第13話 復学




 まつりと弟子入りの件について話をした翌日、私は普段通り仕事を終え柏駅で降車し、夕日が差し込む駅前を歩いて家路についていました。六月もこの時期になれば夏に向け日に日に暑さが増しており、日中のむせ返るような熱気の残滓に辟易としていた。


 平日のためか駅前で路上ライブをしているアーティストは見かけない。まつりと会っている閉店した百貨店のシャッター前でも雑音という名の音楽は聞こえないが、しかし彼女のライブは別に毎日やっているわけではないので、特段珍しいことでもなかったです。


 珍しいという話であれば、シャッター前にまつりの姿はありませんでした。このところなんだかんだと毎日ここで彼女と会っていたので、いないとなればそれはそれで寂しさのようなものが芽生えます。


「あの」


 私が例のシャッター前を通り過ぎようとしたまさにその瞬間、まつりの声が聞こえてきたような気がしました。しかし現に話しかけてきた相手は、制服を着た見知らぬ女子中学生だったのです。濃い色合いの膝丈スカートに同色のベストを開襟シャツの上から着る夏服で、ベストのスタイルが独特なのか一見するとジャンパースカート風の学生服に見えなくもなかった。真面目さが伝わる飾り気のない紺のソックスや、丁寧に整えられたミディアムボブの黒髪などから、目の前の少女が絵に描いたような優等生に見えます。その幼さの残る顔貌には大きくややつり上がった、まるで猫を彷彿とさせる凛とした目があって、それがとても印象的でありました。


 と、ここまでまじまじと少女に注目してから、私はようやく目の前の人物が誰なのかわかったのです。



 まつりでした。



「…………」


 私はなんとか反応しようとしましたが、どう反応すればいいのか瞬間的にわからなくなってしまったので、衝撃によって固まるしかありませんでした。当然、目の前にいるまつりは、私の硬直時間が長引けば長引くほど不機嫌な表情をしていきます。


「……割と本気で、誰だかわからなかった」と絞り出すかのように、私はようやく反応することができました。対してまつりは、目を細め粘り気のある視線を投げかけながら「師匠って、他人に興味がないところありますよね」と呆れていた。私としては事実だと自覚していることなので、弁解のしようがなかったです。


 思えば、最初にまつりに声をかけたのも、不快な演奏をなんとかしてもらいたいという身勝手なものでした。その後はなあなあに言葉を交わすようになるも、私自身その関係を楽しんでいた節があります。相手に興味があるというより、自分が楽しんでいるから付き合う、という自分本位な関わり。それは確かに、まつりの言う通り、私は他者に興味がないと言えよう。


 同時に他者に興味がないからこそ、たとえ彼女の不憫過ぎる身の上話や、彼女の将来の話などの真面目な話を聞いた際に、親身になって相談に乗らず一歩引いて突き放したような態度をとっていたのです。それは、ひとえにそういった私の性格が反映された結果でもありました。



 人は一人で勝手に生きていくものです。途中他者と近い位相で共鳴し合うこともあるでしょうが、それは所詮一過性なものに過ぎないのです。


 私と彼女との路上の関係も、おそらく一過性の関係でしかないでしょう。



「黒髪、似合っているね」


 私は内心体裁を立て直す気持ちで、彼女の新しい髪色を褒めました。するとまつりは呆れ顔が綻び笑みを浮かべて「ありがとうございます」と嬉しそうに反応しました。


 話を聞くに、まつりはその日午前中に髪を黒くし、一旦帰宅して制服に着替え午後から学校に通ったそうです。午後の授業で眠気に襲われている教室に、いきなり扉を開けて入ってきたのが登校拒否をしていたまつりだったものですから、クラスメイト達はさぞ驚いて眠気どころではなかったでしょう。


「皆ね、多分最後にわたしを見た姿って、金髪で派手な恰好だったと思うの。でも今日は黒髪ですっぴんで、制服も着崩さずちゃんと着ていたから、誰だかわからなかったと思うな」


 まつりは復学初日のことを実に愉快に語ります。


「わたし校舎に入ってから気がついたんだけど、わたしそういえば二年生になってから初めての登校だったの。何組かは新学期のときに家に連絡が来たから知っていたけど、教室の場所は知らなかったから、表札を見上げながら教室探しちゃった。で、教室に入ったら入ったでわたしの席の場所なんて知らなかったから、とりあえず適当に空いている席に座っちゃった。何も言われなかったから、多分あそこがわたしの席なんだと思う」


 こうしてまつりは、無事復学を果たした。


 まつりが登校拒否をやめたのですから、私と彼女の出会いには意味があったような気がしています。彼女は私から何かの影響を受け、人生の軌道修正を行えたのです。せっかくまた学校に通うようになったのですから、願わくはこのまま真っ当な人生を歩んでもらいたいと思いました。楽器職人として私に弟子入りするのではなく、中学校を卒業して高校に入学して人並みに青春して、大学に行ってまともな社会人として大人になってもらえれば、と私は密かに感じていました。



 何をもって順調なのかはさておき、復学してから毎日夕方いつも通り例のシャッターの隣、死んだ噴水の縁に腰を下ろしてまつりの話を聞く限り、彼女の学校生活は順調そのもののようでした。


 登校拒否をしている間、まつりは独学で学習はしていたそうです。別に勉強が嫌いになったから学校に行かなくなったわけではなく、むしろ母親の過剰な英才教育をこなせるほどの素質はあったものですから、彼女としては教科書を読めば大抵のことは理解できるらしい。よって不登校だったとしても学校の授業についていけないということはなかったようです。確かに教科によっては遅れているものもあったものの、逆に授業より自分の学習の方が進んでいた教科もあり、進んでいる教科の授業中に遅れている教科の自習をするという、真面目なのか不真面目なのかわからないことを、まつりは行っていた。


