2.これが私たちの世界ですか?(その4)

 ♠ ♥ ♣ ♦


 ほとんど雲に隠れがちな太陽が、それでも空の一番高い所に昇る。時は正午だった。

 この湖の町の三軒のカジノは、町の中心に三軒共が通り一本挟んで隣同士に建っており、その広い敷地は、上空から見ると三等分されたドーナッツのように区分けされていた。そのドーナッツの「穴」に当たる土地は三者の誰の縄張りでもなく、高い建物に遮られて、ほとんど日の射さない荒れた広場になっていた。

 普段ならば、このような場所に足を踏み入れる者は一人もいない。しかしこの日のこの時刻は、どういうわけか、かつてない程の荒くれ者たちで溢れかえっていた。制服を着ている者もいれば、そうでない者もいる。彼らは全て、町のカジノの関係者だ。

「おうおうおう! 間抜けどもが、よくもこれだけ集まったもんだぜ!」

 様々な生き物たちの群れの一つから、丸っこい山高帽を被った大きなネズミが、周囲の獣に道を開けられ、怒鳴りながら広場中央へと進み出てきた。するともう一つの、小鳥を中心とした群れの中から、派手なドレスに身を包んだ、一羽の赤いインコが飛び出して言った。

「その言葉、そっくりあんたにお返しするわ! まったく馬鹿げた思い付きね!」

 すると今度はもう一つの群れ(この群れが最も雑多な生き物で構成されていて、沢蟹もいれば、哺乳類も小鳥もいた)を搔き分けて、例の巨大な子犬の背にまたがった、巨大な青いイモムシが躍り出てきた。イモムシは咥えていた葉巻を手でつまむと、フウッと煙を吐いて大声で言った。

「キミたちが示し合わせたんだろうッ? このボクを差し置いてコソコソと! 遂にヤキが回ったみたいだな!」

 ネズミがイモムシに言う。

「馬鹿野郎が! てめえが手紙書いて寄越したんだろうが!」

 するとインコがネズミに向かって、胸元から一通の手紙を出しつつ言った。

「書いたのはあんたでしょッ? ホホッ、お馬鹿さん! 自分のやった事も憶えてないのかしら!」

 するとイモムシが、犬の背中の上から高笑いして言った。犬は尻尾を振りつつ、大人しくしている。

「ワハハッ! こりゃあ傑作だね! 手紙の写しまでご丁寧に持ち歩きながら、自分が書いたって忘れてるのかッ!」

 周りのやくざ者たちがざわつき始めた。インコはイモムシを睨んで言う。

「はあッ? 意味分かんない! 妄想垂れ流すのはやめな! この手紙はネズミがあたしに送ってきたもんだよ! 知ってるくせに! 引っ込んでな!」

 ここで、ネズミとイモムシは同時に目を剥いて懐から手紙を取り出した。先にネズミが叫ぶ。

「有り得ねえ! ふざけんなッ! 俺様は手紙なんぞ書いちゃいねえ! 俺様は受け取っただけだ! 見ろ! てめえの名前も書いてある!」

 ネズミは手紙を開いてインコに見せ付けようとしたが、その前にイモムシが口を開いた。

「インコ! この売女め! キミは確かにこのボクに手紙を送った! 見なよ!」

 イモムシも手紙を突き出している。インコは若干戸惑ったようだったが、ここまで言われては、と思ったのだろう。部下に合図してイモムシの手紙を取らせた。ほとんど同時に、ネズミの所からリスが飛び出して、ネズミが受け取ったという手紙をインコに運んできた。インコは先に手元に来たネズミの手紙に目を通す。

「……『カジノ「ドリーム&マジック」オーナー、ネズミ様へ』……『町を巡る私たちの争いも長きに渡り、涙の池は広がるばかり』……『そこでこの果てしない抗争に終止符を打つため、我々カジノのオーナーが一同に会し、博徒らしく互いの店を賭けてゲームで決着を付けようではありませんか。インコの方とは、既に話は付けてあります』……『カジノ「バタフライ」イモムシより』……!」

