7-4

《とある少年の英雄譚・7》



 炭塵爆発。

 それは、近代以降の地球において数多くの人命を奪っただ。

 凍倉美園は、その災厄をこの世界に持ち込んだらしい。


 爆発の中心部に人間がいたなら、まずそれだけで命はない。そして、仮に爆発自体を逃れたとしても、次に生き残った人たちを襲うのは、不可視の猛毒――一酸化炭素だ。

 閉鎖空間で急激に燃焼が起こることにより、十分な酸素を得ずに酸化した炭素がその猛毒を形成する。それが空気中において一定以上の濃度であれば、一呼吸で意識が混濁し、さらにその猛毒を吸い込み続けることになり死に至る。


 僕の魔法障壁を相手に物理的な攻撃をいくら重ねても効果は薄い。当然、爆発によるダメージなんて微々たるものだ。しかし、先の龍樹を用いた罠によって、空気を媒介させた攻撃ならば防ぐことが出来ないことは敵も立証済みだ。

 そして、今、爆発の外側にいたのだろう兵士たちが、次々と瓦礫の山を穴の上から落としていく。僕を生き埋めにするために。


 僕はそれを、音と光の消えた灼熱の暗闇の中で、ぼんやりと眺めていた。


 自動回復。

 そして、『解析アナリシス』。


 今、自分の身に何が起きているのか、僕はスキルの力によって正確に把握していた。

 一酸化炭素中毒によってブラックアウトした意識は一瞬で回復した。けど、この場に十分な酸素がない以上無理矢理回復したところで意味がない。

 酸素のある場所まで出ようと思えば体に力を込めるしかなくて、それには酸素が必要という悪循環。


 このままじゃ、いずれ回復が追いつかなくなる。

 既に指先を動かすことも難しくなってるんだ。

 頭痛と吐き気に再び意識が朦朧としてきた。

 だけど――。


『ああ、もう、汚い!』


 僕の脳裏に、懐かしい声が蘇った。


『ホントに嫌。なんなの、この世界。衛生観念なさすぎでしょ』

『ま、まあまあ。しょうがないよ』

『ねえ、佐藤くんもこの魔法使えるようになってよ。なんで私がいちいちやんないといけないの?』

『ええ? でも、僕のスキルじゃ――』

魔法付与アサイン。はい、次から佐藤くんも使ってね』

『あ、また魔法を――』

『なに、文句あんの?』

『わ、わかったよ……』


 うん。

 わかってるよ。

 やっぱり、君の言うことが正しかった。

 やり直せるなら、もう一度やり直したいよ。

 こんなこと言うと、また君は怒るかもしれないけどさ。


「ごめん。けど、ありがとう。田中さん」


浄化クリーン


 視界が晴れていく。

 大穴の縁から白い空が見える。

 息を吸う。

 腹の底に力を込める。


 さあ、もう一度。

 いや、何度でも。


「顕現せよ、我が力。七つの輝きを以て」


 虹が昇る。

 瓦礫が吹き飛んでいく。

 体が浮かび上がる。

 胸や腹の奥に痛みがあった。爆発の衝撃によって知らず内臓にダメージを負っていたらしい。けど、それもすぐに癒えていく。口の中に血の味だけが残る。


 穴から出る。

 全方位に風が吹き荒れる。

 眼下には、半壊した街並みと、吹き飛ばされた瓦礫によって慌てふためく敵兵たちが見える。

 僕は右手に魔力を集中させ、七色の武具を巨大なハンマーへと変化させた。



「総員退避!!」



 悲鳴のような号令がかかる。

 僕はなるべく人のいない場所を狙って、そのハンマーを振り下ろした。


 世界が揺れる。

 大地が波打つ。

 二つ、三つ、地面が崩れる音。落とし穴はこれで全部か。


 立ち込める砂煙を、虹色の波動でかき消す。

 周囲を見渡せば、僕の頭より高い位置にあるものは、なにもなくなっていた。

 頽れた兵士たち。血の匂い。呻き声。

 その中に、二つ、奇妙なものが見えた。


 一つは、三人の兵士が折り重なるようにして倒れ込んでいる。

 何かを守ったのか――いや、凍倉美園が動かなくなった兵士たちを押しのけて這い出てきた。頭から血を流し、片目が塞がっている。


 もう一つは、その兵士たちと同じようなポーズで一人だけ倒れている、みずぼらしい鎧を身につけた金髪の男。

 あれは、先ほど僕の背中に爆弾を括り付けた、この国の王様だ。

