四章

第27話 復帰(1)




 仕事中や移動の電車の中、はたまた車を運転している際に、まつりに渡す合格祝いについて考えるようになりました。あまり高価なものは、真面目で律義な彼女としては受け取りづらいだろうと容易に想像できます。一方であまり粗末なものを送っても祝いの品にはなりません。かつ私とまつりの間柄にふさわしいものとなると、何を贈るべきなのか迷います。


 考えを巡らしている間に月日は流れました。秋は過ぎ、時期としては十二月に差し掛かる。師走という言葉のように、柏の街にいる人々からはまさに走っているかのような忙しなさを感じ取りました。駅構内を歩いている学生たちも、目前に控えた入試に身構えている様子です。


「師走……か」


 ふと私は柏駅の改札を抜けたときに思いつきました。まつりは私の弟子になりたくて復学したことを。そして彼女は私のことを「師匠」と呼ぶことを。私はまつりにとっての「師」なのです。そこから導き出されたシンプルな合格祝いの品を。


「一本、作るか」


 私は彼女への合格祝いとして、ギターを一本制作することにしました。現役の楽器職人らしい、そしてこれから楽器職人を目指す若者に向けた、相応しい祝いの品だと考えました。翌日から通常業務をこなしつつ、時間を見つけて彼女に贈るオリジナルギターの構想を練ることにしました。


 だが構想を練る段階で気がついたこととして、私が真面目に制作したら高価なものとなってしまう点ということ。楽器の製作修理で生計を立てている職人による、世界にたった一本しかないフルハンドメイドのギターなど、メーカー製品よりも高額な楽器になってしまいます。そのような楽器をプレゼントとして差し出されても、貰う側としては受け取りにくいでしょう。私だってさすがに遠慮するレベルの品です。


 ただ、私としてはそれでも贈る意義はあると感じていました。これはまつりの合格祝いであると同時に、彼女への感謝の気持ちでもあるのです。私にとって彼女は、私を肯定してくれたたった一人の理解者でした。理解してくれたことへの感謝は、たとえ高額なものでも等価にはなりませんけど、しかし値段など関係なく私という人間が職人として入魂した楽器を作ることで、私は彼女に感謝を示したいと、そう思えたのです。


 と、私はふと思いました。こういうことがつまり、まつりが言う「人との関わりに理由を求めてしまうだけ」ということなのでしょう。私はそれまで、たかが彼女にギターを一本贈るのにそれらしい口実を考え続けていたのです。素直にプレゼントすればいいものを、こんなにも回りくどく体裁を整えようとするあたり、私は実に面倒くさい性格をしているのだと、ようやく自覚しました。



 理由や口実はさておき、まつりにオリジナルの楽器を贈ることにした私は、仕事の合間を使って早速作業に取り掛かりました。制作するにあたってふと思い浮かべたのは、以前彼女が気に入っていた百合のギターでした。


 スプルースのボディの下部に百合の花束のシルエットが白色でペイントされ、ネックの指板にもポジションマークとして百合の花のワンポイントが白蝶貝で埋め込まれている、真珠のような純白の輝きを放っているギター。百合の花が好きと言って、いつかこのような楽器を演奏してみたいと話していた彼女だからこそ、祝いの品として贈るにふさわしいものだと強く感じました。


 もう一度百合のギターを制作しよう、と私は考えました。幸いあの楽器は装飾以外これといって特別なことをしていない、ベースとしては一般的なアコースティックギターですし、なにより一度制作しているので勝手は把握しています。時間さえ確保できれば制作は容易でした。


 しかし不幸にも、この冬は仕事の依頼が立て込んでいて、なかなか制作時間の確保が困難を極めました。日が暮れても工房に居残り近所迷惑にならない程度に少しだけ作業を進め、心身に余裕があるときは休日も作業をして、少しずつではありましたが制作にとりかかっていました。



 まつりは受験で、私は制作。そうして年末はまつりの受験を邪魔しないよう、彼女から連絡がこない限りこちらも下手に連絡することなく制作に集中し、入試が本格化する新年を迎えました。年が明けてからもときどきスマホに電話やメッセージがきて、いくつか話を聞いてあげることもしましたが、直接会うことはありませんでした。それでも私とのやり取りが一種の息抜きとして作用しているのか、一回一回の交流は手短なものの、まつりはスマホの向こう側で晴れやかな気分となっているのがこちらにも伝わってきました。


 そうして受験生が積み重ねる日々の不安を一つずつ打ち消していく毎日が続き、ついには高校入試の日を迎えたのです。詳しい日程とか伺っていなかったので、二月のある日の夕方、帰り道の途中にある閉店した百貨店のシャッター前にまつりが待ち伏せていたことに、いきなりすぎて私は素直に驚きました。



