三.

「砂糖ちょうだい」

 そんな村上の願いに、和泉はスティックシュガーを差しだす。村上は、ありがと、と軽く答えてから、ふーふーと息を吹きかけた。卓袱台の対面に座りながら、和泉は自分のブラックコーヒーをちょびちょび口にしてから、苦い、なんて当たり前のことを思う。そうしながら、対面に座る村上の方をぼんやりと眺めた。

 台風の中。急にやってきた来客。辛うじて顔を思い出せた程度のクラスメート。村上の方は、仲が良かった、なんて言っていたものの、特別に親しかった記憶はない。ただ、一ヶ月ほど、席が前後だったから一緒に昼食をとっていた。その程度の繋がり。

 とはいえ、別に仲が良かったわけじゃないし、なんて本人の前で言うのも変な話であるし、仮に口にしたとしても、当の村上の方は、同じ釜の飯を食った仲ってとはもう友だちって言ってもいいくらいじゃない、くらいのことは言いそうだった。というよりも、村上に仲が良かった、と認識されているのが少々意外でもある。

 まあ、村上だし。

 高校の時、あまりよく見てなかったクラスの様子を頭に浮かべてみる。覚えているかぎりだと、村上は色んな人と話していた。クラスの中心、と呼べるほどではないにしろ、誰とでも仲良くしていたような気がする。それこそほとんど一人でいた和泉とは対照的な少女だった。そんな少女だった女が三年以上経ったあと、ここにいるというのはとにかく不思議の一言だった。

 当の村上は砂糖を入れたコーヒーにようやく口をつけて、うんうん、なんて満足げに頷いて、いる。どうやら、死ぬほどまずく淹れてしまったわけじゃないらしくて、一安心した。

「いやぁ、槙原が泊めてくれて助かったよ。このまま一晩中嵐の中で過ごすのはぞっとしないし」

 カップを一旦卓袱台の上に置いた村上は、和泉が貸した白い半袖のTシャツ越しに両肩を押さえる。わざとらしいな、と思ったあと、和泉は、そもそも、と前置きをしてから、

「なんで、村上は今日ここにいるわけ」

 単刀直入に尋ねた。きょとんとした様子で瞬きをする村上。それからすぐに困ったような顔をしたかと思うと、曖昧な笑みを作ってみせる。

「う~ん、なんでだろうね」

 そのなんでを聞いているんだけど、と言おうとしたところで、台所で似たようなやりとりをしたことを思い出す。もしかしたら、さっきのお返しかもしれない。そう察しかけたところで、

「もうちょっと真面目に答えると、旅行の途中だったんだよね」

 などと舌を出してみせる村上。しかし、和泉は尚も解せない。

「こんな台風の中で、旅行してたの」

「ここ何日か、青春十八切符でふらっとしてたからね。しばらく、天気予報も見てなくて、台風だっていうのも昨日か今日、気付いたくらいだったし」

 さらさらと語る村上の発言。一応、筋は通っているように見える。ただ、和泉は村上の言の葉の端々に何かを隠しているような気配を感じていた。

「そう、なんだ」

 とはいえ、この場でそれを追求しようという気持ちは湧かず、わざわざ藪を突くようなまねをしようとは思えない。曖昧な同意のようなそうでないようなことを口にしてから、コーヒーを舐めるように飲んだ。和泉の気持ちを知ってか知らずか、だから大変だったんだよ、なんて口にしてから卓袱台に覆いかぶさるようにうつ伏せになる。

「あんまりお金を使いたくなかったから、ホテルに行きたくなかったし、だからといって、ネカフェで泊まるのは飽きてたしちょっと怖いし。だから、近くに知り合いいないかなって思ってたところで」

 急に起きあがった村上は、バシッと和泉を人差し指を向ける。人を指差すな、と少しいらっとする和泉の前で、

「この前、二宮さんと話した時に、槙原がこの辺に住んでるって聞いてたからさ。さっき、電話してここの住所を教えてもらったってわけ」

 そう言ってみせてから、いやぁ、本当に助かったよ、と付け加えた。

「二宮と仲良いの」

 眼鏡をかけてぼさっとした髪をしたかつての文芸部の仲間の顔を頭に浮かべる。そう言えば、最近会ってない。というよりも、大学の交友関係が中心になったせいで、かつて良くしてもらった知り合いたちとも疎遠になっている。

「あたしはそのつもりだよ。同じ大学で同じサークルだし」

 これまた妙な縁もあるものだ。社交的な村上に、非社交的な二宮。少なくとも、高校時代の印象のままでは、交わらなさそうに見える二人であるのに。その上、同じサークルでもあるというのだから、人間はわからない。

「村上と二宮は今、どんなサークルに入ってるの」

 かつての仲間の今への興味、そして嵐の中の闖入者に対するほんの少しの好奇心。この二つに押されるようにして尋ねる。

「麻雀研究会、っていう名前の飲みサークルだよ」

 やはり、今の二宮とかつての二宮の間には大きな落差があるらしい。ほんの数秒前までは予想だにしていなかったサークルの名前に驚きつつ、そう、なんて呆けた声で答えた。和泉の顔がどんな風に見えたのか、村上はコーヒーをぐいっと飲んでから楽しげな調子で、

