1.ゲームをしましょう(その9)

 その瞬間、猛烈な歓声が客たちから湧き起こった。

「おおおおおおおーーー!」

「4に罠っ! そんな地味なとこに! あえてッ!」

「決まった! 決着だッ!」

「挑戦者の勝ちだ! カジノはあの紳士のものッ! これから彼が、この店のオーナーだッ!」

 カジノの関係者たちは今後の自分の立場を想像して戸惑っていたが、客たちはいかにも名勝負を見られて満足といった様子で、既に部屋を出ようとしている者もいた。が、この勝負の結果について、まだ納得しきれない者が二名いた。その内の一名、トカゲのビルが紳士に言う。

「旦那っ……! どういう事だっ? いや、勝ったのはいいッ! 旦那の勝ちだ。そこは間違いねえし、オイラも嬉しい。首の皮が繋がった思いだ。けど、分からねえ……! オイラ実は、旦那が書いたのを見てたんだ。旦那は罠の場所……、『1』って紙に書いて畳んだ。オイラはそれから終盤になって、メアリーの奴も同じとこに罠を置いてるに違いねえと気付いた。旦那もそう考えたからこそ、勝負をもう諦めたんだと……」

 メアリー・アンは青い顔をしてポーカーテーブルに寄りかかり、恨みと、それからビルと同様の疑問を目に浮かべて、紳士を睨んでいた。ギャラリーたちも改めて頭を巡らせ、彼に注目する。紳士はビルに向かってにっこり微笑むと、顎に手を当てて考えるようにしながら話し始めた。

「……そうですねえ……。ではでは、まず私たちがカジノに入ってきたところから始めましょうか」

「そこからッ?」

「フフッ。ビル、あなたに案内されてこの店の実情を一通り教えてもらってから、私はあなたにルーレットで遊んでくるように言って、その間に更に情報収集をしていました。そうしてオーナーの彼女がしばしば一対一の大勝負をしていて、無敵の強さを誇っている事を知ったのです。私は彼女が、ある『長所』を持っている事に気付きました。勝負種目はほとんどポーカーなどのブラフゲームに限定されてたそうですし……、フフッ、まあ、兎ですからねッ!」

 メアリーは慌てて顔を伏せる。ビルや客たちは怪訝な表情をした。紳士は説明を続ける。

「メアリー嬢はその長い耳で対戦相手の心臓の音を聞き、心の中を推測していたのです。ただし、私がそれを逆手に取るにしても、人間、そう自在に心拍を早めたり遅くしたりできるわけありません。せいぜい平常心を保つくらいで……」

 客たちの一部から怒号が上がった。ビルもメアリーに罵声を浴びせようとした。メアリーは身をすくめる。しかし紳士は一同に向かって言った。

「皆さん! 彼女は負けたのです! どうか話の続きを!」

 彼らはしぶしぶ、紳士の言葉に耳を傾けた。

「……さて、ある策を練った私は、ルーレットで順調にお金をスりつつあるビルの所に戻ってきました。事前の私の言葉で、勝てると思い込んでいたビルは、案の定、負けて憤慨し、騒ぎ始めました。私はそこに便乗してカジノの数学的仕組みを暴露し、騒動に発展させたのです。最高責任者がやってきます。勝負などと言い出すイカレたギャンブル中毒者を、ブラッディーメアリーは返り討ちにしたくて仕方がない。……しかしここで一つ、私にとっての誤算がありました。と言っても、結果的には嬉しい誤算でしたが……」

 ビルが眉をひそめる。

「私の身を心配してくれたビルが、勝負はポーカーでなく○×、と言い出したのです。ポーカーでもやりようはありましたが……、○×をアレンジしてブラフゲームにすれば、より確実に目的を果たせる。何より、そっちの方が楽しいです! 私は即興でこの『罠○×』を考案し、オーナーを勝負に引きずり込みました。そして、肝心要の、罠の位置を紙に書く時です……」

 ビルとメアリーが息を呑んだ。

「見張り云々を口実にして、ビルをそばに呼び寄せました。私はウンウンうなりながら考える。彼の性格からして、私がどこに罠を置くのか、気になって仕方がないはずです。私は密かに彼の様子をうかがっていました。やがて、彼は私の方を見ました。私の手元を見ています。そこには今書き終えたばかりのように、数字の1が書いてある。私はここぞとばかりに、彼にウインクを投げ掛けました。彼は思わず目を逸らします。その瞬間……!」

 紳士はチョークで黒板に線を描きながら言った。

「数字の1を、4に書き換えました! 0.2秒で誰でもできます! そして次の瞬間には、自然な動きでペンを置き、紙を畳んで、仕掛けは完了!」

 ビルもメアリーもギャラリーたちも、口をあんぐりと開いていた。

「そこからは罠○×のゲームの進行ですが……。彼女が相手の心音を聞けると思い込んでいる事を考えれば、彼女の罠の位置はそれなりの確率で推測できます。後は覚悟を決めて心を落ち着かせ、彼女が『ビルの心音を聞けばいい!』と気付くのを待つだけ……!」

 メアリー・アンは再びよろめき、声を震わせながら紳士に言った。

「……そ、んな……。それじゃあ、アタシは……! ほとんど今夜の最初っから! アンタの手の上で、踊らされてたって事かいッ?」

「オイラもだっ……!」

 ビルも言った。紳士は手を伸ばして、テーブルの向こうに置いてあった、カジノの金庫室の鍵束を取る。それから彼は笑って言った。

「フフッ。数学に携わる者として、『計算通り』などと言おうかと思いましたが……。最近私、作家デビューしましたので、ここはあえて、こう言っておきましょうか……!」

 彼は鍵をペンのように持ち替えると、メアリーに向けてウインクして言った。

「全て私の、『筋書き通り』、と!」

 メアリーを含め、その場の全員が感嘆の溜め息を漏らした。やがて、メアリー・アンは苦笑いをしつつ、声を落として紳士に言った。

「フン……。完敗……、さ……。これだけの証人がいるんだ……。これ以上の抵抗は無駄……。これからこの店はあんたのもの。アタシは見誤ってたようだね……。あんたは只者じゃなかった……。あんた、名前は……?」

 紳士はトップハットのつばを右手で触りながら、穏やかな笑みをメアリーに向け、こう答えた。

「チャールズ・ラトウィッジ・ドッドソン。またの名を――、『ルイス・キャロル』と申します」

 メアリーや客たちは軽くうなづいた後、話は終わりとばかり体の向きを変え始めた。が、唯一、年老いたトカゲのビルだけが、彼の名を耳にして驚愕していた。

 ……ルイス・キャロル……。ルイス・キャロルだってッ? 若い連中は知らねえかもしれねえがっ……、その名前は……! かつてこの世界をお喋りによって創り上げたと言い伝えられる、神の名! ルイス・キャロル様ッ……! 創造者の名前だ……! 旦那……、あんたはいったい……。

「皆さん!」

 ビルが投げ掛ける視線をよそに、ルイス・キャロルと名乗った紳士は大きな声で周囲に呼び掛けた。

「新オーナーからのお知らせです! 大変申し訳ないのですが、今夜は事務手続きなどの都合もありまして、当店はこれにて営業終了とさせていただきます……! 申し訳ありません! お忘れ物などございませんよう、お荷物、お手回り品をご確認の上……」

 彼は子供のような屈託のない笑顔で、客たちの間を縫って進みながら喋り続けていた。既にメアリーも、オフィスに向かって引き上げている。ビルは独りポーカーテーブルの傍らに佇みながら、じっと紳士の後ろ姿を見つめていた。

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