6-2
聖陽教に伝わる奇跡とは、かつてこの世に現れ世界を救った始まりの聖女が用いた六十四の秘術を再現したものとされている。
右手を以て
その二十五番。
右手は一指を伸ばし、二指を屈し、三指を伸ぶ。左手は一指を屈し、二指を伸ばし、三指を屈す。
「三番隊前へ!! 敵左翼を抑えて。一分持てばいい! 七番隊、三番隊に『
それは、異常な戦争風景であった。
グリフィンドルの兵士たちが隊列を組めば、必ずその最も弱い場所にホグズミードの攻撃が入る。援護の手はそれが有力な形になる前に潰され、徐々に隊列が分断されていく。ぐにゃりぐにゃりと、怪物のような速度で陣形を変えるホグズミード側に消耗は少なく、僧兵たちの操る奇跡が絶妙なタイミングでそれをアシストしていく。
誰かこの戦を遥か上空から眺めたものがあったとしたら、その一切無駄のないホグズミード兵の動きに芸術性すら見出したことだろう。
それは正に、未来を読んでいるとしか思えない動きであった。
そして。
「ずぇああああ!!!」
その戦の中核をなす、一人の男。
歩兵の身でありながら、誰よりも速く戦場を駆け抜け、剣を振るう黒髪の大男。
彼の怪力に耐えきれず剣が砕けると、目の前の敵から武器を奪い取る。
幾本もの剣が、槍が、彼一人の手で消費され、その度に敵陣の戦力がみるみると減っていく。
伝声の魔道具によって届けられる戦の指示に従い、時にそれを無視し、縦横無尽に暴れまわるその男は、一人で一個小隊以上の役割を果たしていた。
「どけぇ! 貴様らぁ!!」
怒号の飛び交う戦場の中に、ひと際大きく胴間声が轟いた。
その雷声にグリフィンドル兵が浮足立ち、ひしめき合う戦場にぽっかりと空白の道が現れる。
そこを一直線に走る騎兵が一人、黒髪の大男の前に現れた。
一人明らかに豪奢な装備を身に着けた、赤髪の男。頬に走る古傷が歴戦の過去を物語る――。
「我こそは栄えある赤獅子騎――」
「どぅぉらぁ!!!」
高らかに名乗りを上げんとする騎兵の足元に漆黒の風が奔り、大男の正拳突きが、彼の乗る馬の横腹を殴り抜いた。
重装兵1人を乗せた騎馬の体が僅かに宙に浮き、血反吐が撒き散らされる。
落馬した。
俄かに降り注ぐ血雨と舞立つ土埃に塗れた騎兵が震えながら立ち上がり、一瞬静まり返った周囲の兵士から次々に怒声が発される。
「お、おのれ卑怯な――」
「ああん? 射人先射馬。兵法の基本だぜ?」
「蛮族の分際でぬかしおるわ。貴様だな? 吾輩の軍から出した先遣隊を一人で壊滅させたという悪鬼は」
「『苟くも能く侵陵を制さば豈に殺傷多きに在らん』……てめえらが吹っ掛けた戦争だろうが。最後まで仲良くやろうぜ」
「わけの分からんことを!!」
「かかって来いやあ!!」
重装は却って不利と見たか、赤髪の騎士は自ら大盾と突撃槍を投げ捨て、鎧を剥いだ。その腰元に下げられた、装飾に塗れた鞘から剣を抜き放ち、自らの足で襲い掛かる。
それを余裕の表情で待っていた黒髪の男は、背後の味方から剣をもらい受け、正面から迎え撃った。
轟音。
この日初めて受け止められた黒髪の大男の剣撃が、それでもその尋常ならざる重みによって敵将の顔に青筋を浮かせる。
対する男の口元に、耳元まで裂けそうな凄絶な笑みが浮かんでいるのを見て、赤髪の騎士はさらに一歩を踏み込んだ。
「ぬぅああ!!」
カチあげ。
鍔迫り合いを制した赤髪の騎士が宝剣を振り抜いた時には、黒髪の男は既に間合いの外に引いている。
だらりと下げられた両腕と、力の入れどころを悟らせぬ脱力した立ち姿。
その見たこともない、構えとも取れぬ構えに一瞬だけ騎士の足が止まる。
ずるり。
そんな音が聞こえそうなほどに滑らかな動きで前に踏み出した黒髪の男から、身の毛もよだつような鋭い剣撃が放たれた。
「くぉっ」
咄嗟に間に合った防御の上から、鈍い衝撃が両腕に走る。
どっかりと地に足を踏み込ませて耐えきった騎士に、続く連撃。
全身全霊をかけてそれを捌ききる騎士の耳に、鋼の罅割れる音が微かに届いた。
好機。
全力の中からさらに渾身の力を絞り出し、大男の握る剣の横腹に宝剣を叩きつける。
あえなく砕けた武器を惜しむこともなく投げ捨てた大男が、大きく後退する。
「勇者殿!!」
ホグズミード兵から新たな剣が投げ渡されるその隙に、赤髪の騎士は手にした宝剣に祈りを込めた。
「誉れあれ」
鍔元から切先へ、赤い光が昇っていく。
横薙ぎに振るわれた剣は空を切り、その軌道の先から燃え盛る火球を射出した。
「んぐっ」
それを剣の腹で受け止めた黒髪の男の体が宙に浮き、吹き飛ばされる。
白煙と共に立ち上がる男の手から、一撃でへし折れた剣が再び投げ捨てられた。
「よもや卑怯とは言うまいな、小僧!」
さらに襲い掛かる火球の魔術が、丸腰の男に直撃するかと思われた、次の瞬間。
ぎゅる。
黒髪の大男の両腕が渦を巻くように空を掻き、火球を上空へと逸らした。
「なっ!?」
驚愕する赤髪の騎士が体勢を立て直す暇もなく。
「そっちが魔法使うんなら、こっちも使わせてもらうぜ」
一瞬で距離を詰めた男の声が、耳元で囁いた。
それを振り返る暇もなく、宙を舞う大男の膝蹴りが赤髪にめり込み、騎士の意識を彼方へと飛ばした。
「
どう、と、その体が地に沈み。
悲鳴と歓声が半分ずつ、戦場に響き渡った。
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