第30話 突然




 まつりに贈るつもりだった楽器の制作は続けていました。仕事が春の繁忙期であることもありなかなか時間を確保することがかないませんでしたが、少しずつ作業を進め、ゴールデンウィークを迎える前に木工加工を終えることができました。あとは塗装と組み込み調整を残すのみで、塗装に関しては乾燥期間に時間をとられるため、隙間時間で塗装をして乾燥を繰り返すだけで工程を進めることができ、忙しくとも完成に近づけることは可能でした。



 ゴールデンウィーク直前の平日。まつりは、この日に学校でライブをすると告げていました。


 入部した軽音楽部が新入生歓迎として放課後にミニライブをするそうで、それにゲスト出演を頼まれたそうです。一年生であるまつりは、本来なら歓迎される側のため出演者として扱われるべきではありませんでしたが、しかし彼女は快く引き受けたとのことです。新しい部活仲間のお披露目というかたちでまつりを歓迎したいという、部活動としての意向であるようで、そういう話ならば断わるわけにはいかないと、まつりは嬉しそうに語っていました。彼女がこの二年間路上で磨ぎあげたパフォーマンスを同年代が集まる場で披露することが、この上なく興奮するようでした。


 当然ですが部外者である私はそのライブを見ることはできませんし、別にわざわざ見に行くつもりもありませんでした。ですが前日に会った際にまつりは「動画撮ってもらうので、あとで師匠に送りますね」と屈託のない笑顔を向けて言ってくるものですから、私は「期待しないで待っておく」とだけ返事をし、メンテナンスとして預かっていたハミングバードを返却しました。保管状況がよかったのか、彼女の楽器はこれといって不具合等はなく、ライブに備えて新品の弦に張り替える程度の作業で済みました。



 当日は生憎の雨でした。この日私は仕事の営業として都内の楽器店をまわっていました。例の得意先である中古楽器を扱う楽器店であり、春特有の繁盛もあってか、都内の系列店舗を全てまわると、営業車として使っているワンボックスカーの荷室は修理依頼の楽器で満杯になっていました。次回も修理を終えた楽器を満杯に詰め込んで店舗に向かい、交換するかのように依頼品を詰め込んで帰ってくることを考えると、実に憂鬱な気分となりますが、仕事なので仕方ありません。


 楽器で埋め尽くされた車内にて、一人運転席に座る私は、左折する交差点の信号が変わるのを待っていました。都心から千葉の柏へ戻るには水戸街道でお馴染みの国道六号を進みますけど、この道は途中で浅草の辺りを通過することとなり、フロントガラス越しには雨雲に半ば隠された東京スカイツリーがそびえていました。


 雨の音に紛れてウインカーが点滅する音が聞こえてきますが、その日のウインカーはやけに響くような気がしました。まるで何かをカウントダウンでもしているかのように、延々と音を刻んでいました。もっとも左折待ちで信号が変わるまでの間をただ刻んでいるだけなのですが、このときのウインカーの音から何やら不吉なものを感じ取ったのです。そしてその不吉は、この日現実のものとなりました。


 柏の個人工房に帰ってきて荷下ろしをしたのち、私は帰路につきました。途中例の如く閉店した百貨店のシャッター前を通りますが、まつりの姿はありませんでした。時刻はいつもよりやや遅く既に夜となっていましたし、なにより雨が降っているので、もし彼女がここに来ていたのならばもう諦めて帰宅してしまったのではないかと思いました。もしくはライブの打ち上げか何かの集まりに参加していて、そもそもまだこちらに戻ってきていないとも考えられました。別に会う約束を明確にしているわけでもありませんでしたので、お互いのタイミングが合わなかったとして、深く考えることもなく私はそのまま帰宅しました。



 自宅マンションに帰ってきて、風呂を済ませ夕飯の用意をしてから、私はテレビをつけて腰を落ち着かせました。私は普段食事のときくらいしかテレビをつけません。一人黙々と食事するのが物寂しいといった理由でしかなく、番組の内容よりはテレビがついているそのことに意味がありました。


 よってその夜たまたま放送していたニュース番組にこれといって関心はなく、夕方に高齢者が運転する自動車が死亡事故を起こしたといった痛ましいニュースが流れ始めても、「またか」と思う程度でした。高齢化が加速する社会において昨今よく報道される出来事でしかなく、被害に遭われたご本人や遺族には申し訳ないですが、今やありふれた日常でしかありません。とくに他者に興味を抱けない私のような人間としては、報道で取り上げられている間しか意識しない程度の事柄でした。


 その交通事故は柏市内で発生しており、私は箸を手に取りながら「近いな」と思うくらいでした。運転していたのが免許返納をしたはずの九十歳の高齢者で、しかも飲酒した状態であり、信号無視をして青信号の横断歩道を歩いていた女性を撥ね死亡させた交通事故と報道され、世の中とんでもないクズ野郎がいたものだと思いつつサラダを口に運び咀嚼していました。


 テレビは事故現場の映像が流れ、警察が実況見分か何かの作業をしている場面を遠くから映したもののようで、道路には車の破片などが散乱していました。そしてアナウンサーが、死亡したのは近くの高校に通う女子生徒であると原稿を読み上げているまさにそのとき、画面にグチャグチャに潰されたギターが映ったのでした。


 私は箸を動かすことができないまま、呆然と画面を見つめていました。


 映し出されたギターには見覚えがあったのです。チェリーカラーのボディに、小鳥のペイントが描かれたギター。紛れもない、ギブソンのハミングバードでした。頑丈なハードケースに納められたハミングバードが粉々に潰されるほどの衝撃を伴った事故だったということを、ニュース番組の映像は無機質に伝えているだけでした。


 そのハミングバードの持ち主である女子高生がどのようなことになったかなど、容易に想像できてしまいます。楽器のケースを持って歩きながらミディアムボブの髪を揺らし、お気に入りのヘッドホンを装着していて、背中にはおしゃれな緩いリュックサックを背負い、私服のパーカーを羽織ってチェックの制服スカートを穿いた小柄な女の子の命が、無残にも失われたということを。


 私は半ば正気を失いつつもスマホを手に取り、彼女に電話をかけていました。電話に出てくれることを切実に願いつつも、しかし無情にも電話のコールは鳴り続けていました。


 ふと、コールが途切れ電話が繋がりました。私の切実な願いが叶ったのかと思いましたが、次の瞬間、その願いが無慈悲に打ち砕かれることとなりました。


「はい」と短い対応。それは男の声でした。しかしそれだけで、私は相手が誰なのか把握することができました。


 彼女の父親でした。血の繋がりのない戸籍上だけの父親。彼女の母親を偏愛するあまりその娘をネグレクトしている奇妙な男性。その男が、彼女のスマートフォンにかかってきた電話をとったのです。



「あの……あの子は……」



 私はただ尋ねるしかありませんでした。おそらく私の声は動揺のあまり震えかすれていたことでしょう。


 その私の言葉の返事として、相手の男はただ事務的に告げるだけでした。



「亡くなりました」と。



 その夜、私の食事はサラダ一口だけとなりました。


 雨は私の感情の逃げ場を奪うかのように、柏の街に降り続いていました。




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