Interlude

1

※性描写、残酷な描写が含まれます。苦手な方はご注意下さい。





《???》


 花が、咲いていた。

 青い花だ。

 雪の結晶のように淡く、儚い青。


 採光の広く取られたその部屋には、壁一面に鉢が並べられ、それぞれに一株ずつ、色とりどりの花が植えられている。鉢の中には黒々とした土、そしてその中の一つ、淡く儚げな青い花を咲かせる鉢には、穢れたような黄色の石粒がぽつぽつと混ぜられていた。


 さあ、ここまで読んで察しがついた貴方はご明察。

 ここで育てられているのは、あの可哀そうなボトル・ベビーの少女を苦しめた恐ろしい病――蒼疽症の病原となる災いの花だ。

 わざわざ火山の淵から採取した硫黄を散りばめて、しっかりと土を酸性にしてある。

 恐ろしいねぇ。まったく恐ろしい。


 さて、ここは魑魅魍魎の蠢く帝都の一角。とある貴族の息のかかったお屋敷だ。

 え?

 私が誰かって?

 うふふ。そんなことはどうでもよろしい。


 それよりも、ご覧?

 可愛らしいジョウロを片手に、鼻歌混じりで花に水をやる男が現れたじゃあないか。

 年のころは、そうだね、随分と痩せっぽちだが、二十かそこら。まだまだ未来のありそうな若者だ。

 彼は雇われ者だ。

 職にあぶれ、破落戸ごろつき同然に帝都の闇を駆けずり回っていたところを、この屋敷の主たる貴族に拾われた。


 ああ。なんて幸運なんだろうね。

 三食揃った生活で、やることと言えば屋敷の管理と花のお世話。

 それから

 まあ、不満があるとすれば契約期間中はお屋敷の外に出してもらえないことだったが、日中は庭で日向ぼっこをするくらいのことは出来る。

 それで今後半年は食うに困らない報酬を貰えるってんだから、こりゃあもう天祐としか思えない。


 今日もご機嫌でお花の世話をする若者は、背後で聞こえたドアの開く音に驚いて振り返った。

 そこにいたのは、自分みたいな薄汚い男を拾い上げて雇ってくれた優しい優しい貴族さまだ。

 いやはや、若者の恐縮するのなんのって。

 浮かれて口ずさんでいた鼻歌もばっちり聞かれちまった。こりゃあ恥ずかしい。

 真っ赤になった顔でぺこぺこと頭を下げる彼を、貴族さまは鷹揚に笑って許してくれたよ。


 そんなことより、と貴族さまは居並ぶ鉢植えの中から一つを選び、茎を摘まんで慎重にひっこ抜いた。

 濃い緑色の葉と、暗紅色の花弁を持つそれを見た瞬間、若者の口元が三日月形に吊り上がった。

 その目には洋々たる未来の代わりに、薄暗い愉悦の光が宿る。


 今日も、手伝ってくれるかね。

 へえ、お安い御用で。


 そんなやり取りももどかしく、若者は部屋を出た貴族さまの背にへばりつくようにして後を追い、石造りの渡り廊下をひょこひょこと歩いて行った。

 いくらもしないうちに見えた小屋を開ければ、その中には三つの人影。


 散らかり切った部屋の中に蠢く、半裸の女性たち。

 その三対の瞳が、若者の姿を捉えた瞬間、どろりと濁った。

 口からは涎。てらてらと濡れ光る肌。饐えたような匂いが若者の顔を打つ。


 若者は懐から何やら小瓶を取り出すと、震える手でその中の乳白色の液体を飲み干し、顔を紅潮させた。


 はやく。ああ、はやくしてくんなせえ。

 縋り付く若者に苦笑しつつ、貴族さまは優しい手つきでその頭を撫で摩り――。


 手にした植物の根を、若者の眉間に突き刺した。


 ぐるん。

 瞳が裏返り、体がびくびくと痙攣する。

 

 さあ、ご覧あれ。

 若者の痩せぎすの身体が、みるみると膨れていくよ。

 あっちこっちの筋肉がむくむくと。

 おや、それだけじゃあないね。

 あらあらあら。お大事が一大事。なんちゃってね。


 ふしゅう、ふしゅうと、吐息も荒く。

 背中から湯気でも吹いてそうな勢いで、若者はずかずかと部屋に入っていった。


 おっとっと。

 こっから先は見せらんないねぇ。

 開けっ放しは良くない。貴族さまはゆっくりと、扉を閉じた。


 ずっこんばっこん。あひんおひんと、まあ大層頑張ってらっしゃるようで。

 貴族さまはと言えば、そんな乱痴気騒ぎをまるでBGMにでもするかのように、懐から葉巻を取り出して美味そうにぷかぷかと吸い出した。

 ふと何か用事を思い出したように貴族さまがその場を離れても、小屋の中からはぎしぎしあんあんと聞くに堪えない獣の嬌声が響いていた。


 一体どれくらい時間が経ったろうね。

 小屋の戸ががらりと開けられると、すっかり元の痩せぎすの姿に戻った若者が、ほとんど這いずるような疲労困憊の体で出てきた。

 うへえ。体中がなにやらよく分からない汁でべとべとだよ。

 たまさかちょうどよくその場に戻ってきた貴族さまは、やはり鷹揚な態度で若者にふかふかのタオルを寄越してくれた。


 忘我の境地にいた若者が、それでも恐縮してそれを受け取る。

 ぶるり、と身震いを一つ。

 今日は随分冷えますね、なんて言う彼に、そうだね、夜は暖かくしてお休み、と優しい言葉をかける貴族さま。

 今日は日差しがぽかぽかと気持ちよく、ホントは全然、寒くなんかないのにね。


 ああ。

 若者は気づく様子がないねえ。

 その細い背中に、青黴みたいな痣が浮いているのにさ。


 おや。そんなことを言っていたら、ひゅるりと北風が一つ。

 閉じかけていた戸が開いたよ。

 うふふ。

 本当はいけないんだけどね。ちょいと中を覗いてみようか。


 あらあら。

 こりゃあ掃除が大変そうだ。

 床から壁から天井まで、ぜぇんぶ

 ひぃ、ふぅ、みぃ、全部で六本の手足がてんでばらばらに散らばって、その中にころんと一つ、目玉が転がってるよ。

 たっぷりと赤い液体を吸った絨毯の上に髪の毛の束だけが浮いているねぇ。


 なに、見るんじゃなかったって?

 こいつは失敬。


 ここは魑魅魍魎蠢く帝都の一角。

 トラバーユ領主・ゴイル侯爵の所有する実験施設さ。


 あの青い花を使った実験は別のところでやっていたんだが、それが全部ご破算になっちゃたもんで、ゴイルさまも困っちまった。

 それでも一株だけ残ったそれを、別の実験動物の後始末に使おうとしてるって寸法さ。

 はてさて、一体なんの実験をしていることやら……。


 さあ。

 ちょいと寄り道しちまって済まんかったね。

 次からはちゃんと、クールビューティなメイドちゃんの語りに戻るからさ。

 

 それでは、本日のお付き合いはここまで。

 また次の機会にお会いしましょう。

 それまで、この悪党だらけのお話に嫌気が差していなけりゃ幸甚の至りだ。

 


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