第19話 自称悪い子の逆襲(2)




 まつりは話を続けます。聞くところによると、まつりに殴られ昏倒したA子は担がれて保健室に運ばれ、殴ったまつり自身は教師に取り押さえられて職員室に逆戻りされました。再び職員室にて教師陣に取り囲まれて説教を受ける。いじめによって情状酌量の余地はあるかもしれないがあの仕返しはやり過ぎだ、とか、叩かれたからといって殴り返したのはまずい、などといったことを延々と責められたという。基本的に根はいい子のまつりは、自身の目的も達成したことでこれ以上虚勢を張る必要もなくなったこともあり、終始従順に謝り続けたという。それでも結局、その日は丸一日説教されて終わったという。ちなみにクラスメイト達は、空き教室にてそのまま授業を再開したらしいです。


 その日の深夜、まつりは自宅の自室に籠っていたところ、例の父親が尋ねてきたそうです。扉をノックするだけで開けることなく、扉越しに「迷惑をかけるな」と一言咎める程度で、それで保護者としての責務は果たしたと言わんばかりの冷たい態度に、一日説教され憔悴していたまつりは、さすがにこたえたという。


 翌日、、仕返しとしてはやり切ったものの、その後の叱責により精神的に疲弊していたまつりは、重い腰を上げながら支度をし、大幅に遅刻して登校したそうです。ペンキ塗れの教室は昨日今日でどうにかなるものではなく、復旧には業者を呼ばなければならないようで、しばらくは空き教室を使って授業を始めるらしく、まつりも遅れて新しい教室に入りました。


 ちょうど休み時間だった教室に入った途端、クラスの空気がそれまでのものとは違うことに、さすがのまつりも気がつきました。教室内を一瞥すると、すぐに目についたのが、かつてカースト上位グループの中心人物で、一変して全員から諸悪の根源とされたA子でした。


 彼女の机にはまつりの机にもされたような落書きがされ、A子自身もバケツの水を被ったかのようにびしょ濡れ状態でした。派手で所謂イケてる子に分類されたA子は、惨めにも落書きされた席にて、髪の毛先から雫を滴らせて項垂れていたそうです。


 教室内の所々から囁くような小さな笑い声が聞こえたという。それはまつりのいじめに加担しておきながら生け贄としてA子を名指ししていた、彼女のかつての取り巻きをはじめとするカースト上位メンバーでした。察するに、いじめの主犯として彼女の地位が転落したことをいいことに、いじめの標的をまつりからA子に切り替えたようでした。


 しかし、そもそもいじめの発端はまつりが誘いを拒否したことにあり、本質としてはまつりとA子の問題でしかなく、取り巻きたちや他のクラスメイトは、影響力のあるA子に便乗していたに過ぎません。それなのに、まつりとA子との問題が解決した途端、いじめというかたちを残して標的だけを変えるこの状況は、いびつ以外の何ものでもありません。クラスメイト達は、当初の発端や目的を忘れて、いじめという行為そのものに夢中となってしまっていたのです。手段と目的が綺麗に入れ替わっている状況でした。


 この状況は言わば、まつりが見出した「いじめは人間に残った不要な本能の成れの果て」という意見を如実に表していました。事態は解決し、もう誰かを攻撃する必要は全くないのに、いじめという攻撃衝動だけが残っている様は、まさに動物的な本能としか説明しようがありません。


 そのことに一番嫌悪感を抱いたのが、まつりでした。このままだとまつりの起こした勇気ある行動は、クラスメイト達の本能を刺激しただけでしかありません。自分の問題を出しにして本能としての欲求を満たされることなど、考えるだけで反吐が出るでしょう。


 まつりは休み時間の教室を闊歩し、A子の席に近づきました。コソコソと笑っていたクラスメイト達は、まつりの存在を認識するやいなや、露骨に怯え始めたそうです。まつりはそれをよそに、自分の新しい学生鞄の中から取り出し、A子の落書きされた机の上に置きました。それは、黒いペンキが乾いて固まった刷毛でした。昨日まつりが仕返しした際の道具であり、彼女の黒い意志を示すための手段。


「使う?」と、まつりはA子に向かって、屈託のない調子で声をかけました。想像するに、女の子らしい、精霊のような神秘的で澄んだ声でありながら、その声には悪魔のような邪気が含まれていたように思えました。


