2.これが私たちの世界ですか?(その5)
♠ ♥ ♣ ♦
やがて、一同はイモムシの治める巨大な城のようなカジノ、『バタフライ』のエントランスホールに集った。先程広場にいた関係者たちの他、騒動に気付いた住民たちや、もともとカジノで遊んでいた客なども加わり、ホールの中は瓶詰めのジャムのようだった。その中央にぽっかりとスペースが空けられて、ラシャ張りの丸テーブルと椅子が置かれた。
イモムシ、ネズミ、インコの三オーナーが席に着く。イモムシは葉巻をくゆらせながら言った。
「フウ~! ようこそ、お二人さん。このボクのカジノへ」
「ハッ! 狭っ苦しい所だぜ。臭いも酷えな、おい」
「センスのない内装。どこもかしこも最低ね」
ネズミとインコが
「ワハッ! 明日からキミらはここで下働きなんだ。せいぜい今の内に慣れておきなよ」
「フン! てめえこそ、素直に名残惜しそうにするんだな。明日からは――」
「ほら! 御託は終わりよ!」ネズミの台詞を遮って、インコが言う。「ヤるんでしょ? それともビビッちゃって時間稼ぎかしら?」
イモムシは歪んだ笑みを浮かべて言った。
「フン。もちろん、今すぐにでもキミらを叩き潰してやりたいさ。けどどっちみち、そうすぐには始められないね……。おい! 誰か水タバコを持ってこい! 腹も減ったな。ローストビーフのサンドイッチもだ!」
イモムシが通路の方にいる部下に命じた。ネズミがイモムシを睨みつけて凄む。
「このデブめ……! いい度胸だなぁおい! 今すぐブッ殺してやろうか?」
しかしイモムシは余裕の表情で言った。
「落ち着けよ。ゲームで戦うって決めたばかりだろ? さて、そこで問題になるのが、やるゲームの種目さ。それを決めなきゃいけないわけだけど、キミらのような自分の事しか考えてない奴らが相手じゃあ、そう簡単には決まりそうにない。そういう事さ」
言い終わると、オーナーたちは三名とも口をつぐんだ。彼らは広場からここまでの道中、他でもないその事について、考え続けていたのだ。勝負師の彼らは自らの腕に自信があったが、なにせ賭けるのはカジノの全てなのだ。なるべく自分に有利なゲーム、少しでも有利な条件に持っていきたかった。
言葉を発する者のないまま、しばしの時が流れた。イモムシの後方、壁際で大人しくしていた例の巨大な子犬は、次第に落ち着きを失って、クンクンと小さく鳴き始めていた。その時。
「……っと! すみませんっ……! ちょっとすみませんっ……!」
緊張感に欠けた声が、ホールに響いた。三オーナーもギャラリーたちも、一斉に声のした方に注目する。ホールの端で成り行きをうかがっていたドードーは、その聞き覚えのある声に仰天した。声は続けて言う。
「すみません、ちょっと通してっ……! これ持っていくんです……! 通してっ……!」
コーヒーサイフォンのような形の水タバコと特大のサンドイッチが台の上に乗せられ、その後ろから黒いトップハットが続き、群集の間を縫ってホールの中央へと動いている。ルイス・キャロルが、イモムシ所望の品を運んでいるのだった。オーナーたちは顔を引きつらせる。
ルイスが彼らのテーブルに辿り着き、水タバコとサンドイッチを置いたところで、イモムシが不機嫌そうに言った。彼さえいなければ、今のような面倒もリスクも背負わずに済んだからだ。
「キミか……。フン。まったくふてぶてしい奴だな」
ルイス・キャロルは悪びれもせず言う。
「これはどうも。フフッ、上手い事ここまで来られました。やっぱり特等席で皆さんのお相手がしたくって!」
ネズミが怒鳴る。
「引っ込んでろよ、よそ者が! こちとらてめえとのお喋りはウンザリなんだよ! 出番は終わりだ!」
しかし、ルイス・キャロルは微笑みながら、持ってきた台をテーブルの麓の、イモムシとインコの間に下ろした。よく見るとそれは台ではなく、スツールだった。すかさず彼はそれに腰掛ける。インコが声を上げた。
「あんたッ! どういうつもりッ? 邪魔でしょッ! 馬鹿なのッ?」
ギャラリーたちもどよめいていた。が、ルイス・キャロルはこう言った。
「えっ? 今言ったじゃないですか。特等席でお相手したい、って。もちろんゲームのお相手ですよ? 皆さんどうぞ宜しく。私も一つ、お手合わせ願います」
オーナーたちは込み上げる怒りで顔を赤くした。一方で、ドードーの顔は一気に青ざめる。胸騒ぎは的中してしまったのだ。彼の目的はやはり、三つのカジノを一つに減らす事ではなかった。まずカジノ総取りの勝負を
テーブルを挟んでルイスの正面にいたネズミは、立ち上がらんばかりの体勢でルイスを威嚇した。
「てめえッ……! ふざけるなよ……! 元はと言えば、てめえが三人でやり合うように仕組んだんだろうが……!」
