第24話 自分という人間(3)




 その後配属されたのは販売でした。楽器メーカーが自ら経営している都内の店舗で、一般的な楽器店ではあるものの主力商材はほぼ全て自社製品なものですから、最早ショールームと言っても差し支えはないでしょう。以前に自分が製作した楽器も商品として展示されていました。


 店舗に配属されたということは販売員として楽器を売れということですが、しかし楽器店は楽器を売るだけの場所ではありません。とくに楽器にトラブルが生じた際の修理窓口としても機能しています。受け付けた修理品を店舗に併設されている工房で直しますので、販売店であっても技術者は求められるわけです。いわば医療研究者が街のお医者さんになったかのよう。配属先で私に期待されていたのはそういった役割でした。


 修理に関しては在学中、需要のある修理は実習し症例の少ないものは資料を用いて講義を受けていましたので、全くの門外漢というわけではありません。それに製造の技術者として従事しており、製造の観点から修理に応用転用できる部分もありますので、仕事内容は変わったとしても苦労はありませんでした。販売だって楽器の専門家としての知識量は他の販売員よりも優れているわけですから、活用の機会はあります。すぐに店舗での仕事を自分のものにしました。


 店舗なので当然人の流れは激しい。お客さんが来店するのは当たり前として、楽器業界の営業マンも出入りします。製造を携わる技術の部門は性質として閉鎖的となってしまいがちですが、ここでは接客と営業の対応といった人との関わりに満ちており、私も常連のお客さんや社外の人間と親しくなる機会に恵まれたのでした。そうして私は修理職人としての技術の仕事を請け負いつつ、販売の経験も積み人脈さえも築いていったのです。そうして評判を獲得し店舗内でも信頼を得て影響力を増していきました。


 その影響力を使って、自分にとってプラスに作用するよう店舗運営についても意見を出していきました。それは無自覚だったのか、はたまた性格上そういった思考しかできなかったのか、私はまたしても自分のためにしかならない身勝手な行動をとってしまうのです。周囲の人から認められる度に、それを悪用することしか考えられないのでした。この店舗運営についての口出しも、かつての派閥争いと似た混乱を引き起こすものでしかないのに。



 店舗での仕事は数年間でした。またしても人事異動を命じられたのですが、配属先はまさかの営業部。営業部となればさすがに直接楽器と関わる機会が減りますので、ここまでくると私みたいな技術者としてのキャリアを積んでいる人間にとって専門外の領域となっていきます。普通に考えればあり得ないような人事に、疑問を抱かざるを得ませんでした。


 直感として、会社は私を排除しようとしているのではと思いました。販売に移動になった際はまだ私を理解してくれる人が人事にいたのかもしれませんが、ここ数年のうちに体制が変化したのかもしれません。かつてよからぬことを企んでいた私ですから、社内の癌として警戒されていたのでしょう。影響力を増していた販売において、同様の反抗的な行動を起こす兆候が見えた途端に対処するといった意味合いがあったと思われます。どのみち、一度反乱分子として対処された人間が、社内で安泰を得ることなどあり得ないのです。もうホープとしての待遇などなく、会社は私という人材に利用価値を見出していないのでした。このときの人事異動は、正真正銘の左遷でした。



 こうして、自業自得ではあるものの、自己中心的な私が人と組織に関わると碌なことにならないというのを、身をもって知ることとなった私は、会社と私自身に見切りをつけ退職しました。二十代も半ばを過ぎていて、三十歳という年齢が実感として視界に入りつつあった歳でした。



 退職するにあたってこれまでお世話になった方たちにその旨を伝えると、とある他社のメーカー営業マンが「ウチでやらないか?」と声をかけてきました。ありていに言えばヘッドハンティングでした。この営業は人事に口出しできるほどの発言力があるのかと不思議に思いましたが、そういったことを抜きにしても、私はその話を丁重に断りました。自称ソシオパスとして、もう他者に関わるのは勘弁してほしかったのです。しばらくは落ち着いた静かな暮らしをしようと思っていました。


 これからは個人で仕事をしていきます、と、私はその営業マンに話しました。このときは単純に断る口実としての口から出まかせでしかありませんでしたが、しかし「では、外注業者として取引させてください」と予想外の食いつきを見せたのでした。他にも、技術者を欲しているところを紹介します、と。なぜそこまでしてくれるのかを尋ねたところ、あなたは飼い殺しされるべきではない、とか、このまま朽ちていい才能ではない、などと褒めちぎるものですから、私としては純粋に照れくさかったです。こうして起業前から大口の取引先を獲得することとなり、私の退職は独立という別の意味合いを持ち始めました。


