第29話 高校生
中学校の卒業式を終えたまつりは、それ以降の路上ライブにおいて、ぽつぽつと一人か二人程度の通行人の足を止める日々を過ごしていました。不安に駆られた受験が終わったためか、水を得た魚のようにパフォーマンスをするその姿勢は生き生きとしていて、わたしがわたしであるという自己主張をこれでもかとしていました。そこに向上した演奏技術や歌唱力といった成長が加わっていますので、ふと存在を認識した途端意識が釘付けにならざるを得ないほどに惹きつけられる魅力がありました。
「師匠、ありがとう」
ある春先の日、カーキ色のモッズコートを羽織り、中にパステルカラーの少女然としたワンピースといった、彼女らしい私服を着ているまつりは、路上ライブを終えて灯ったばかりの街灯に照らされながら、はにかんで謝意を伝えてきた。この日歌った曲を最後まで聴いてくれたことへの感謝だと思い、いち観客として「よかったよ。また上達したんじゃないか?」と賛辞をおくりました。しかし彼女は
「今までありがとう、ってこと。師匠が助けてくれたから、今こうして歩いている人を引き止めて曲を届けることができているの。多分師匠と出会っていなかったら、もうとっくに心が折れていたと思う。なので、ありがとう。わたし、師匠と出会って人生が変わったの」
唐突にそう言い出すものですから、私は「どうした?」と聞き返しました。
「……中学を卒業して高校に入学する前の節目の時期だから、改めてちゃんとお礼を言わなきゃって思ったの。こういう日頃の感謝の言葉って、言えるときに言っておかないと言うタイミングを逃しそうだったから、今こうして言ってみた。これまでありがとうってね」
まつりは照れ隠しのように笑みを浮かべていました。私も「そうか」と言いつつ釣られて照れてしまいました。
四月になり、まつりは高校生になりました。ある日の平日の夕方、帰宅の際に例のシャッター前を通りかかると、そこには高校の制服を着た彼女が待っていました。チェックのプリーツスカートを穿くブレザースタイルの制服は、実に高校生らしいデザインでした。
「師匠が可愛い制服がいいって仰っていたので、可愛い学校を選びました」
まつりは小悪魔のような含みのある笑みを浮かべながら言ってきますが、しかしそれでは私が可愛い制服を望んでいたかのような言い方であり、私としては釈然としない気持ちになりました。「違うのですか?」と挑発とも誘惑ともとれる追い打ちをかける彼女が腹立たしかったです。三十歳を過ぎた大人が女子高生の制服で一喜一憂することなど、認めたくはないことでした。
それなりに偏差値がよく、進路の選択肢が柔軟で、そこまで校則が厳しくなく、交通の便がよく、可愛い制服であるという、理想だけを寄せ集めたかのような高校を第一志望とし、実際に合格したまつりは、「今日入学式だったんです」と着ている制服を見せびらかすかのように身体を揺らしていました。
「師匠も入学式に来てくれればよかったのに」とまつりは不満げな態度をとっていました。事前に、彼女から親の代わりに入学式に来てほしいと打診されましたが、さすがにそれはできないと断りました。確かにあのネグレクトの父親は彼女の入学式など出席しないだろうことは容易に想像できてしまいますが、しかし私がその代役をすることなど到底できません。いくら彼女と親しかろうが、所詮まつりは他所様のお子さんでしかなく、親類でもない私がそこまで深く関わることなど不可能なのです。部外者でしかない私は学校の敷地にすら入れないでしょう。そのことはまつり本人も重々承知している様子ですが、しかし思うところがあるようで、実際に一人で入学式を終えた彼女はやりきれない気持ちにとりつかれていました。
親子というほど年齢が離れているわけでもなく、姉妹というほど近くもなく、そもそも親族ですらない私たちは、誰しもが納得できる間柄で説明することができないのでした。彼女は私のことを師匠と呼びますが、それは単なるあだ名でしかなく、実際に彼女が私の弟子となるのはもっと先の未来の話です。私とまつりは何者でもない二人でしかありません。
強いていえば、私たちはお互いによき理解者であることくらいです。ならばこそ、理解者として私はこう言いました。
「入学おめでとう」と。
まつりははにかんでから「はい」と短く返事してくれました。