 その脇腹に太い木片が突き刺さり、赤黒い血を流している。

 馬鹿な。王様が一体誰を守るっていうんだ。


 その答えも、すぐに分かった。


「な、にを、してるんですか、陛下!?」


 彼の下から、長い黒髪をほつれさせたメイドの女性が現れたのだ。

 彼女の顔にも、見覚えがあった。

「しっかりしてください! 陛下! 陛下!」

 王様の肩が揺さぶられるけど、彼に反応はない。


 なるほど、つまりは、彼女は王様とだったのだろう。

 これでほんの少しだけ残っていた疑いも晴れた。

 あの人は、楠蓮太郎ではありえない。

 あの人でなしが、メイド長さんを庇って自分が死にかけたりするはずがない。


 ぼろぼろの体を引きずって、凍倉美園が彼女の元へ歩み寄る。

 僕は腹の底に力を入れ直し、踏み出した。


「何度でも言う。降伏しろ」


 僕の声に、幾人もの人間が息を呑んだのが分かった。

 なあ、もういいだろう。

 罠はあといくつ残ってる?

 その中で、まだ僕に通じる見込みがあるものは?

 あと何人犠牲を出せばいい?


 なあ、頼むよ。

 お願いだから。


「負けを認めろ。凍倉美園」


 彼女の顔に、もう嘲りの表情はなかった。

 息は荒く、顔色は青く、歯を食いしばって、それでもその瞳だけは、爛々と燃える強い意志をもって僕を睨みつけていた。

 隣のメイドさんも、それと同じ目をしていた。


 僕は、右手の魔力を剣の形に変えた。


 分かってる。

 彼女たちが止まることはない。

 そして、そうである以上、この戦争もまた終わらない。

 なら、僕がやるべきことは一つだけだ。


 右手が熱を持ってる。

 だけど、背中にはずっと冷や汗が伝ってる。

 この手にずっと残り続け、どう足掻いても消えない感触が僕の心を蝕んでいる。

 真っ二つに割れた田中さんの顔と体。

 蒸散する血飛沫。

 骨が砕ける音。

 

 嫌だ。もう嫌だ。殺したくない。誰も殺したくない。

 でも。だけど。やらなきゃいけないんだ。僕が。

 覚悟を決めろ。彼女たちの命を背負う覚悟を。

 僕の弱さが招いたこの惨劇に、幕を下ろすときが来たんだ。

 嫌だ。

 二人は逃げない。

 やれ。

 いまだ。

 怖い。

 睨んでいる。

 さあ。

 ほら。

 頼む。

 いけ。

 いけ!



 その時――。



 しぃゃぁぁぉぉぉおおおん。



 どこからか、声が。



 しぃゃぁぁぉぉぉおおおん。



 風を切る音が。

 遥か遠く。

 遥か高くから。


 背筋が粟立つ。

 膨大な魔力の気配。

 これは。

 これは、龍種のモンスター!?



 振り返り、見上げた空に、それはいた。

 灰色の体。歪な骨格。めらめらと燃える魔力の燐光。

 間違いない。龍樹だ。


 思わず振り返れば、地面に這い蹲ったままの凍倉美園も、メイド長も、驚愕に目を見開いている。

 兵士たちの悲鳴が聞こえる。


 これは、罠でも策でもない。

 彼らにとっても異常事態なのだ。



 じぃぃあああおおおおおおおううううう。



 あっという間に帝都の上空に飛来したその龍樹は、僕に虚ろな眼窩を向け、咆哮を放った。

 足が竦みそうになる。

 だけど、大丈夫。この敵は、もう倒している!


 七色の武具を大剣へ。

 魔力を注ぐ。大きく。もっと巨大に。


「うああああ!!!」


 その巨体を断ち割るように、虹色の巨刃を振り上げた。

 絶叫。

 確かな手応え。

 再生する暇もないほどの致命傷クリティカルだ。


 でも、なんでこんなやつが急に?



 ぉぉぉぉぉおおおおお。


 その、答えが――。


「うおおおおお!!!!」


 空から降ってきた。


 ずざ。

 高高度より落下したはずのその体が、予想外に小さな衝撃音で地面に降り立つ。

 砂煙を払って、その男が立ち上がる。


 筋骨隆々。

 満身創痍。

 

 その顔に、獰猛な笑みを浮かべて。



「よう。盛り上がってんな。俺も混ぜてくれよ」



 三人目の悪魔。

 篠森潮が、現れた。

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