僕の背後に包丁を構える妻がいる

僕の名前は斎賀拓真(さいがたくま)25歳のサラリーマンである。結婚もして割と順風満帆な生活を送っている。

僕の妻は美人である。優しく気配りもできて料理も美味しい。こんな完璧な妻がいて僕は幸せだ。

あの日までは…。





◇◇◇


「ねぇ…たっくん」


書斎で本棚から本を取ろうとしていた時に背後から僕を呼ぶ妻の声がした。

その声はいつもと変わらない綺麗な妻の声であった。それもかなり近く、背後に気配を感じていた。

だが背中から何か尖った硬いものがあたっている感覚があった。

薄いロンTの僕には感触が肌に伝わってきた。妙だと思った時たまたま近くにあった鏡に後ろ側が写って見えた。



背後には包丁を構えた妻がいたのだった。僕は声が出なかった。

なぜ彼女が今包丁を構えて僕の背後にいるのか全く理由が分からない。やましいことをしたからこういう状況になったのではないのかと思われるだろうが、僕はそんなことしたことない。



全く持って意図が掴めないのだ。そんな状況でもあり今後ろを振り返るのがとてつもなく怖かった。


「ねぇ…どうしてこっちを見てくれないの?」


そんなこと言われたって、包丁持っている君の顔を見るのが怖いからだ。鏡からではしっかりとは顔が見えない。

だからこそ、得体の知れない恐怖があるのだ。


「れ、麗子?何かあたってるんだけど…?」


「これはね…三角定規よ?」


嘘だ。だって鏡で見えてるんだもん。光が反射しているし。

さてどうしようか。彼女から包丁のことをどうやって聞き出すのか、とりあえず無言になることだけはやめようと思った。


「そ、そう?でもなんか痛いんだけど?」


「先が鋭いの。そんなことよりたっくん…なんでこっちを向いてくれないの?」


多分向いて直ぐには刺されることないだろう。そう祈ってゆっくりと後ろを振り返った。

振り返ると笑顔の妻がいた。私のつまの名前は斎賀麗子(さいがれいこ)。端正な顔立ちでブロンズ色のハーフアップの髪で左の目元には泣きぼくろがある。

街を歩いていればほとんどの人が振り返るほどの美しい容姿を持っている。

そんな僕には過ぎたる存在の妻は笑ってはいるものの、目が全く笑っていなかった。


「やっと振り向いてくれた…もぅ…」


妻は頬を膨らませてそういった。


「包丁なんてもってどうしたの…?」


そう言うと彼女は着ているエプロンのポケットからスマホを取り出した。

それは僕のスマホだった。恐らくリビングに置いていたの持ってきたのだろう。

すると妻は僕のスマホの暗証ロックを解いたのだった。


「なっ!?なんで暗証番号知ってるの!?」


僕は開いた口が塞がらなかった。プライバシー保護のための暗証番号なのに妻からはそれが知られていたのだ。

妻は僕のスマホを操作してあるSNSアプリを開いた。

そして僕に向けて見せてきたのだ。


「この女誰?」


スマホをまるで水戸黄門の印籠の如く僕に見せてきた。そして彼女の目は笑っていない。引きつった笑みを浮かべており、背筋が凍った。

そこにあったの僕の務めている会社の部下の女性の連絡先であった。

ちなみにあくまで部下であり、関係などない、いやあるはずがない。


「それは部下の女の子だよ…」


妻は左手に包丁、右手に僕のスマホを持っている。

僕の言葉に「ふーんそうなんだ」と理解を示しているように見せているが、疑惑を持った眼差しをしていた。


「でも随分と楽しそうな会話してるよね?」


そう言って彼女はチャットの履歴を遡っていた。するとある部分を妻は読み上げ始めたのだ。


「先輩。暇ですか?暇なら遊びに行きませんか…?、先輩って付き合っている人いるんですか?………」


「でも僕はしっかり断ってるし、妻もいるって言ってるよ?」


しっかりと正当化した。これは事実である。僕は妻を悲しませるようなことは絶対にしないと誓っているのだ。


「この女、懲りずにまた誘ってるわよ…?ねぇ…どうしてもっと強く断ってくれないの…?」