「これはわたしとあなたの問題であって、他の人が便乗してアレコレやるのはおかしいよね。わたしみたいにやり返すなら今のうちだよ。なんならまたペンキ買ってこようか?」と、まつりは面白おかしく語りかける。おそらくこの声も、邪悪で美しいものだったでしょう。その声は休み時間の教室に抜けていき、クラスメイトの耳に届いて全員戦慄した様子だったという。まつりはそのことを、「とってもおかしくて高笑いしそうになっちゃった」と可憐な笑みをもって語っていました。


 そうしてA子が置かれた刷毛を手に取ったことにより、クラスメイトの戦慄が最高潮となったまさにその瞬間チャイムが鳴り、休み時間は終わって授業となった。授業をするため教室に現れた教科担当の教師は、A子の机の落書きや、まつりの存在、はたまたペンキが固まった刷毛のことなど視界に入っていないかの如く、何事もなく授業を始めたという。


 午後の授業は体育で、何かのいたずらか二人一組で運動するよう言い渡された。当然畏怖の対象であるまつりは誰からもペアになってもらえず、カースト最下位に転落したA子も同じく一人佇んでいた。そこに至ってから、体育教師の嫌がらせなのではと思えてならなかったそうですが、結局まつりはA子とペアを組み、まるで見世物のような体育の授業は周囲から奇異の目を向けられながら進んだそうです。


 放課後、まつりはペンキ塗れにした教室に向かいました。罰を受けたわけではなく、責任をとるつもりでもないそうですが、一応のけじめを自分なりにつけたかったようで、デッキブラシとバケツを片手に教室を磨き始めたそうです。


 そうしていると、ペンキ教室に誰かが入ってきました。まつりは顔をあげて見やると、そこにはA子がいました。「今日は、ありがとう」としおらしく礼を言ってくるものでしたので、まつりは「何のこと?」とぶっきらぼうにとぼけたそうです。「なにしてるの?」というA子の問いに、まつりは「自分なりのけじめ」と答えると、A子は徐に教室の清掃ロッカーからデッキブラシを取り出して教室を磨き始めたようです。今度はまつりの方が「なにしてるの?」と問いかけると、教室を磨きながら「けじめの原因を作ったけじめ」とA子は答えたそうです。


 結局二人で無言のままデッキブラシを動かし、けれど乾いて固まったペンキがその程度で落ちるわけもなく、一時間の奮闘の末けじめを果たすのを断念したらしいです。その日はまさかのまつりとA子が揃って下校したという。しかし二人の間には会話など一切なく、終始無言の下校となったそうです。まつりが家に到着する頃には、柏の街は夜となっており繁華街の街灯が眩しかったようです。


 翌日、まつりは遅刻せず登校すると、A子は既に登校して自分の席に座っていました。孤独であることを除けば、その日もイケてる子としての雰囲気を醸し出していたそうです。落書きされた机は、別の空き教室から使っていない机を拝借してきたのか、埃っぽくはあるものの落書きなどない綺麗な状態になっていました。


 結果として、まつりはクラスメイトから、下手に刺激するといつ暴発するかわからない爆弾のような扱いをされ、スクールカーストということであれば最上位に君臨することとなったのでした。それは地位が高いというよりは、最重要警戒対象として恐れられているということです。しかし不良が暴力によって集団を従わせるということも往々にしてあることですので、私としては彼女の立場について妙な説得力があるような気がしました。金髪ギャルの格好で登校した過去を持ち、果てには教室をペンキで塗りつぶすなど、不良以外の何ものでもないわけですから。


 そしていじめの主犯とされ、クラスから新たないじめの標的へと転落したA子は、どういうわけかまつりの舎弟という立ち位置になり、スクールカーストとしてはまつりの下のナンバーツーになったそうです。A子のいじめをまつりが庇ったことがその地位の理由となったようであり、クラスメイトからは、A子に関わると不良のまつりが暴れる、という解釈をされたそうです。しかし実態としては、授業で二人一組を組まなければならなくなったときの即席パートナーでしかなく、まつりとA子の間に会話など発生することはなかったそうです。A子も再び上位の存在となったわけですが、徒党を組む相手がいないため、ある意味では無害な存在に落ち着いたようです。


 それが、その日一日で気がついたクラスの変化だそうです。奇しくもまつりがいじめの仕返しをしたことにより、クラスの人間関係、スクールカーストは大きく変動したわけでした。



