1-4

「あ、ああ、あんた! あんた、おい! 王宮のメイドだろ! 頼む、衛兵、いや騎士団を呼んでくれ!」


 恰幅のよい初老の男――確か組合長で間違いないはず――が、倒された丸テーブルの裏から這い出し、私に救いを求めてきた。

 皺と古傷に塗れた顔は色を失い、本所内の中心で傲然と構える大男にすっかり心を折られているのが見て取れる。


「落ち着いてください。一体何があったのですか?」

 涎に塗れた口髭をそのままに接近する組合長から、さりげなく一歩下がって問いかけると、彼は口元を震わせ、縋り付くような目で私を見上げてきた。


「わ、分からねえ。こ、こいつが急に、組のもんを襲い始めて――」

「おいおい。人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ」

「ひぃっ」

 ずしり、と、恐らくわざと大げさな足踏みで組合長に歩み寄った大男が、その首根っこを掴んで顔を上げさせた。


「俺はただ、ソノ子からの伝言を届けただけだぜ? そしたらあんたがたが寄ってたかって俺に襲い掛かってきたんじゃねえか」

「ふざけるな! 何が伝言だ! あんな――」

「あ゛あ゛?」

「ひぃぃ。て、てめえら、こんな真似してただで済むと思うなよ。この組合はなあ、国の政にがっつり食い込んだ侯爵さまのモチモンだ。てめえら全員――」

「そうねぇ、、もうまともな生活には戻れなくなるでしょうね?」


 悪魔のような笑みを浮かべて、黒髪の少女がそこに歩み寄る。


「ああ!?」

「だってそうでしょ? 腕っぷしが取り得のはずの傭兵サマが、たかだか一人の素人相手に喧嘩吹っ掛けてゼ・ン・メ・ツしちゃったなんて、体面を気にするお貴族さまがお知りになったらどんな反応するかしらねぇ?」

「ぐ……」

「まあ、やってみなきゃ分かんないわよね。ひょっとしたら困難な相手に勇敢に立ち向かった名誉の負傷に感じ入って、手厚く治療費まで恵んでくれたりするかもしれないものね? どうする? 『助けてご主人様~』って泣きついてみる?」

「ふっ……んぐ。ぐ。ぐ」


 先ほどまで蒼褪めていた組合長の顔が赤黒く鬱血し出した。

 そんな展開になることなど、天地がひっくり返ってもあり得ないことは当人たちが一番よく分かっているのだろう。

 屈辱と絶望が、組合長の心魂を犯しているのが分かった。

「く、ソガキがぁ……」

「まーまーソノちゃん。その辺にしとこ? ね?」


 そこで二人の間に割って入ったのは、にこにこと人好きのする笑みを浮かべたレンタロウ様だった。

「何よ、レン。あと一時間くらいおちょくりタイムにする予定だったんだから、邪魔すんじゃないわよ」

「血管千切れちゃうって。ちょっと脅かすだけって段取りだったじゃない。あとは僕が話つけとくから、お菓子でもつまんで待っててよ。シオくんも、ほら。筋肉クールダウンさせといて」


 大男と少女はそれぞれ鼻を鳴らすと、それきり興味を失ったかのようにカウンターの中に入り込み、棚を漁って茶菓子を物色し始めた。


「ごめんなさい、組合長さん。ここまで拗れさせるつもりはなかったんです」

「な、なんだおめえは……?」

 

 一体何を始めるつもりだろうか、レンタロウ様は組合長を労わるように立ち上がらせると、床に散乱した椅子の一つを引き寄せ、埃を叩いて彼に勧めた。

 ウシオ様とミソノ様によって既に反抗する心を磨り潰されていた組合長は、まるで隠居した老人のように頼りない足取りでそれに従い、恐る恐る腰を下ろした。

 レンタロウ様はすかさずどこから取り出したのか酒瓶とグラスを差し出し、琥珀色の液体を半分注いで震える手に握らせる。にこにことほほ笑むその顔とグラスを交互に見やった組合長は、何かを諦めたようにそれを呷ると、深く深くため息を吐いた。


 その僅か数秒のやり取りで組合長からの警戒心を解しにかかったレンタロウ様は、膝をついて視線を合わせ、懐から封蝋のされた巻物スクロールを取り出した。


 …………んん?