「でも、あんまり強く言いすぎると傷つくと思って…いや…ごめん…」


確かに断り方が弱かったせいで部下の女の子今現在でも僕に関係を迫ってきているのだ。

これは僕に非があると思った。


「たっくんは優しいから、そこを悪い女に付け込まれちゃうんだよ?」


妻はため息をついてそう言った。先程僕が非を認めたことで少し怒りはおさまっているように見える。

今でも包丁は構えているが…。


「分かった。今度から気をつけるよ。ごめんね麗子?」


妻に謝った。これは妻を安心させるために大切なことである。

すると妻は明るい顔をしていた。どうやら気持ちが伝わったようだ。


「ごめんねたっくん。こんなめんどくさい女で…」


「何言ってるんだ。僕は麗子の事が大好きなんだから気にしなくていいんだよ?」


言葉通り僕は妻のことが大好きである。だからこそ、妻が不安になることはなるべく払拭させてあげなくてはならない。


「たっくん!」


妻は僕に思いっきり抱きついてきた。彼女の豊満な身体がダイレクトに伝わってくる。

それにとてもいい匂いがする。

ただ一つ困った点があるとするなら、彼女は抱きついているものの、左手にはまだ包丁を持ったままであることだ。


「ははは。麗子は本当に可愛いなぁ…」


「もぅ!たっくんたら!」


そんなイチャイチャムードを自分の家で醸し出していた。

こんな甘々な空間外では決して出来ないだろう。いや厳密には出来るが、恥ずかしいし、第三者から反感を買いそうだ。


「ところでたっくん」


「ん?何?」


突然真面目な声をした妻の顔を見た。


「私の事大好きなら…この女の連絡先消してくれる?」


唐突なカウンターを僕は食らった。とてもニコニコしているが、彼女はもちろんやってくれるよね?と言わんばかりの顔だった。

でも部下との連絡がとれないととても不便である。


「ごめん…連絡先だけは。仕事で連絡しないといけないから…」


彼女の顔はニコニコ顔から急に真顔に切り替わった。

完全に地雷を踏んだ。しかも抱きついている状態だから悪くいえば逃げ場を封じられたのだった。

もしかしたら、妻はそれを考えて僕にだきついたのか?だとしたら末恐ろしい。


「私のこと大好きだって言ったよね?あれは嘘だったの…?」


「ち、違うよ!ただ仕事上、連絡だけは必要なんだ!」


今の妻には何言っても伝わらそうな気がする。しかし事実連絡ができないと仕事に大きく支障が出るのだ。

それをわかってくれれば良いのだが。


「嘘つき…!!私の事好きじゃないんだ…!!だからあの女と連絡とるんだ…!!」


妻はそう言って今にも泣きそうな顔をして怒っていた。彼女は不安が頂点に達するとこのように泣きそうになる事がある。

だからこそ、こういう時にはもうこうするしかない。


「麗子…!!はむっ!ちゅっ」


「ん!?はむっ…あっ…ちゅっ…れろっ…」


僕は近くにあったソファへと妻を押し倒し熱いキスをした。

彼女が不安ならば、それを払拭するために安心させてあげなければならない。

目に見える愛を妻にしっかりと伝えてあげなければならない。

それが彼女の為になるのならば。僕はなんだってする。だって、僕は妻の事が大好きだから。

妻は僕のスマホと包丁を落として僕の服を掴みキスを求めてきた。もっと熱く情熱的な口づけを。

妻は顔を紅くさせて恍惚とした表情をしていた。


「たっくん…好き…大好き…もっとして…」


「いいよ…」


妻が求めてきたのでしっかりそれに応えた。部屋に響くほど激しいキスをした。

しかし妻はそれだけでは満足出来ないようで、耳打ちで「ベッドへ行こう?」と言ってきた。

今はまだ土曜の昼間である。しかし、妻はスイッチが入っておりお構い無しであった。

まぁ彼女から求めるならいいだろう。

そう思って、僕は妻をお姫様抱っこをして寝室の方へと向かったのだった。






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