「こりゃ傑作だ」


 まつりから事の顛末を聞き終えた私は、たまらず爆笑してしまいました。


「師匠酷いです。人がどれだけ神経を擦り減らしたかわからないんですか」


 腹を抱えて笑い続ける私に、まつりは憤慨して諫めてきますが、いやはや、これが笑わずにはいられません。仕返しの標的を絞り切れないから全員を対象にする、というぶっ飛んだ思考が、おかしくてたまりません。そして何がどうなっていじめの仕返しによって、いじめられっ子といじめっ子がこのようなかたちで和解するのでしょうか。この結果は、私の想定していた結果の斜め上を飛び越える奇妙なものでした。


 正直に言えば、まつりがどうなろうか興味はありませんでした。まつり本人も指摘していたように、私は他人に興味がないきらいがあります。しかし身勝手な私は、自分が楽しめるものに関しては強い興味を抱く性格をしています。まつりとこれまで一緒にいたのも、彼女との関わりに私は純粋な楽しさを見出していたことによります。



 言い方は最悪かもしれませんが、人付き合いとはエンターテインメントであります。


 そういう意味であれば、独身の私にとって、やんちゃでいい子の女子中学生であるまつりは、最高のエンターテイナーでありました。



 そして今回、今まで以上の楽しさを提供してくれました。それについて、最高の称賛を送らなければなりません。


「君は最高にパンクだよ。気に入った。今日は好きなものをご馳走してあげる。なんでも好きなものを言って。奢るよ。金ならいくらでも出すぞ」


 柏の路上で、三十代独身女の私は、年甲斐もなくはしゃいでいました。まつりは豹変した人を見る奇異な目を向けて引いていましたが、私は構いませんでした。まるでいい酒を飲んで気分が高揚としたかのようで、素面でここまでハイテンションになるのも珍しく、もう些細なことなどどうでもいい気持ちでした。


「ほらほら、何が食べたい。人の金で食う飯はうまいぞ。景気よくいこう」


 まつりは最早呆れた様子でした。


「よくもここまで陽気になれますね。師匠が羨ましいです」


「バカ言え。君はいじめの仕返しをすることで、淘汰される存在ではないことを証明した。喜ばしいことではないか」


「それについては、確かにわたしもスッキリしましたけど、そのあといろんな大人からこっ酷く怒られたんですよ」


「当然だね。ここまで頭がいかれたパンクな仕返しもないでしょうよ。怒られても当然」


 もしかしたら、この日まつりが現れたときに浮かべていた、達成感とやりきれなさが混ざった独特な様子は、仕返しがうまくいったことによる高揚と、その後教師を始めとする大人たちに責められた消沈が中和された結果だったのかもしれません。


 であるなら、彼女の理解者のつもりでいる私としては、取るべき行動は間違っていないようでした。


「一人くらい盛大に褒めてやる大人がいたっていいじゃないか。君はそれほどまでに価値のある行動をしたんだ。君も言っていただろ、わたしがわたしであるために、って」


 私がその言葉を口にした瞬間、まつりは瞠目しました。そしてしばらく固まったのち、徐に口を開きました。


「そうですね。わたし、ちゃんとわたしがわたしだってこと、示せたかな?」


「ええ」と私は肯定し、小説の一節を引用した。人の身体は個人のものではなく社会的リソースとして公共性のあるものとなった近未来において、この身体は自分自身のもの、と訴えるために、その身体を自ら殺めた少女たちの物語。私は引用してから「君は確かな一撃を与えて意志を示したよ」と告げた。


「それ、あの小説の一節ですね」と、まつりは引用に気がついてくれたようでした。伊達にバイブルとして読み込んでいるわけではないようです。


「師匠、ありがとう。こうして元気づけてくれたの、師匠だけだよ。やっぱ師匠は、まともな大人じゃないね」


 まつりは破顔して笑みを浮かべ、少し躊躇いがちに「じゃあわたし、焼肉食べたい」と申し出ました。私はすぐさま「わかった、店で一番高い肉食わせてやる」と宣言してから、自分のスマホを取り出し、店を検索し始めました。


 こうして独身の私は、女子中学生のまつりを連れて夜の柏の繁華街に向かいました。焼肉店に向かう途中、私はふと、パンクなかたちで問題を解決したまつりにパンクバンドのCDでも買え与えようと考えました。しかし私にはパンクロックというジャンルの造詣がなかったものですから、ここはひとまず王道として有名邦楽バンドのアルバムにでもしようと思い、CDを探すことにしたのでした。




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