ルイスは両手を上げ、のけぞり気味の体勢で言う。
「っ違いますよ、ちょっと違います……! 『カジノのオーナーが店を賭けて』ってあったでしょう? だから私にも参加資格はあります……! 私もカジノの、オーナーですから!」
「はあッ? なんだってッ?」
イモムシが言った。インコや、今にもルイスに跳び掛かろうとしていたネズミも、そしてドードーも、一様に怪訝な表情を浮かべる。ルイスは言った。
「カジノの所有者なんですよ、私も。……もっとも、一日半ほど前からの話ですがね。隣町のカジノ、『ラビットホール』ってご存知ですか? そこのオーナー、メアリー・アン女史と勝負して、私はカジノを手に入れたのです。嘘じゃありません」
一同に戸惑いが走った。インコは振り返って、ギャラリーの中にいたツバメに何やら指示した。ネズミは顔を引きつらせながら、ルイスに言う。
「ラビットホールのメアリーだあ? ……カタギのクセして、ハッタリが上手えじゃねえか……!」
ドードーも同じ思いだった。ざわつく群集の中、なんとかルイスのそばに近付こうと身をよじっていた彼は、あの温厚な紳士がやくざ者の同類だとは、到底信じられなかった。が、ルイス・キャロルは更に言った。
「ハッタリじゃありませんよぉ! フフッ! ホントに楽しかったなあ! 全財産を賭けたポーカー勝負! 絶体絶命のピンチからの一発大逆転……! フフフッ……」
紳士は天井を見つめ、夢見心地の口調だった。すると、その様子を目にした三名のオーナーの頭に、同時に一つの考えが浮かんだ。
――この鬱陶しいよそ者は、イカレている。博打で全てを失っておかしくなったのだ。この男をゲームに加えてカモにすれば……、他の二名を、出し抜く事ができる――、と。
「「「オホンッ!」」」
イモムシ、ネズミ、インコの三名が、同時にわざとらしい咳払いをした。インコが取り繕いながら言う。
「えっと、失礼っ……! 今、部下がひとっ飛びして向こうの町まで行ってるわ。この人の言う事が真実かどうか……、嘘ならじきにバレるんだし、どうかしら? ここは『仮に』真実だとして、話をもう少し進めるっていうのは?」
水タバコに手を掛けながら、イモムシが言う。
「うーむ……。まあ、いいだろう……。びっくりだけど、人は見かけに依らないからね」
ネズミも椅子にゆったりと座り直して言う。
「ハッ! 凄腕の博打打ちが相手となりゃあ、俺様の血も騒ぐってもんだ。決まりだ! 四人でやり合おうじゃねえか!」
ルイス・キャロルはにっこり笑って言う。
「ではでは皆さん。改めて、どうぞ宜しくお願いいたします!」
未だ彼の下に辿り着けずにいたいたドードーは、無念極まりない思いで成り行きを聞いていた。ドードーにはこの紳士の事が分からなくなってきていたものの、彼が紳士にふさわしくないイカレた行動で自らを危険に曝そうとしている事は、何とかして考え直してほしかったからだ。
そんなドードーの思いをよそに、ルイス・キャロルはあっけらかんとしてオーナーたちに言った。
「さてさて、それで……、私が言うのもナンですが、話が途中でしたよね。つまり、何のゲームで勝負するんです?」
オーナーたちは再び先程と同様に沈黙した。イモムシはコポコポと音を立てて水タバコを吸い、甘い匂いの煙を無表情でゆっくりと吐き出している。しかし彼も他の二名も、目だけは抜け目なく互いの様子をうかがっているようだった。そこでルイスは言った。
「もし何か候補が頭に浮かんでるのなら、『せーの』で同時に言ってみませんか? あっ、なければいいんですけど」
オーナーたちは苦い顔をしてルイスを睨めつけた。イモムシは水タバコを口から離す。ルイス・キャロルは言った。
「じゃあ、よろしいですか? せーの……」
「「「ポーカー」」」
「ババぬきっ!」
三オーナーが異口同音に言ったと同時に、別の声が別の言葉を発した。ネズミたちはルイスを一瞥するが、彼は口を閉じて目をしばたたいている。彼の声ではないのは分かっていた。声はイモムシの後ろの方の、ギャラリーの中から聞こえた。その声はあどけなく、そしてそれに似合わず、馬鹿デカかった。
「ワン! ボク、ババぬきがすき! ババぬきやりたい!」
「「「喋ったーーーッ!」」」
ホールの中は騒然とした。今まで大人しくしていたあの巨大な子犬について、ワンダーランドで口の利けない唯一の存在だと、町の住民は認識していたのだ。イモムシは子犬の方を見て口元をほころばせると、猫なで声で犬に言った。
「ボクちゃん! お喋りできるの~、えらいねえ!」
一同爆笑する。が、イモムシはぐるりと周りを睨むと、ドスの利いた声で更に言った。