せっかくの新しい制服が汚れないよう細心の注意を払いながら、私とまつりはいつも通り路上で話し込みました。近くではあるものの電車での通学が初めてでドキドキした話や、中学よりも格段にいい設備の校舎に目を奪われた話とか、同級生が知らない人ばかりで新鮮だった話など、話すことは尽きませんでした。
「入学式が終わって解散になったあと、軽音楽部の部室を尋ねてみました」
部活動の話に私は「軽音部、興味あるの?」と反応しました。「一応音楽やっていますからね」とまつりは答え、高校の軽音楽部の様子について語る彼女からは確かな青春の香りがしました。かつて母親に教育虐待され、父親に見放され、髪を金髪にしてギャルの装いをし、復学したらしたでいじめを受け、仕返しとして教室にペンキを撒き散らした、そんな彼女の過去からは想像するのが難しいくらいの、真っ当な道を歩んでいるように感じられました。
「明日、学校にギター持っていこうかと思います」
続けて「学校にギター持っていくのって初めてです」と、どこか照れくさそうに話していました。
「盗まれないでね」と一応釘を刺しておきました。学校にギブソンなどといった高額な楽器を持っていくのは、それ相応のリスクが発生します。まさか楽器を抱えて授業を受けるわけにもいきませんので、どこかに保管しなければなりませんが、それはつまるところ楽器から目を離すということであります。学校という場所は貴重品管理に神経を尖らせなければなりませんが、財布や鍵やスマホとは違い楽器は身に着けて保管することができないので、盗難にあう可能性は絶大でした。
「大丈夫ですよ。ちゃんと対策は考えてあります」とまつりは得意げな表情をみせて豪語していました。「盗まれても困らないギターを学校に持っていくんです」と続けました。
曰く、最初に弾いていた、リサイクルショップで購入した投げ売り格安楽器であれば、イタズラされたり最悪盗まれたりしても心理的なショックは小さいとのことでした。私がギブソンのハミングバードをあげたことにより、彼女はそれまで弾いていた格安楽器を全く演奏しなくなったとのことで、なくなっても困らないと語っていました。
「それに毎日登下校でギターを抱えるのも面倒なので、そのまま部室にでも置きっぱなしにしようかと思います。弾いていないなら家になくてもいいわけですしね」
「確かに頻繁に楽器を持ち運ぶのも大変だからね」と私は彼女の言い分に納得しました。昔の相棒はサブギターとして割り切った活用をすることにしたそうでした。
「で、学校でライブするときは、ちゃんとハミングバードを持っていきます」と、まつりは考えを語り、私としては「ハードケースの持ち運びは大丈夫?」と心配しました。まつりは小柄な女の子であり、ハードケースのような重たく厚みのあるケースは体格的に持ち運ぶのも苦労するだろうと思ったからです。駅のすぐそばの高層マンションに住んでいるまつりは、ライブを行っている場所が近場であるためかハードケースでも苦にならなかったようですが、電車に乗って移動となると事情が変わってきます。改札を通るのもそうですし、階段の上り下りもあり、さらに通学であれば学生鞄もあり荷物は多く、ハードケースでの移動は現実的とは言えませんでした。
「一日だけなら持って帰ってくるくらい大丈夫ですよ」とまつりは余裕を見せていました。「それにむしろ、ハードケースなら満員電車でもみくちゃにされても中身は平気だと思うし、場合によってはケースに寄りかかったり最悪椅子代わりにしたりにすることも、わたしの体重ならできると思うの。悪いことばかりじゃないよ」と言うものですから、楽器職人として、ケースに座るな、と苦言を呈したかったものの、まつりの体格なら可能かと瞬間的に考えを改めました。女の子ならではのハードケース活用術でした。
「学校でライブする前日か前々日くらいに、ハミングバードを師匠にメンテナンスしてもらってもいいですか?」とまつりは尋ねてくるものですから、「金はとるよ」と言っておきました。楽器職人としてスキルで食べている以上、お金をとらなければなりません。まつりは「バイトしてお金作ります」と苦笑していました。
「メンテナンス代だけじゃないですね。師匠からお借りしたお金をちゃんと返済しなきゃいけないので、真面目にバイトを探さないと」と言うものですから、「何のこと?」と反応するしかありません。
詳しく尋ねると、「はじめての弦交換のときの代金とか、あと髪を黒くしたときの美容室代とか、借りたままですし」と答えました。確かにこちらが支払ったお金でしたが、それはほぼあげるつもりで出したお金でしたので、別に返してもらわなくてもよかったのです。そのことを伝えると、「いえ、お金のことは大事です。ちゃんと返済します」と彼女は強い意志を示したので、大人である私の方が思わず気圧されました。
