2.これが私たちの世界ですか?(その3)

 そうしてしばしの後、ドードーはその短い翼でようやく涙を拭うと、我に返って紳士に言った。

「あ、あああ、ごごごめんなさいっ、お客さん……! おお食事中にこんな話……。料理が冷めるし、ま、不味くなりますよね。い、いや、も、もともと不味いのです。だからこ、こんなに流行らないのです……!」

 これを聞いてルイス・キャロルも顔を上げると、料理の残りを二、三くち口に入れて、噛みながら言った。

「モグモグ、大して冷めてはいませんし、モグ、それに、さっきも言ったように、美味しいですよ! そこは太鼓判押しますから!」

 しかしドードーは首を横に振り、口元を引きつらせながら言う。

「い、い、いいえ……! お、お世辞はよしてください……! わ、分かっているのです……。例え、例え、カジノが町になかったとしても、こ、こんな素人に毛が生えたような料理で、こ、こんな容貌の、ど、ど、ど、どもりの根暗が接客する店なんて、だ、誰も来ようと思わないに決まってます」

 ルイス・キャロルは再び顔をしかめて、ドードーに尋ねる。

「……ひょっとして、もともとこの商売をしていたわけじゃあないのですか?」

 するとドードーは、大きく溜め息を一つついてから言った。

「……ぼ、僕は実は、革命前は、こ、古典の教師だったのです。当時からど、どもりがあって、ば、馬鹿にされていましたが、革命があって世の中が劇的に変わる中で、こ、こ、『古典が何の役に立つのか』、とか、『古典なんて読んだって意味がない』『そもそも意味が分からない』などという、風潮一色になってしまって……」

 ここでルイス・キャロルは大きくうなづいて言った。

「ウンウン、私も国では数学を生業にしてるので、その手の批判はよ~く分かりますよ! 最近私は童話も書いて出版したのですがね、そちらの方でさえ、『荒唐無稽だ』『この話の教育的効果は?』『主人公にこれといった目的もなく、周囲に振り回されているだけ』『結局何が言いたかったわけ?』『全くのナンセンス』などと言われる始末。私はナンセンスを書いたんですが! ちょっと前にその童話を基にした人形劇も観ましたが、なんだか杓子定規な教訓話に改変しつつ、やたらとサディスティックになっていて呆れましたよ!」

 まくし立てる紳士の様子にドードーは少し笑ったが、彼は再び顔を引きつらせてこう言った。

「ぼ、僕の方は、結局、し、失業ですからね……。もともと料理が好きだったので、い、一念発起し……、しゃ、借金までして店を開いたけれども……、ご覧の有様、という事です……。は、話が逸れましたがね……、やっぱり僕は、だ、駄目なのですよ……。例えカジノがなくても、例え、か、革命が起きなくても、結局ぼ僕はこの、ど、ど、どもりのせいで、何をやっても、は、恥をかく……。どもりは年々、ひ、酷くなります。僕は日ごと自分に、ぜ、絶望を募らせるのです……」

 ドードー鳥は皮肉めいた笑いのような溜め息を一つつくと、黙って床を見つめた。ルイス・キャロルはその目に哀れみをたたえてドードーを見つめていたが、やがてナイフとフォークを置いて、出し抜けに言った。

「それがあるとゆらゆら揺れるし、それがなくてもゆらゆら揺れるものって、なーんだ?」

「えっ……? な、な、なんですか……? なぞなぞ……?」

 ドードーは混乱するが、ルイス・キャロルは笑って言う。

「これは簡単ですね。答えは『ジシン』」

 少しの間の後、ドードーは苦笑いをして言う。

「……自信……。フッ……、ええ、そ、そうですよ。ぼ、僕はじ、自信がないのです……。自信がないから、お、おどおどして失敗する。失敗して、更に自分が、き、嫌いになる。す、すると更に失敗したり、ヤケ食いに走ったりする。すると一層、自分が……」

「ドードーめぐりですね」

 ルイスが口を挟んだが、ドードーはちょっと考えた後、眉をひそめて言った。

「……それは『悪循環』と言うべきでは?」

「おっと、失敬! オホン。……ここだけの話ですがね……、実は私も、本当はどもりがあるんです」

 ドードーは怪訝な表情でルイスを見る。

「……本当は? フッ……、まさか。お、おかしな事を言う方ですね……!」

 ルイスはちょっと肩をすくめた後、穏やかに語り始めた。

「自信に関しても、私は幼い頃から全然ありませんでした。……けれども、ある女性レディーのおかげで、少しずつ変わったんです。おっと、そんな顔しないでください! 女性と言っても、幼い少女ですよ? 彼女はですね、私のどもりを、『ためらい』と呼んで、こんな風に言ってくれました。――『すぐにことばが出てくるより、ちょっとじらしたり、間があった方が楽しいじゃない、魔法マジックみたいで!』って」