「ボクちゃんはなんでもできるもんねえ……! ババ抜きもできるし、害獣駆除もお手のもの……!」
「ワンッ!」
一同、押し黙って震え上がる。イモムシは再び声色を高くして、犬に言った。
「でもね、ボクちゃん。これはこのボクたちの勝負だし、ババ抜きだとちょ~っと物足りないから、ボクちゃんはいい子にして待っててね~」
「いいじゃないですか、ババ抜き!」
そう言ったのは、ほくそ笑むルイス・キャロルだった。彼は対戦者たちの顔を見て言う。
「ワンちゃんはイモムシさんの応援をしててもらうとして……、私たちがババ抜きで、勝負するとこだけでも見せてあげては?」
「「「はあッ?」」」
三オーナーが声を上げる。ネズミがそのまま続けて言った。
「てめえまたッ……! 真剣勝負だぞッ! ババ抜きなんざガキの遊びだろうがッ!」
インコもルイスに言った。
「さっきあたしたち、ポーカーって言いかけてただろッ? ホホッ! 多数決だよ! 少数意見は無視さ!」
イモムシも、わざわざ水タバコを吸ってから、その煙をルイスに吹き掛けて言った。
「フ~ッ! 店が賭かってるんだぞ? ババ抜きなんて運だけのゲームには、このボクたちは張れないね。もっとも、四人勝負になったわけだし、このボクは東洋の『マージャン』っていうゲームでも良かったんだけどね」
ルイスはケホケホ咳きこみ、それから、オーナーたちの顔を見回して怪しく笑った。
「……フフフッ……。ババ抜きって、運だけのゲームでしょうか……? 私はそうとも思いませんが……。フフッ。ならば、こうしましょう……! いいアイデアが浮かびました! もっと手ごわく、もっと楽しくすればいいんです!」
イモムシたちは顔をしかめる。ギャラリーはざわつき始めた。ルイスは続けて、声高に言った。
「ババの枚数と種類を増やし! それをチップでやり取りする! 名付けて『王家抜き』! ワンダーランドのカジノには、おあつらえ向きのゲームですよ!」
ギャラリーたちの声が大きくなった。カジノに雇われている荒くれ者たちでさえ、勝負を想像して興奮してきている。
「おお……、チップのやり取り!」
「ババを増やす? 複雑になるって事か?」
「よく分からねえが、面白そうじゃねえか! ぶっちゃけ、ポーカーより!」
「俺はババ抜き好きだぜ! ババ抜きは心理戦だ!」
「ワンッ! ワンッ!」
三オーナーたちは顔を引きつらせながら必死で頭を廻らせていたが、この時、ドードーがギャラリーたちの間をくぐり抜け、とうとうルイス・キャロルの傍らに飛び出した。
「お、お、お客さん……!」
「おや、ドードーさん!」
ドードーは周りを気にしながらルイスに話しかける。もっとも、周りの方は、この時彼らの会話など気にしてはいなかった。
「おお客さん……! ほ、本気なのですか? あなたは、ほ、本当に、彼らと同じ、ば、ば、博打打ちなのですかッ? ぼ、僕はあなたが、そ、そんな風には思えませんッ……。然るべきか、然らざるべきかッ……、い、い、今からでも考え直して……」
するとルイスはにっこりと笑って、いたずらっぽくウインクをした。ドードーは言葉に詰まった。
……やっぱりこの紳士は、極道とは違う……。嵐に曝されてイカレているのでもない。お客さんは本気で、カジノを総取りするつもり……。おそらく、この町の住民のために……! ……だけど、彼が博打打ちではなく、カジノの所有者でもないのだとしたら……。それが連中にばれた時には……、そしてもしも、敗北した暁には……、彼の処遇は、いったいどうなる……?
ルイス・キャロルは三オーナーたちに視線を戻していた。イモムシたちはいつの間にか、その口元に不敵な笑みを浮かべ、目を爛々と輝かせていた。
「いいだろう……!」イモムシが言った。「キミの話に、乗ってあげるよ!」
ネズミも笑って言い放つ。
「ハッハ! イカレてるぜ! だがそれでこそワンダーランドだ! やってやる!」
インコもルイスに言う。
「ホホッ! 詳しくルールを煮詰める必要はあるわ。でもあんたのゲームは面白そう。その王家抜きとやらで、勝負しようじゃないの!」
ギャラリーたちの歓声で、ホールが揺れ動いた。ドードー鳥はうろたえ、ルイス・キャロルはにんまりと笑った。
イモムシ、インコ、ネズミの三オーナーたちは、三者が一様に、同じ事を考えていた。――このよそ者の言った事が分かった。ババ抜きは確かに、運だけの勝負ではない……。かといって客の誰かが言ったように、それは心理戦でもない……。ババ抜きは、「技術のゲーム」……、そうなるだろう――と。
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