 インコが顔を上げてネズミを見ると、彼はどうだと言わんばかりに両手を広げて、インコとイモムシを交互に見た。すかさずイモムシが言う。

「おいキミッ! 何を読んでるッ! ちゃんと読みなよ! キミ自身がこのボクに送った手紙を!」

 しかしインコはイモムシが受け取ったという手紙の方をちらりと見ただけで下ろすと、先程自分の胸元から取り出した手紙を広げて、その三通をネズミとイモムシの方に突き出して怒鳴った。

「これはどういう事ッ? この三通の手紙はほとんど同じ! 出てくる名前が順繰りに入れ替わってるだけ! イモムシに送られたのは『イモムシ様へ』『ネズミとは話を付けてあります』『インコより』、で、このあたしに送られたのは『インコ様へ』『イモムシとは話を』、『ネズミより』……! この馬鹿げたイタズラは何ッ! どっちがやったッ!」

「俺様はやってねえッ!」

「このボクがそんなもの書くわけないッ! キミこそ怪しいぞ!」

「このあたしが書いたって言うのッ? こんな下らないマネするわけないでしょ!」

「私が書きました!」

「ハッ! あっさりゲロっちまったな! この落とし前はどうやって付けんだ?」

「待てってキミ! 今喋ったのは誰だ?」

「俺様だよ! 耳までイカレちまったのか?」

「馬鹿! あんたじゃないよ! その前ッ!」

「私っ……! 私ですッ……!」

 ここで三名のカジノオーナーは互いの顔を睨むのをやめ、首を伸ばして周りをうかがった。見れば荒くれ者たちのざわめきの中、黒いシルクの帽子が一つ、広場の中心に向かって、もぞもぞと人ごみを搔き分けながら動いてくる。

「……私です。その三通の手紙を書いたのは、何を隠そう、この私です」

 三オーナーの前に現れたルイス・キャロルが、不敵な笑みを浮かべながら言った。次の瞬間、広場は物凄い怒号に包まれた。

「誰だこいつはッ! どこの一家のもんだッ!」

「てめえのとこの奴じゃねえのかッ? 吐けよ!」

「青ビョウタンが! ふざけやがって!」

「どういうつもりなんだ! ええッ? どういう事だッ!」

 ルイス・キャロルは素早く両手を上げ、できる限り声を大きくして言った。

「私はどこの者でもありませんし、この国の者でもありません! ただの旅行者です!」

 一瞬の沈黙の後、すぐにまた獣たちが怒鳴り声を上げる。

「よそ者がッ! なんのマネだ!」

「いい度胸だ兄ちゃん! 覚悟はできてんだろうな!」

「極道ナメた罪は重いぞ!」

 一方で、カジノのボスたちは三者三様に腕組みをしたまま、じっと旅の紳士を睨みつけていたが、やがてほとんど同時に大声で言った。

「静かに!」「お黙り!」「黙りやがれ!」

 広場は一斉に静けさに包まれた。例の巨大な子犬の、ハアハア言う息遣いだけが聞こえてくる。最初に口火を切ったのはイモムシだった。

「……旅行者さん、聞かせてくれないかな? 通りすがりのキミが、いったいどういうつもりでこんなイタズラを? カジノで負けた、嫌がらせかい?」

 ルイスは明るい顔で答える。

「とんでもない! やり方はイタズラ染みてますが、私は本当に、それが実現してほしくって、手紙を書いたのです」

「『それ』ってなんだよ。回りくどい言い方しやがって……!」

 ネズミが言ったが、すぐにインコが手紙を振りながら言う。

「ハッ! お馬鹿さんね。さっきこのあたしが読んだだろ? 『カジノのオーナーが一同に会し、博徒らしく互いの店を賭けてゲームで決着を』……って、まさかっ! この優男っ、本気であたしたちにそんな事をさせようってッ?」