「ぶっちゃけ、あたしはそれほど麻雀が好きってわけじゃないけど、色んな人たちとわいわいするのは好きだしね。あとはまぁ、男漁り、的な」

 なんて言ってみせる。少なくとも今の和泉にはあまり縁のない世界だったし、かつての印象だけでいえばそれは二宮もまた同じだった。しかし、そんな二宮が村上と同じく、男漁りの世界にいる。不思議そのものだった。

「二宮さんは、あれだね。前、本人に聞いたけど、先輩たちの勧誘に押し負けたんだって。それが今や、あたし以上にどっぷりなんだから。人間って面白いね」

 なにがおかしいのか腹を抱えて笑う村上。ちっとも面白くない和泉は、今度二宮と会う時が怖くなりはじめる。それと同時に、昔、一緒に食事をしていた時も、無意味に腹を抱えて笑っていた村上を思い出した。よく笑うな、なんてどこか他人事みたい見ていたような覚えがある。こういうところは変わっていないのかもしれない。

「それにしても、槙原さ」

 どこか意外そうに目を軽く瞬かせる村上。なに、と尋ね返せば、

「なんか、高校の頃よりも喋るようになったね。あの頃は、ほとんどうんとかすんくらいしか言わなかったのに」

 なんて応じた。まるで、子供の成長を見守る大人みたいな物言い。村上が私のなにを知っているっていうんだろう。そう思ったものの、言い返す気にもなれず、気のせいじゃない、と口にするに留めた。実際、今も口数が少ない自覚がある。

「いやいや。昔に比べるとまだ会話になってる感じがあるし。あたしとしては、ほら。息子とキャッチボールができるようになった、みたいな感動があってさ」

 あなたは私の父親なの、と頭の中でつっこみつつ、そう、と答える。途端にくるくるとつまらなさげな顔をする村上。

「ほら、また無愛想になった。もっと色々と喋ろうよ。恋バナとか」

「そんなのないし」

「槙原、花の大学生なのに、そういうの少しもないわけ」

「私は麻雀研究会に入ってないしね」

 実際、和泉の周囲でそう言った浮いた話は聞かない。観測していない範囲では色々とあるのかもしれなかったが、少なくとも和泉自身はかかわることはおろか、知ることもなかった。

「では、お聞きしましょう。麻雀研究会に入っていない槙原さんは、大学生になってから何をしているんですか」

 緩く握った拳を縦にして和泉の目の前に持っていく村上。一瞬、間を置いて、マイクを模したものだと気が付く。案の定、村上は、ほらほら、なんて言いながら、即席インタビュアーらしき素振りを見せた。少しだけ鬱陶しかったものの、別段、隠すようなことでもなかったので、

「本を、読んでる」

 当たり障りのないことを口にする。

「それから」

 他に何かあるに違いない。無駄な確信に満ち溢れた村上の目。もしも、私が何もないって言ったら、どんな顔をするんだろう。そんな興味がほんの少しだけ湧いたものの、

「日文の講義を受けたりしてる」

 またまた、何の変哲もない言の葉の連なりを口にする。

「それから」

 村上の追及は止まない。少なくとも、両方の眼球の中に詰まっている好奇心が満たされるまでは、この問いかけが繰り返されることは必至だった。

 それで、全部。私にしては充分言ったでしょ、なんて答え終わらせようとしたものの、相も変わらず、もっともっと、なんて語りかけるみたいな村上の両の目を見ていると、口を閉じ辛くなり、

「喫茶店で涼んだりしてる」

「それから」

「たまに映画を見に行ったりしてる」

「それから」

「大家さんの家でお菓子とか朝ご飯をごちそうになったり」

「うんうん、それからそれから」

 あなたは妖怪かなにかなの。どこかで聞いた怪談を頭に浮かべながら、目の前にいる自分と同じ年恰好をした生き物の素振りに困惑する。その最中に、何か村上が望んでいる答えがあるのではないのかと思い当たった。それが何であるのか。なんて考えながら、

「サークル室でだらだらしてる」

 と口にした瞬間、村上の瞳孔が少し広がった。

「へぇ、そうなんだ。それでどんなサークルに入ってるの」

 マイクと思しき手を引っこめてからあらためて尋ねてくる。どうやら、これが求めていた答えらしい、と知ったあと、

「ペンクラブ」

 やはり隠すことではなかったから正直に答え、

「それはなにするところ」

 村上が唇をたわませ、

「本を読んだり、小説とか詩とかを書いたりするサークル」

 なぜだか少しだけ不安になって答えれば、

「やっぱり、本が好きなんでしょ、槙原」

 なんて楽しげに言われる。

「他のことよりは」

 なんとなく自信が持てずに、おずおずと答えた。

 村上は楽しげに微笑む。

「好きなことがあるのはいいことだよ。きっとね」

 少しだけ吐き捨てるような物言い。まるで、村上自身に好きなことがないような言い方。いや、そんなはずないでしょ。絶えず笑みを浮かべる高校時代と今の村上の姿を頭に浮かべてそう思うものの、きっとね、という言の葉が引っかかっていた。

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