「試験、終わりました」



 そう報告する中学校の制服姿のまつりは、少しばかり大人になった印象を抱きました。可愛らしい幼さがあった顔つきも美しく落ち着きのあるものに変化していますし、背も少し伸びたように思えます。子供などしばらく見ないうちに大きく成長するものだと、実体験として身に沁みました。ただ、それでも童顔で低身長であることには変わりなく、私にとってはまだまだ子供でありました。


「去年師匠に会ったっきりずっと会ってなかったから、受験が終わったらいっぱい話したいことがあったのに、こうして会うと話すこと忘れちゃった」


 そう照れ臭そうに微笑むまつりに、私は「ずっと連絡していたからじゃないか」とおどけるように返しました。実際スマホで交流はしていたので、こうして久々に会ったとしても、気分としては久しい感情は湧きませんでした。彼女も「そうかも」と屈託のない笑顔を見せました。


「これからどうするんだい?」という私の問いに、まつりは「リハビリかな」と答えました。「全然ギター弾いてなかったから、ちゃんと練習しないと。指も柔らかくなっちゃってるし、コードとかまともに押さえられないかも」と、自身の指先を撫でて自嘲気味になっていました。入試が終わりあとは合格発表を待つだけとなった身分なので、この期間で楽器の練習を再開して、そして合否が判明してから晴れて路上での活動を始めるとのことでした。合格発表の日を尋ねると、どうやら今週末のようで、意外と早く合否が発表されるものだと感じました。



 一方で、私は彼女への合格祝いの準備がまだ済んでいませんでした。制作自体は未だ木工加工の途中で、ようやくギターとしての形になってきた段階であり、装飾や塗装、楽器としての組み込み調整のことを踏まえるとまだまだ時間はかかります。とても今週末には間に合わなく、私のスケジュール管理の甘さが露呈したかたちになりました。


 そこで私はひとまず別のもので代用し、制作している楽器はまた別の機会に贈ることにしました。合格祝いと理解者としての感謝を分けることにしたのです。合格発表の日に間に合うよう既にある楽器を贈ることにし、仕事場に保管している自分の楽器を漁りました。そこで出てきたのが、ギブソンのハミングバードというアコースティックギターでした。


 世界的な老舗ギターメーカーのギブソン社。そのラインナップにあるハミングバードというモデルは、チェリーカラーのボディと小鳥のペイントが特徴で、新品でも三十万円以上して、中古でもそこまで値が崩れない、むしろビンテージなら価格が高騰するほどの人気のある楽器でした。とても子供が持てるようなものでもない高価な楽器ではあります。ただし私が所有しているハミングバードは少々事情があったのです。

 というのも私はこのギターをジャンク品として入手したのです。楽器の中古市場において稀に発生するのが、通常演奏が不可能なレベルの、あまりにも状態が悪すぎて普通では考えられない値段で買い叩かれるということ。そういった楽器は高額な修理をして正常な状態に戻してから高値で売るか、もしくはジャンク品として格安でそのまま売るかの二択となります。


 馴染みの楽器店でそういったケースが出た際に、私は「安ければそのまま買う」ということを伝えています。修理代が高くなろうが、楽器職人が自分のために作業する分にはタダですので、ジャンク品を引き取って私的に修理してから売りに出すことで粗利を得ることが可能なのです。いわば古本におけるせどりであり、楽器職人であればジャンク品さえ入手できればせどりし放題です。昨今ではオークションサイトやフリーマーケットアプリもあるので、ジャンク品のせどり行為は行いやすいです。このハミングバードも最初は再起不能なほどにダメージがあって、せどり目的として数万円で購入したものでした。そして完璧に修理を施しあとは転売するだけという状態で保管していて忘れ去られていたのでした。


 かつて訳ありでしたが、しかし現在は演奏上全くもって問題はなく、加えてギブソンクラスの楽器であれば贈り物として相応しいように思えました。それに転売目的でたらい回しにされるよりも、ちゃんと演奏してくれる人の手に渡った方が、楽器としても喜ばしいのではとも思えます。私は以前彼女の楽器に施したように、弦高を下げ細い弦を張るといった演奏性重視の調整を、このハミングバードに行い彼女仕様に仕上げました。


 そして運命の合格発表の日。私は楽器職人としての職務をこなしつつも、心は無性に落ち着きませんでした。まつりなら合格できるだろうと確信めいた気持ちがありましたが、妙に浮足立つのです。もしかしたら世の受験生の保護者は皆このような心境なのかもしれないと、親でも親族でもない、世間的に彼女にとって何者でもない私は皮肉気味に感じました。自分がこのように心をざわつかせていることがあまりにも滑稽でした。




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