第23話 自分という人間(2)




 無難である一方楽しくもなんともなかった高校生活が過ぎ、楽器職人としての道を進むと決めた私は、進路を専門学校としました。国内の大学で楽器技術を扱う学科が存在していなかったので、学びたいことのない大学に通うよりは学ぶ環境がある専門学校に通うべきだと考えたのです。


 専門学校は、入るのも卒業するのも簡単です。問題は学んだことをいかに活かせるか、といった部分になります。技術の世界となるので卒業後は総じて実力主義の環境で生きていかなければならないため、在学中にどれだけ吸収することができるかによって、業界入りしたあとの活躍に差が出るのです。そういったことを、私は専門学校に入学する前に覚悟していました。


 楽器系の学科は実に個性的です。音楽というパフォーマンスを行いつつも妙に創作意欲だけはありますから、雰囲気としてはバンドマンと芸大生、もしくは高専生を足して二で割ったかのような人たちの集まりです。それぞれの独特な感性が入り混じる環境ですので、そこにはこれまでの学校にはない刺激に溢れていました。


 またギター専攻の楽器系学科の男女比は女子が一割いれば多い方らしく、私が入学したときも周りは男子ばかりでした。その環境はある意味居心地がよかったです。小中学校で女子社会に適応できなかった私としては、バカで扱いやすいうえに割り切って接することができる男子は、ちょうどいい手下として有益でしたので。


 しかし前述したように、専門学校は入るのも卒業するのも簡単です。そのため専門分野を学びに来ているはずなのに意識が低すぎる輩が一定数いるのも事実です。バカ騒ぎする分には楽しいので構いませんが、しかしあまり深く関わり過ぎると自分も呑まれてしまいます。ほどほどに付き合いつつも学校でのカリキュラムをこなしつつ、時間の許す限り個人での探求を深めていきます。その結果あってかそれとも周りのレベルが低すぎるせいか、私は常に成績トップであり、その成績を維持したまま卒業しました。専門学校とは通う目的さえ見失わなければ実に有益な環境です。



 好成績であったために就職活動で苦労することはありませんでした。企業側としても優秀な人材を確保したいでしょうし、学校側も優等生を輩出すれば学校の評価も変わります。むしろ私の方がより取り見取りの選びたい放題の就職活動でしたので、実にあっけなく大手の内定をもらいました。


 その会社は業界内では世界的に有名であり、国内アーティストにとどまらず海外のアーティストもこぞって使用するほどに品質の優れた楽器メーカーでした。自社で工場工房を構えている一方専門店として店舗運営もしており、また教育事業にも積極的な一面もあります。私が卒業した専門学校も母体がこの企業であり、事実上の引き抜きでもありました。私はある意味では、楽器業界においての出世街道を進んでいるようでした。



 当然製造を担う部門に配属された私ですが、しかし学校を卒業したての新卒はまだまだ半人前でしかなく、業界最前線で活躍してきた先達とは比べ物になりません。日々勉強として忙しない毎日を過ごしつつも充実した社会人生活を送っていました。


 しかし一点不満があったとしたら、職場の人間関係が良好ではなかったところでしょうか。職人の世界によくあるような、新参者いびりというものです。手柄を横取りされ責任を押し付けられの理不尽な扱いなど。とりわけ女である私はセクハラ紛いのイタズラもありました。一方でそれら理不尽を我慢できてしまうほど得るものが大きかったため、技術の世界とはそういうものだという認識のまま月日は流れました。そこには、男社会の現場において女であることを武器にしたくなく純粋に能力で勝負したい、といった意地があったような気がします。



 時が経てば、私にだって後輩ができます。新人がきたり他所から異動してきたりして、相対的に私の立場は上がり、いびりの対象は移っていきました。そのことに私は、ようやく苦労から解放され気が楽になる、と素直に喜んでいました。


 ただ自分がされて嫌だったことを他者にするほど私は人として落ちぶれていません。というより、他者をいじめるほど自分以外の人間に興味がないのです。職場のいじめを見て見ぬふりをして、私は私で自分の仕事に没頭しました。しかしそれがまた、相手に付け入る隙を与えることとなります。先輩方からではなく、後輩からです。


 理不尽に苦しんでいる新参者の後輩は、職場において唯一中立の立場にいる私を頼るようになったのです。おそらく私が職場においての紅一点だから、怖がられることなく救いを求めやすかったのかもしれません。私とて後輩から相談されれば親身に話を聞きます。一通り話をさせてから、私が新人の頃に編み出したこの職場限定の処世術を教えてやり、ある程度割り切って受け流すようアドバイスしました。以降新入社員や人事異動で新しく人が配属される度に、先輩たちにいびられたのち、中立を保っている私のところに助けを求めるのでした。