「ちょ、っと、それは……!」

 私が預かっていた依頼書!

 いつの間に!?


「組合長さん。実は、国王陛下より直々に依頼クエストが届いているんです」

「……依頼?」

 力なくその開かれた羊皮紙を見た組合長の眼が、うんざりしたように伏せられた。

「……龍涎香の採取? ……なんだってそんなもんを」

「レンタロウ様。今何気なく開いたその巻物、国からの正式な封がしてあったと思うのですが」

「まーまーまーまー」


 両手を上げて私を制したレンタロウ様は、いたわし気な目で組合長に視線を合わせた。

「理由はこの際どうでもいいでしょう。問題はこの依頼をどうするかです」

「……んなもん、受けないわけにはいかねえ。依頼ってんだ、前金くらいは用意してあんだろ?」


 そこで、胡散臭い笑みを浮かべるレンタロウ様が私に一瞥を寄越す。

 その意を察してしまった私は慌てて手鞄から金貨の詰まった袋を取り出した。

「こちらに用意してあります。後金はこれと同額を用立てるとのことです」

 それを手に取り、重さだけで金額を推し量った組合長が、覇気のない声で言う。

「そうかい。なら、七日ほど待ちな。扱いのある商人に心当たりがある」

「かしこまりまし――」

「でも組合長さん。それじゃ大分儲けが減っちゃわないですか?」

「なんだと?」


 いかにも申し訳なさそうな顔で組合長の目を覗き込むレンタロウ様を、疲れ切った壮年の男は怪訝そうに見返す。

「今回の騒動。建物の修復と負傷者の治療だけでかなりの額になるのでは?」

「……よくもいけしゃあしゃあと」

、本当に申し訳なく思います。そこでなんですが――」


 そこで、レンタロウ様の腕が組合長の腕の袋に伸ばされた。

 その手につままれたのは、一枚の金貨。


「あん?」

「この一枚で、僕たちが龍涎香を入手してきます」

「……法螺吹きも大概にしとけ。相場ってもんを知らねえのか」

「ええ。知りません。ですから、直接取ってきます」

「は?」

「龍涎香とはその名の通り龍の涎が結晶化したものとされてますが、実際には龍の臓腑から採取される石のこと。つまりは結石です」

「……おめえ、どこでそれを聞いた?」


 組合長の目が鋭く細められる。

「それを知ってる人から、とだけ答えておきましょう。今大事なのは、僕たちはその入手法を知っているということです」

「知ってることとやれることは違うぞ、小僧。おめえのその話を信じて任せて、それが失敗したら俺らはどうなる?」

「その時は改めて商人から贖えばいいでしょう。、一枚なんです」


 その言葉で、私も、そして恐らくは組合長も、彼の提案の真意を悟った。

 つまり、一枚限りの金貨を彼が持ち逃げしたとして、組合からすれば損害は軽微。

 そしてもし万が一、彼らが本物の龍涎香を金貨一枚で入手出来たとしたら、破格の買い物だ。


「そっちに何の得がある」

「大したことじゃありません。僕たちを組合に入れてください。その代わり……ソノちゃん?」


 レンタロウ様が声を飛ばした先には、いつの間にか大量の帳簿を漁っているミソノ様の姿があった。


「ま、三倍ってところね」


「………ああ?」

「二か月で、この組合の利益を三倍にしてあげるわ。そうしたら、もうお貴族さまの庇護なんて必要なくなるわよね?」


 その大言壮語に、組合長はしばし黙考すると、ため息を一つ溢して、重い口を開いた。


「…………十日、待ってやる。間に合わなきゃブツはこっちで買う。おめえらは騎士団送りだ」

「上等じゃない」


 こうして、哀れな人間がまた一人、悪魔と契約を交わしてしまったのだった。




 まあ、何はともあれ、依頼は届けられた。これで私の役目は終わりだ。

 あとは十日後の結果を待とう。


「ちょっと、なに仕事終わらせたみたいな顔してんの。あんたも行くのよ、サク」


 ………………はい??

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