪が、かつての槙原の野暮ったいところをほとんどを引き受けていたこと。うなじの上あたりまで髪が切られ、はっきりと綺麗な顔が見えるようになったうえに、一見すれば隙だらけ。これで男が寄りつかないはずはない、と季子は今まで生きてきた経験則から断定し、ならなんで、と謎を深めた。

「なんでかわからないけど、先輩が切った牌を見て、慌ててロンって叫んだんだけど」

「ロン、って、あがりだったっけ」

「そうそう、よく知ってるね。それで牌を全部倒したんだけど。全然、揃ってなくて、みんなから指差されて笑われたってオチ」

 たぶん、槙原が気付いてないっていう線が有力かな。季子の頭にぱっと浮かんだのはそんな推測だった。今の槙原が高校時代の延長線上にあって、どことなくぼんやりとした内面を持ち続けているのであれば、あり得るかもしれない。ただ、そこまで鈍感であるのか、という疑問もあった。

「ふぅん」

 さほど関心がなさそうにカップを人差し指の腹で撫でる槙原。一見すれば、いまだにぼんやりとしているようだったが、いつ何時でも眠たげな目であるならば、槙原は槙原なりに瞼を見開き、耳を欹てているのかもしれない。仮にそうだとすれば、もう少しわかりやすくして欲しい、と願う一方、季子には高校の頃との違いも感じとっていた。

「けど、それが良かったのかもね。その時、一緒にいた先輩と付き合えたし」

 ミツル先輩。頭の中でその名を転がしてから、槙原の方を注視する。

「へぇ」

 相も変わらず興味なさげに相槌を打つ女。しかし、特に嫌そうな顔をしてはおらず、どちらかといえばだらりとしている。

 一か月だけ槙原と一緒に昼食を採っていた間のことを思い起こす。季子の他人に対する振る舞いは今も昔もさほど変わらない。相手の調子を探りながら、なんとなく楽しげな話題を振る。そうしていれば、たいていはどこかで足並みが揃って、やがては季子だけではなく相手の口数も多くなる。しかし、槙原とは一度として会話が弾むことなどなく、話しても話してもいつも一定の調子かつ、仏頂面で受け止められたし、挙句の果てに、どこか鬱陶しそうに眉間に皺が寄った。やりにくい、という印象は根強く残っている。

 片や今。一見すれば槙原の表情はあの頃と変わらない。だが、少なくとも、嫌がっている気配は見受けられない。有り体に言ってしまえば、柔らかくなったとでも表現すべきだろうか。もちろん、短い期間、食事をともにしただけの季子の印象などさほど当てにならないかもしれない。ただ、こうして目の前で一緒にいるのが厭にならないというだけで、断然、やりやすいという思いがあった。

「その人、ミツル先輩っていうんだけど、すごくいい人なんだよ。ちょっと馬鹿で抜けてるけど、牌を勢いよく倒す時の手つきがカッコいいのなんの」

 なんとはなしにミツル先輩の話を垂れ流す季子に、槙原は力の抜けた返事を続ける。その姿は、聞き分けのない子供相手にただうんうんと頷く祖母じみていたものの、たいして嫌な顔もされずに受けいれられるのが、段々と心地良くなっている気がした。あるいは、なにもかも気のせいなのではないのか、という疑いはあったものの、まあ、気のせいでもいいかな、とも思う。なにせ、まあまあ、気持ちがいいから。

「あと、カッコいいのもそうなんだけど、なにより一緒にいて楽しいのがいいよね。あと、楽なの。こう言うとちょっと恥ずかしいけど、裸なあたしでいられたっていうか」

 ちょっとはずしたかもしれない。さして話している内容を鑑みないながらも、やらかしたような感じだけは引っ掛かっていたものの、やっぱり気持ち良いから口は滑りに滑る。相も変わらずたいした感情の機微が見受けられない槙原の顔面。ともすれば、壁に向かって延々と独り言を喋っているような気分に陥りそうだったものの、そうなんだ、なんて気の抜けた小さな声が返ってくるものだから、そうではないと確信できる。少々、恥ずかしい事柄を話しているという自覚はあったものの、相手が槙原であればさほど気にすることもないだろう、なんて思いもした。一方で、胸の中にとある想いが湧きあがってくる。

「デートも色んなとこでしたよ。海も行ったし、山も行ったし、遊園地も行ったし。あと、今みたい青春十八切符で遠くにも行ったし」

 もしも、もしもだ。あの昼食をともにした一か月の間。もう少しだけ槙原の表情筋が弛んでいれば。あるいは、季子自身がもう少しだけ槙原の気質を読みとって、せめて今くらいの顔をしてくれるような話ができていれば。ほんの少し誤差があったとすれば、こうして再会するまでとは言わず、もっと良好な関係が築けたんじゃないのか。そんな今更。幸福な可能性が頭に浮かんで、少しだけ寂しくなった。

「ミツル先輩はあんまり要領が良くないから、毎回、行く先々でトラブルがあったりしたけど、それも楽しくて、どんどん、弾みがついて夢中になっていったな。二宮さんに頼んで実家に口裏合わせしてもらって朝帰りなんてこともけっこうあったし。あっ、もちろん、二宮さんには埋め合わせはしたからね」

 二宮さんの話がでて、どことなく強張る槙原の顔。案外、わかりやすい子なのかもしれない。あの頃、もう少し余裕があれば気付けたかもしれないし、そうでないかもしれない。とにもかくにも気付いた後悔は雪だるま式に積みあがっていくものの、全てはやはり今更であって、この想い自体無駄の積み重ねのようにも思えて。とはいえ、今からでも遅くないんじゃないかなという気持ちもあった。

「けど、そんな風なのももう一年前くらいかな。ミツル先輩とは別れちゃったし」

 窓に激しい風がぶつかる音。嵐はまだまだおさまりそうにない。それはつまるところ、まだまだ槙原と話せる時間が残されていることを意味していた。

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