 ドードーは目を見開いた。ルイス・キャロルは微笑をたたえながら、話を続ける。

「その子は非常に聡明な子で……。ある時、既に大人の私に、こうも言いました。『自分がきらいなら、すきな自分になればいいじゃない』……マリー・アントワネットもかくや、と私が苦笑いをしていると、彼女は更に言います。『ちょこ~っとだけがんばってやってみるの。そうすれば、あなたはあなたをほめてあげられるわ! それか、すきな自分の役になりきる! 「みんな知らずにいるけど、ぼくは魔法の国の王子さまなんだぞ」みたいに! かたちから入るのって、けっこうだいじなんだから!』……ってね」

 ドードーの口元は思わず緩んだ。それから、彼は切なそうに顔をしかめて言った。

「……賢い子供、ですね……。そ、それに、深い慈愛の持ち主です……」

 ルイス・キャロルも少し切なげにうなづいてから、ドードーに言った。

「ええ、本当に……。実は、あなたも以前に、会った事がある子のはずですよ。憶えてませんか? 七歳の少女……、名前はアリスです」

 ドードーは額に指を一本突き立て、考えた。

「……アリス……? アリス……。あっ……! ひょ、ひょっとして、あ、あの子でしょうか? ぼ僕たちと池のほとりで、ぐるぐる回る、党内Caucus-競走Raceをした……!」

 ルイス・キャロルはにっこり微笑んだ。

「ええ、そのように聞いてますよ」

 ドードーは気持ちを高揚させて言う。

「いやあ、な、懐かしい! あの後その子、都で、さ、裁判に出席したでしょう? そこであの子は、と、突然消えてしまったらしいじゃないですか。ちょっと話題になりましたよ。あの子は何者だ? よ、妖精か、幽霊か?って。け、結局、チェシャ猫の同類なのだろうという事で、皆落ち着きましたけど……」

 ルイス・キャロルはクスクスと笑ってから言う。

「その辺りの事は分かりませんが……。彼女は私の上司の娘でして。家族ぐるみのお付き合いだったんですよ。特に三人の娘さん、アリスと、彼女の姉のロリーナ、すぐ下の妹のイーディスとは、一緒にピクニックに行くくらいの仲で!」

「ああ、あれからど、どのくらい経ったのだろう……! 彼女は、げ、元気にしていますか?」

 ドードーがそう尋ねると、ルイスは一瞬、どこか面食らったかのような表情をしたが、すぐに笑って答えた。

「フフッ……! それはもう!」

 と、その時だった。建物の外から、何名かの激しい怒鳴り声が聞こえてきたのだ。

「畜生! さっきの鉄砲玉、どこ行きゃあがった!」

「今朝はインコんとこにやられそうになったろ? どいつもこいつもナメやがって! すぐに借りを返してやる!」

「その前に、昨日返り討ちにされたカチコミの復讐が先だ!」

「どっちでもいい! やられる前にやっちまえ!」

 間もなく獣の群れは、周りに当たり散らしながら走り去っていったようだった。

 息を止めて静かにしていたルイス・キャロルとドードーは、大きく溜め息をついて頭を振った。ルイスは呆れ気味に言う。

「……いやはや……! それにしても……、三つの相反する勢力がいれば、お互いにバランスを取り合って、争いも抑えられそうなものですけどねえ……」

 彼は食堂の壁際に積まれていた、三本足のスツールを指した。が、ドードーは首を横に振る。

「バ、バランスが取れているものの全てが、平穏だとは限りません……。れ、連中は、周りの物を弾き飛ばしながらぐるぐる回る、三角形の、こ、独楽のようなものです……。も、もっとも、今はイモムシ一家が、頭一つ優勢のようですが……。し、新規参入者の故か、最もしゅ、手段を選ばないようですし、最近、さっきの巨大な犬を、て、手懐ける事にも、成功したようで……」

「……なるほど……」ルイスは顎に手を当てながら言った。「いっその事、さっさと一人が邪魔者を駆逐してしまえば、皆さん少しは楽になるでしょうにね……。あなただって、絶対違ってきますよ」

 これを聞いて、ドードーは声を荒らげて言った。

「な、なな、なんて事をッ……! そ、その過程でどれだけ僕たちにひ、火の粉が降りかかるか……! そそ、外をご、ご覧になったでしょう? す、既に町は、も文字通り焼け跡だらけなのですよッ?」

 ここでルイス・キャロルはテーブルに視線を落とし、三本歯のフォークを手に取ると、それを持ち上げるようにして言った。

「片を付ける手段は、暴力だけじゃないじゃないですか。それに……」

「そ、それに……?」

「『一人』が『誰』かも、決まってませんしね」

 ドードー鳥は頭を疑問で一杯にしたまま紳士を見つめた。ルイス・キャロルは皿に残っていたフィッシュ・アンド・チップスを、ナイフとフォークで手早く平らげた。

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