 今までずっと疑問でしかなかったのですが、社会人が新入りを冷遇する必要性はどこにあるのか、ということ。新入りが仕事をこなせないのは当たり前で、経験を積ませて早く一人前にすれば戦力として役に立ち結果として生産性は向上するというもの。見て覚えろ、とか、自分で考えろ、などといったものは先達としての育成放棄の思考停止でしかありません。ましてはせっかくの貴重な人材をいじめてすり潰すなど、企業側としても不利益なものでしかないはずです。


 しかしその疑問の答えは、奇しくも一介の女子中学生であるまつりが示してくれました。まつりが見出した「いじめは人間に残った不要な本能の成れの果て」という見解こそが、すべてを物語っていたのです。集団になれば誰かを攻撃せずにはいられない。いじめは子供だけではなく大人の世界にもあります。先輩たちは社会人である以前に、どうしようもなくただの動物でしかなかったのです。ただそれだけ。本人たちもなぜ新人をいじめているのか本質を理解していないのでしょう。なにせ遺伝によって執拗に受け継がれてきた、抗いようもない本能なのですから。このことにもっと早く気がつきたかったです。



 とにもかくにも、人間の本能によるいびりを受けている新入りに同様にアドバイスしていった結果、私は私を慕う後輩たちに囲まれるようになったのです。そしてそれは月日が流れ職場内での人事が変わる度に増えていきます。最初は数人だけの被害者の会でしかなかった集まりは、人数が増えることにより次第に勢力を拡大していき、いつしか私が所属する職場を飛び越えて他所の似た境遇の人たちをも巻き込んで、社内で存在感を示し始めたのです。


 より具体的には、徒党を組んでベテランの先輩たちに盾突くようになったのです。そしてトラブルが泥沼化していくと後輩たちは慕っている私を呼びつけるものですから、一見すると新参者の徒党の代表者として捉えられてしまうのです。いつしか後輩から「姐御」や「姐さん」と呼ばれるようになっていました。そうして私は、私のことを心酔する後輩たちによって祭り上げられ、悪化する人間関係の渦中に引きずり出されたのです。



 そしていつの間にか、先輩たちによる古参勢と、私を中心に据えて勝手に結束した新参勢という、二つの派閥が誕生して真っ二つに割れてしまったのでした。



 かつて子供の頃にステータスのためとして交友関係を築こうとし、うまくいかずに挫折した私は、何の因果か大人になってそれを実現させてしまったのです。それも職場の派閥のトップという、全くもって望んでいなかったステータスを得たかたちで。


 ただそれも悪い気分ではありませんでした。お山の大将だとしても、多くの若い子が自分を慕って集まってくれることに高揚感を覚えたのは事実でした。自分にとって都合のいい、利用価値のある人間という存在は、自己中心的な私にとってとても魅力的に映りました。そして思ったのです。自分にとって都合のいい環境をこのまま拡大できないかと。つまりはこのままベテランの古参勢を追いやり飲み込んで、ここを実質的に牛耳るということです。


 これまでの理不尽による鬱憤を晴らすかの如くいきり立つ後輩たちを、私は鎮めるどころか逆に焚きつけました。それにより後輩たちの不満の炎はどこまでも延焼していきます。そして古参勢と対立を深めれば深めるほど集団として統率はとれなくなっていき、結果として業務に支障をきたす事態にまで発展していきました。こうなれば否応なくとも新参勢の意見を無視できなくなります。



 そんなあるとき、私に人事異動が命じられました。時期を外した不可解な異動でしたが、その真意は容易に察することは可能でした。表面上は取り繕っていた異動は、事実上の左遷。分裂している要因、新参勢の中心人物を排除することで、派閥の求心力を奪い集団を解体させようといった狙いがあったわけです。傍から見れば、私が唆して業務妨害しているようにしか捉えられない状況でしたので、冷静に考えれば妥当な左遷でした。つまり私はやり過ぎてしまったのです。調子に乗り過ぎてしまったのです。会社の人事を動かさなければならないほど、派閥争いは企業にとって看過できない程度にまでなっていたということです。


 ただそれまでの仕事の成果は評価されており、重要な案件を任せてもらえるような立場にありました。曲がりなりにも若手のホープとして才能は認められていたものですから、会社としても私という人材を無下に扱うことはしませんでした。情状酌量とでもいうのか、余計な混乱を生まないため表向きの体裁は整えたのか、このときの人事異動はそこまで悪いものでもなかったのです。


 私は、それまで私を慕ってくれた後輩たちを、何の躊躇もなく切り捨てました。渦中からいなくなるのですから、派閥争いなど何のメリットも生じないからです。自己中心的な私としては、利用価値のなくなった人間に興味を示すことはありません。残された後輩たちがその後どのような扱いをされるのか知ったことではありません。唯一価値があったとすれば、後輩たちとの関係を切ることで禊としての姿勢を会社側に示すことくらいであり、すべては私個人の都合でしかなかったのです。




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