本当にこの子は、根が真面目で律義で意志が強い。しかしそれ故自分を曲げることができず周囲に合わせることがかなわなく、集団に馴染むことができないのでした。いい子ですけど、いい子過ぎて融通が利かず人間関係がうまく築けないのです。
そのことを理解している私としては「じゃあ特別に利子はなしにしてあげる」と、彼女の意志をたてるように答え、彼女も「ハイッ」と力強く返事をしたのでした。
高校の授業も始まり、部活に入部した彼女は、実に充実した学校生活を送っているようでした。その充実ぶりは彼女を見れば一目瞭然です。私が初めて制服姿を見た日は入学式ということもあってしっかり制服を着こなしていましたが、まずはネクタイを緩めてシャツのボタンを外し、次にスカートの丈を短く調節するといった、制服の着崩しが徐々に見受けられるようになったのです。
その後は、教師から指導が入らない程度に薄くメイクをし、学生鞄の代わりに肩紐が緩いおしゃれなリュックサックにして、愛用のヘッドホンを首にかけるといったアレンジをするようになりました。そしてついには学校指定のブレザーを脱いでカーディガンやパーカーを羽織るようになったのです。カーディガンはまだわかるものの、パーカーに関しては完全に私服であり、最早学生服としての機能はなくなりつつありました。イメージとしては、制服をベースにサブカルチャーファッションを取り入れたかのようでした。
ここまでの変化を、彼女は入学して半月程度の期間で行ったのです。高校生になって羽目を外したいのはよくわかりますけど、それにしてもペースが尋常ではありませんでした。おそらく一般的な学生であれば、もう少し落ち着いて羽目を外すかと思われます。まつりには躊躇というものがないのを改めて思い知らされました。
そういえば、彼女が黒髪に戻す際にお金を出してほしいと頼まれたとき、膝丈スカート姿のまつりは躊躇いなく路上で正座をしました。あの頃から年齢を重ねて成長はしているものの、性格は全く変わっていないようです。あと、まつりは高校生になっても黒髪のままですが、髪色を戻した当時よりも地毛の色が強く出てきたようで、同じ黒色でも毛先と頭頂部では微妙に色が異なるのをこのとき気がつきました。
とにもかくにも、別にまつりの保護者でもなければ教師でもない私としては、彼女の風紀の乱れについてとやかく言うことはありませんでした。精々、女子高生という身分をエンジョイしているな、程度に思うくらいでした。
「ピアスって痛いですか?」とまつりは聞いてきたので、私は「開けたいの?」と聞き返しつつも、「まあ開けてしまったのなら仕方がない」と先走った納得を勝手にし、「まだ開けてないですッ」と彼女はおかしそうに突っ込みを入れていました。加えて「師匠、漫才じゃないんですから」と諫められました。ちなみに私は若い頃耳の軟骨に数個のピアスをしていましたけど、もういい歳なので全て外しました。さすがに三十過ぎてジャラジャラと派手なピアスをつけていられません。そんな私の体験からまつりの質問に答えるとしたら、とくに痛くなかった、と言うしかありませんでした。後日耳にガーゼを当てていて悲しそうな顔をしているまつりを見て、そういえば私は病院で開けてもらったことを遅まきながら思い出しました。
そんな濃密な四月を過ごしていました。まつりの変化もそうですし、私としても毎年恒例の楽器業界特有である春の忙しさに翻弄されていて、まさに目まぐるしい日々を過ごしていました。それでも毎日が楽しかったです。仕事も充実していましたし、なにより彼女とこうして交流をしているのが純粋に面白かったのです。若い子と関わると、その溢れる活力によって刺激を受け、こちらまでも気力が湧いてくるというものです。最早まつりは私の生き甲斐でもありました。三十を過ぎた独身女の生き甲斐がニ十歳も離れた女子高生だというのは、世間的におかしなものでしかありませんが、事実なので認めないわけにはいきませんでした。
そうして私たちは忙しなくも素晴らしい日々を送っていて、ゴールデンウィークが差し迫っていました。時期としては、私とまつりが出会ってちょうど二年が経過した春でした。
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