 また、店舗での接客で親しくなった常連さんに退職することを伝え、個人で仕事をすることを気さくに話したところ、コレクターとして所有している多くの楽器の面倒を定期的に見てほしいと、話を持ちかけてくれました。加えて、楽器マニアたちが交流する独自のコミュニティーがあるらしく、私のことを紹介してくれるとのことでした。ここでもまた、私は開業後の仕事を確保することとなりました。


 懸念すべきは開業資金のことでしたが、その問題は大したことではありませんでした。店舗経営でもないので、単純な作業場としての場所さえ確保できればそれでよかったのです。道具の類も個人として所有しているものをそのまま使えばいいので、足りない道具や大型の電動工具を揃えればそれで済む話でした。丼勘定で百万円にも満たない開業費だったので、充分自己資金で賄える金額であり、むしろ開業して仕事がなくても数年間は不自由なく暮らせるだけの貯金が残るほどでした。ここまで開業のリスクがないのなら、やらない手はありません。


 実際に退職したのち準備期間を経て、個人の技術者、フリーランスの楽器職人として仕事を始めました。当初の話通り、例の営業マンは自社の案件を私のところに流してくれました。そのほとんどは社内にて処理に困っていた難しい案件でしたが、その分高い見積りを出すことができましたので、私としても喜ばしいことでした。相手は厄介事を解決でき、こちらは高額な請求書を送りつけることができますので、ある意味ウィンウィンな関係と言えるでしょう。以降、私は厄介案件専門の外注業者として重宝されることとなり、取引先として信頼を得ました。


 さらには中古買い取りをしている大手楽器店の営業を紹介してくれました。最初はまだ実績のない個人事業者である私のことを信用していないようで、半ば例の営業マンの顔を立てる名目で楽器修理の取引が始まりました。ですが私の技術力による質の高い修理と、個人だからこそ可能になる柔軟で良心的な価格により、即座に信用を築け、安定的に依頼が来るような大口取引先へと発展してきました。春に目まぐるしいほど大量の修理を依頼してくるのもこの楽器店です。


 店舗勤務時代の常連さんだった楽器コレクターも、定期的に楽器の調整を依頼してくれ、さらにそのコレクターを通して別の楽器マニアからも依頼を受けることもありました。また楽器のコレクターであることもあり、私の作る楽器に強い興味を示してくれ、琴線に触れたオリジナル楽器を購入してくれることもあります。去年のスチームパンク風テレキャスターを購入していったのも、店舗勤務時代に知り合ったこのコレクターでした。



 こうして、開業当初は不慣れなこともあり手探りな状態でしたが、しかしものの数か月で軌道に乗せることができ、今日こんにちに至るまで途切れることなく個人での仕事を続けてきました。そこにはかつてのような身勝手な思惑で人や組織をかき乱すことはなく、全てが小規模な利害関係で成り立つ、誰も傷つけることのない平穏な生活を手に入れることができたのです。自称ソシオパスとしてこれほどまでに過ごしやすい環境はないと考えています。



 ことここに至って思い出したのは、高校時代のことでした。ステータスとして誇示するための人間関係を築こうとした小中学生の頃とは異なり、また身勝手な利得を追求した大人のときとは違う、積極的に人と関わりを持たなかったあの頃。あの高校時代だけが、私の人生の中で最も心安らげる平和な時期であったことを。



 共感という人であれば誰しもが持ち合わせている感情を欠損して生まれた私は、人と関わってはいけない人種ということを、ようやく自覚したのです。



 個人工房としてちょうどいい物件が柏にあったという理由だけで柏に住み、店舗勤務時代に築いた人脈を使って一人孤独に仕事をこなす毎日。そうして幼少の頃から続いているソシオパスとしての自分と折り合いをつけながら生活を続け、現在の私に至るのでした。



 人は人との繋がりを大事にします。それは多くの人はそうでしょう。しかし私のようなソシオパスとしての素質を持つ人間は、深く人と繋がると生きていけなくなるのです。周りを破壊しつくして居場所がなくなってしまうのです。孤独は私という存在を解き放たないための檻であり、私にとっても特効薬として機能するものでした。孤独になるということは、自由を得ると同義なのです。



 これが、私という人間なのです。




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