 三オーナーは再びルイスを睨みつけた。ネズミがドスの利いた声で言う。

「よそもんのてめえが、それでなんの得になる? 三人の内、二人の負けっぷりが見られりゃ憂さ晴らしできるってわけでもあるめえ。やっぱりイタズラに変わりねえんじゃねえのか? それともやっぱり、こいつらの内のどっちかの回しもんなのか? ええッ?」

 ルイス・キャロルは両手で三名をなだめるようにして、次のように言った。

「いえいえっ、単純な話ですッ……! 子供の頃、気になりませんでしたか? 例えばランスロットとガウェインとトリスタン、円卓の騎士たちの中でも最も名高い三人が戦ったら、ホントは誰が最強なのか……」

 極道者たちの目が、一瞬きょとんとする。そこでルイス・キャロルは声を大にして言った。

「即ちズバリ、好奇心です! カジノの支配者たちの内で、ホントは誰が、最強の勝負師なのか! 私はそれを決めてほしいのです!」

 三オーナーは唖然とし、周囲の者たちはどよめき始めた。そして群集の一番外側で、密かに様子を聞いていたあの食堂のドードー鳥は、紳士の身を心配して今にも気を失いそうだった。彼はこう思った。

 ……夕べお客さんは食事の後、紅茶を飲みながら何か書き物をしていた……。僕には読ませてくれなかったけど、そ、そういう事だったとは……! その後もオーナーたちの事とか、あれこれ雑談はしていたけれど、まさかこんな……。彼は本当に、三者のバランスを崩して、支配者を一名に絞るつもりだ……! 確かに博打で戦うなら一般住民は安全だし、それで抗争はなくなるかもしれない。……けど……。いいや、そもそもッ、こんな企み、成功するわけがない……! こんな騒ぎを起こして、あのお客さんがただで済むわけがない……!

 群集の荒くれ者たちの声が、少しずつ大きくなっていた。最早彼らの注目は、イカレた紳士などよりも、自分のボスたちに向けられていた。当のボスら三名は顔を伏せ気味にし、互いの表情をうかがって動かない。

 するとここで、ルイス・キャロルは大袈裟に首を横に振り、鼻からちょっと息をついて、笑いながらこう言った。

「恐いのですか? お三方とも」

「「「まさかッ!」」」

 三オーナーが即座に同じ台詞を叫んだ。続いてイモムシが我先にとまくし立てる。

「このボクが一番に決まってる! 現に今、一番客が来てるのはこのボクの店だ! ギャンブル勝負だって負けるわけがない! やってやるとも!」

 ネズミが笑いながら言う。

「ハッハ! 俺様は前からさっさとそうしたかったのさ! そうすりゃ俺様の圧勝! 町は俺様の物になる!」

 インコも高らかに言う。

「最も強く、最も賢く、最も美しいのはこのあたし! 他の二人は泥でもすすってるのがお似合いさ! 覚悟しな!」

 周りの荒くれ者たちは沸き上がった。ルイス・キャロルは黙ってほくそ笑んでいる。ドードーは大きく安堵の溜め息をついた。やくざ者はメンツが全てなのだ。

 が、獣の群れの向こうに僅かに紳士の姿を認めて、彼はなんだか胸騒ぎがした。あの人は助かった、そう思いたい。けれども……、本当にあの紳士は、これで舞台を降りるだろうか、と。

 一方で、広場の荒くれ者たちの多くの心は、自分やボスの明日の境遇に対する不安よりも、支配者同士の一世一代の大勝負への期待感で占められていた。

 彼らの興奮は増すばかりだったが、三名のオーナーたちは場所を変えて勝負を執り行う事で意見が一致し、一同はイモムシのカジノに移動する事が決まった。騒々しく通りを練り歩く獣の群れに混ざって、ルイス・キャロルと、それからドードーも、押し流されるようにして付いていく。彼らの事を気にする者は、最早ほとんどいなかった。

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