第26話 受け止めてくれる存在(2)




「ところで師匠。師匠が楽器職人を目指したきっかけは何だったんですか? 話の中ではとくに語られていませんでしたし、なんかいつの間にか楽器職人志望になっていたんですけど」


 まつりがそう尋ねたことにより、そのことについて語っていないことを遅まきながら気がつきました。「それはだね」と言ってから、満を持して答えます。


「昔の映画に、ヴァイオリン職人を目指す男の子が登場するんだ。高校のときにその作品を見て感銘を受けて、目指すようになった」


 堂々と話をすると、それを聞いたまつりは驚愕を隠し切れないといった表情をしました。それはまるで失望して軽蔑しているかのような様子でした。


「そんな理由で……」と絶句しているものですから、私はむきになって「そんなとはなによ」と言い返していました。「いえ、その、だって、もっとちゃんとした動機だと思っていたので……」と、まつりは困惑した様子でした。おそらく彼女の中では、もっと高尚な志望動機と捉えていたようでした。


「え? じゃあ、師匠が読書家なのも……」と続けてまつりは問うてくるので、「その男の子もヒロインも、二人とも読書家だったから」と答え、またしても、より一層、まつりは絶句していました。確かに映画の影響で小説を読むようになりましたが、SF好きという小説の好みまでは影響を受けてはいません。私が手あたり次第に小説を読み漁っているうちに、SFの面白さに気がつくことができたので、SFのことが好きになっただけです。


 まつりは、「えー、でも、なんでギター何ですか? 映画だとヴァイオリンだったはずですけど」と疑問に思ったようなので、私は「ヴァイオリンって難しそうだったから」と答えました。ギターは様々なジャンルで使われているので、仕事としての需要はそっちの方があると思ったからです。そう話すと、まつりは「安直ーッ」と不満を露わにしていました。


「え? ってことは、師匠って元々音楽やってなかったんですか?」と聞かれたので、「そうだよ」と軽い口調で認めました。それまで一般人として適度に音楽を楽しんでいた程度ですが、映画の影響で楽器職人に憧れ、楽器職人を目指すなら楽器に触れなければと思い、ギターを始めたのです。おそらく普通ならば、楽器を演奏していて楽器職人に興味を持つ流れだと思いますが、私の場合は逆の流れでした。実際演奏技術としては、十年以上の経歴はあるものの、その辺の学生の方がうまいと思われます。


「師匠って、本当に不思議ちゃんだったんですね。師匠の高校生のときの同級生が、師匠のこと可愛いって言っていた意味がわかりました」


 それらの話を一通り聞いたまつりは、静かにそう呟いていました。私はそれに「変なことを言わないで」と反射的に否定しました。



「というか、師匠はソシオパスとかじゃなくて、ただの偏屈、ツンデレですよね。ツンデレ不思議ちゃんですから、人間関係がおかしな方向に行っちゃうんだと思いますよ」



 まつりの問題発言に、私は「気持ち悪いことを言うな」と慌てて弁解するしかできませんでした。



 ただ言い返しながら、私自身、吹き出すように笑ってしまいました。そしてそれに釣られるように、まつりも相好を崩して笑いだしました。お互いおかしな会話をしていることに気がついて、相乗効果で増していくかのように、私とまつりは噴水に座り込んだまま爆笑していました。私としてもここまで大笑いをしたのは久しぶりで、まつりもお腹を抱えていて今にも笑い転げてしまいそうでした。


「なんだか、師匠がもっと身近な存在になった気がします」と、まつりは笑い過ぎて目に涙を浮かべながら、そう話していました。


 それは私も同じでした。彼女の人生の話を聞き、私の人生の話を語って、お互いがお互いの深層部分に触れあったことにより、私とまつりとの距離は一気に縮まったような気がします。たとえ歳の差があったとしても、人間関係に恵まれず不器用であるという似た境遇により、心の底から信頼し合える親友になれた気がしました。



 彼女の家庭の事情を聞いたことにより、私はまつりの理解者になろうと意識しました。ですが、逆にまつりが私の理解者となったのです。



「まつり、話を聞いてくれてありがとう」



 私は改めて礼を言うと、まつりは仰天でもしたのか、猫のように大きい目をさらに見開いていました。



「……初めて、師匠に名前で呼んでくれました」


 そう語る彼女でしたが、私としては自覚のないことでした。そのことにまつりは「いつも、君、とかだったので」と言ってくるものだったので、確かにこれまでちゃんと名前で呼んだことがなかったことにようやく気がつきました。


 まつりは、「漢字ではこう書きますよ」と言って、学生鞄から中学校の生徒手帳を取り出して中身を見せてきました。苗字はよくある普通なものでしたが、名前が予想外でした。「まつり」というものですから、漢字で書くとしたら「祭」と書くのが一般的だと思われますが、しかし男の子ならまだしも女の子で漢字一文字の「祭」とは書かないだろうから、ひらがなで「まつり」だと思っていました。ですが実際は漢字二文字で「まつり」と読む名前でした。確かに通常通り「まつり」と読むことができ、決してキラキラネームの類ではないですが、しかし一般的ではない珍しい名前でした。そんな感想を伝えると、「これ、花の名前ですよ」と呆気にとられながら言った。続けて「知らなかったんですね」とにやけた表情で言うものだから、私は少しムッとなりました。



「師匠。今日はありがとうございます。いい息抜きになりました。受験勉強頑張りますね。お菓子もごちそうさまでした」


 まつりは立ち上がりました。晴れ晴れとした笑みを浮かべており、話し込む前に百貨店で買ってきたお菓子の梱包を綺麗に畳んで胸の前で抱えていました。気がつけば、お菓子は全てなくなっていて、どうやら話を聞きながら全部平らげてしまったようです。その様子からは、ここに来る前までに浮かべていた暗い表情など微塵も残っていませんでした。


 彼女は「また会ってくれますか?」と不安気に聞いてくるものですから、私としては「構わない。いつでもいいさ」と調子のいい返事をしました。



「あの、師匠。最後に、ちゃんと連絡先を交換しませんか?」



 まつりからそう言われて、私はようやく気がつきました。そういえば彼女とはSNSで相互フォローしているだけで、連絡手段としてはダイレクトメッセージしかありません。別に断る理由もなかったので、私は快く連絡先を教えました。「会えないときは電話してもいいですか?」と遠慮がちに、そしてはにかみながら尋ねるものですから、「いいけど、常識的な時間にしてよ」と一応の釘を刺しておきました。律義な彼女ならそういう心配はいらないだろうが、素直になれない私としての好意的な返事のつもりでした。


 ふと、このとき私はあることを思いつきました。つらい受験勉強に耐えているのだから、何かご褒美とかあった方がいいのではないか、と。彼女の父親の性格を考えれば受験が終わっても労いの言葉すらかけてやらないと容易に想像できてしまうので、ここは明確な目標があった方が頑張りの糧になるのではと思いました。


 そこで私は去り際に「受験が終わったらいいものを合格祝いとしてあげるよ」と言い残しました。問題なのは、合格祝いとしてどういったものをあげるのか全く考えていなかったことですが、しかし受験が終わるまで半年程度の時間があったので、考える時間は充分にあると思いそこまで深く考えませんでした。我ながら無計画で見切り発車なことを言ったものです。




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