8-6

《とある少年の英雄譚の結末》



「ねえ、シスター」

「はい、なんでしょうか。勇者さま」

「シスターは、その……。どうして僕を信じてくれるの?」

「はい?」

「だって、僕は、田中さんを……」

「聖女さまのことは、私にも責任があります」

「そんな! だってシスターは、ずっと、ずっと田中さんのことを助けてあげてたじゃないか」

「いいえ。私が助けた気になっていただけだったのです。聖女さまの抱える苦悩を、私は分かって差し上げられなかった。私が言葉をかける度に、聖女さまは悲し気な顔をされていました」


「それなら、なおのこと……。僕のせいだよ。同じ世界から来た僕が、誰より田中さんのことを分かってなかった」

「勇者さま。きっと人と人は、簡単には分かり合えないのですね」

「シスター……」

「あの三人の悪党と出会うまで、私はそんなことを考えもしませんでした。人と人は寄り添い合って、助け合って生きていくものだと。真摯に向き合えばどんな相手にも気持ちは通じるのだと。……だけど、だけど、人と人はこんなにも争い合い、憎しみ合っている。人々の心の醜さに、私は自分だけが傷つけられているようで、人から目を背けました」

「……そんな、そんなこと」


「けど、そんなとき、あなたに出会いました。あなたに助けられました。あなたの語る理想は、私が信じる理想そのものでした」

「違う……。違うんだ、シスター。僕は、僕だって何も分かっていなかった」

「はい。分かっています。あなたの語る理想が、決してあなたの中から生まれた言葉ではないことは。けれど、勇者さま。私にとっては、醜く汚い本物の世界よりも、あなたの語る空虚な理想のほうが心地よかった」

「うん……」

「勇者さま。私もまた、道を間違えました。戦うべきだったのです。自分自身の手で。どんなに恐ろしくとも、どれだけ自分が非力であっても。あなたがそれを、気づかせてくれました。あの恐ろしい悪党たちの罠に、怯えながら、怖れながら、それでも真っ直ぐに立ち向かうあなたの勇気に」

「……うん」


「分かっています。本当のあなたは、臆病で、弱気で、自分に自信がなくて、それでいて、誰よりも優しい普通の殿方だと。でも、だからこそあなたは、本物の勇者になれる。人と人が手を取り合う架け橋になれる。私は、それを信じています」

「うん……うん……」


 ありがとう。シスター。



 ………………。

 …………。

 ……。



 体が重い。

 肺が痛い。

 体中の皮膚が引き攣れるような寒さ。

 目は霞み、歯の根は噛み合わない。


 今まで一度だってこんなことはなかった。

 どれだけMPを消費したって、身につけたステータスまで下がるだなんてことはなかった。

 だけど、今のこの状況はそんなものじゃない。

 

 それどころか、今まで身につけてきたスキルまでもが、全て。

 自分の身に何が起きたか、流石に察しがついた。


 勇者としての力チートがなくなっているんだ。

 夢から覚めた気分、いや、悪い夢を見ているようだ。

 必死に身を縮こませても、刻一刻と体が冷えていく。

 力が入らなくなっていく。

 僕の体はこんなにひ弱だったのか。


 白く霞んだ視界の中に、血塗れの体に蒸気を燻らせる大男の姿。

 嘘だろ。

 なあ。

 君はさっきまで、こんな気温の中で戦っていたのか?

 いや、彼だけじゃない。

 僕が薙ぎ払った兵士たちも、戦場に立って指揮を執っていた凍倉美園も、それを補佐していたメイドも、全員が同じ条件で戦っていたんだ。

 僕だけを除いて。


「あ。あー。なんだ、おい。これなら通じるか?」


 篠森潮が、日本語で話かけてきた。

 その一瞬で疑問が解ける。

 そうか。この世界に来てから一度も言語に不自由しなかったのも、この世界が僕に都合の良い場所だからじゃない。ただ僕がズルチートをしていただけだったんだ。


「悪いな。ホントはてめえを逃がして、力取り戻させてから仕切り直したいトコなんだけどよ」


 ふらふらと、それでも力強く、近づいてきた彼がその巨きな拳を握りしめた。


「今回ばかりは、そういうわけにもいかねえんだ」


 僕の背中に、いまだかつて経験したことのない絶望がのしかかる。

 僕の手には何もない。

 スキルもステータスも魔法も武器もなにもない。

 怖い。

 怖い。

 怖い。


 だけど。



『勇者どの』



 だけど。



『勇者さま』



 だけど!


 怖い?

 そんなのいつものことじゃないか。

 僕が今まで一度だって自身満々に戦ったことがあったか?

 僕の手には何もない?

 そんなの、相手だって同じじゃないか。


「……な、なに、を。もう勝ったみたい、な気に、なってるんだ?」

「ああん?」

「こ、これで……五分と、五分だ……!」

「…………面白ぇじゃねぇか」


 呂律の回らない舌で辛うじて吐いた虚勢は、信じられないほど弱々しい。

 だけど、そうだ。

 シスターも。ウィーズリーさんも、兵士のみんなも。誰一人だって、僕の『力』によって僕を認めてくれたわけじゃなかった。


 何もかも失った?

 それがどうした。

 僕の胸の内には、こんなにも勇気が湧いてくるじゃないか。


 なら、僕は。


 僕はまだ、勇者だ!!



 ごん!!!!



 僕が握り締めた拳を振りかざすよりも速く、眼前に迫った巨きな拳が、僕の視界を黒く塗り潰した。



 体から重力が消えた。

 次の一瞬で背中に何かが激突し、肺から息が絞り出される。

 口の中に血の味が充満し、手足の感覚がなくなる。

 自分がいまどんな姿勢でいるのかも分からない。

 瞼が重い。

 息がうまくできない。


 苦しい。

 

 ゆっくりと、重たそうに体を引きずって、再び篠森潮が眼の前に歩み寄ってきた。


「悪いな。俺ももう、力が入らねえ。直ぐに楽にしてやれなくてよ」


 その言葉に抗うだけの力は、もう湧いてこなかった。

 勇気はまだ、胸の内にある。

 だけど、体が。

 このどうしようもなく弱く貧しい身体が、もう言うことを聞いてくれない。


「……あぁ。……僕は、弱いなぁ。やっぱり、僕じゃダメだなぁ……」


 弱音が口から漏れるのを、僕の中の何も止めてくれない。

 目の前に立つ大きな影が、膝をついてきた。


「何言ってんだ? お前、一度は俺に勝ったじゃねえか」

「…………??」

「なんで不思議そうにしてんだよ。今日はソノ子にも勝って、レン太にも勝った。だからこっちは三人がかりでお前を倒したんだぜ?」

「それは……僕が、チートを使って――」

「あのなぁ。戦場で丸腰の相手を剣で斬ったらそいつは卑怯か? そいつを後ろから銃で撃ったら反則か? みんな命がけで戦ってんだ。それで勝てると思うなら魔法でもチートでもなんでも使えばいい」

「だけど、それは――」

「借り物だろうが貰い物だろうが、使ったのがお前ならそれはお前の力だろ」


 …………ああ。

 この人は、強いなぁ。

 非道で、無軌道で、残酷で。

 それでも、強いなぁ。


イサム


 そんな男が、僕の名前を呼んだ。


「お前は強かった。お前は勇敢だった。間違いねえよ、勇者なんてのは、俺には相応しくねえ。だけど、今回はの勝ちだ」


 その瞬間、僕の中の何かが溶けて消えた。

 不思議なほど柔らかく、暖かな闇が瞼の上に落ちてきて。


「ああ、それと、ソノ子から伝言だ。シスターのことだけどな――」


 え?

 ごめん。

 もう聞こえないよ。


 篠森くん。

 

 僕は君を許したりしない。


 君を認めたりしない。


 だって、そんなの悔しいじゃないか。


 だから。


 せめて、最後に――。



「くそったれ」



 捨て台詞くらい吐かせてくれよ。



 じゃあね。



 さよなら。

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