 休み時間などの授業時間外については、まつりは常に一人で過ごしているそうです。それは当然といえば当然のもので、彼女は一年生のときに金髪ギャルのスタイルで登校していたものですから、当時も復学後も腫れ物に触るような扱いを受けていたのです。ましてはクラス替えしてもう六月も半ばを過ぎている時期でもあり、教室内は既に仲良しグループの形成が終わっていたので、途中参加者が入り込む隙間など端からないのです。そういった事情により、まつりは教室の中で孤立していた。


 だがまつりはその孤独が苦ではなかった。彼女は以前、本を読んでいるときは孤独感から解放されると話しており、学校で一人になる時間で小説を読み続けていた。


 まつりは私に例のSF小説、伊藤計劃の『ハーモニー』を返却したのち、自分用として同じ小説を購入したそうです。その作品も新装されており、私が持っている真っ白な表紙の文庫本とは違い、まつりが買ったものは白を基調としつつも随分とキャッチーな様相を呈していた。学生鞄に忍ばせて、自身のバイブルとして持ち歩いているらしい。伊藤計劃作品を持ち歩いている女子中学生なんて聞いたことがないですが、彼女は授業の合間の短い休み時間中にお気に入りのシーンを読んでは、作中で描かれている思想に思いを馳せていました。


 昼休みなどの長い休み時間は、人気のない図書室に籠っているという。彼女はamazarashiの楽曲が好きであることを以前話していましたが、そのアーティストは太宰治の影響を受けているそうで、また宮沢賢治や寺山修司といった作家の影響も受けていることも新たにわかり、リスペクトするアーティストの原点を辿るように、図書室で書籍を漁り読み耽るようになったそうです。それ以外では、アーサー・C・クラークやフィリップ・K・ディックといった海外SFなども借りて挑戦しているそうです。


 そうして復学後のまつりは、勉学を順調にこなしつつ孤立して読書に励む学校生活を送っていました。そしてその姿を想像すると、私はどうしても例の白い表紙のSF小説に登場する人物と重ねてしまうのです。


 その小説に登場する、社会に馴染めなかった少女のうち、唯一自殺に成功した少女。作中において、「一番成績のいい問題児」や「教室で美しく孤立している」と描写される少女と、まつりの学校生活の様子がどうしても重なるのです。作中で孤独の持久力としては本が一番頑丈と主張していたのもその人物でした。


 加えてカリスマやイデオローグと評された作中の少女であるが、奇しくもまつりと出会った当初、自身の境遇からくる大人や社会への不平不満を曲にして歌っていた彼女の姿から、広義的なイデオロギーを私は感じたのです。そういった部分も含めて、まつりは作中の少女にどんどん近づいているのではないかと思えてなりませんでした。しかし私としては、それは中学生のまつりが拗らせた、中二病の症状の一環として映りました。創作物の登場人物になりきることなど誰もが青春時代に体験することだと思いますので、私は静かに彼女を見守りました。


「ママの束縛がなくなったことで、学校生活はすごく気楽なものになったの。でもここはやっぱりわたしの居場所じゃない。わたしみたいな悪い子が、いい子達に混ざってお勉強するのには無理があるの。だからわたしは一匹狼。それにいい子達と馴れ合うために学校に通っているんじゃなくて、将来の目標を達成するのに必要だから通っているだけ。わたしは師匠に感銘を受けて憧れた。普通の大人じゃない師匠が見ているもの感じているものを、わたしは近くで学びたい。近くにいるために、わたしは師匠の弟子になるの。そして師匠が示してくれた弟子入りの条件を満たすために、わたしは学校へ通う。わたしにとって学校は、弟子になるための関門、試練でしかないんです」


 復学後、まつりは自身の学校生活についてそう語った。


「いいと思うよ。学校は本来、目的があって通うべき場所だと私は考えている。なあなあに、なんとなく、そういうものだから、などといった自我もないただ流されて通うものではない。目的がなければ、たとえいい学校に通っても身につくものも身につかない」


 私は彼女が語ったことを肯定する。するとまつりは「やっぱり師匠って普通の価値観じゃないですね」と言い出しました。曰く「普通の大人は頭ごなしに、いいから黙って学校行け、って叱りつけますからね」ということのようです。そのことについて私たちは皮肉交じりに談笑したものです。


 そうして季節は進み夏が来ます。学生は夏休みの時期です。まつりは六月半ば過ぎに復学したため、たった一ヶ月程の学校生活となってしまいました。期末テストでは学年トップクラスの成績を叩きだした彼女ですが、しかし不登校期間のこともあって、終業式に配られた成績表の内容は散々でありました。私もこの歳になると学校の成績表なんてものを見る機会はないので、まつりが見せてくれた成績表はとても興味深かったです。



 そんなこんなで、まつりは再び時間があり余る生活に戻りました。せっかく時間があるのだからと、私はページ数が多くて彼女に貸すのを躊躇っていた小説を渡しました。


 その小説は、人間と見分けがつかないヒューマノイドロボットによって、人々の生活のほとんどが自動化された社会。ヒューマノイドに依存した日常において、少年と少女型機械のボーイミーツガールを描きつつも、「ヒト」と「モノ」との関係性を問いかけたSF作品です。


 こちらは文庫本の上下巻で合わせて千ページを超える大作であり、まつりに渡した際に「ちょっとした辞書みたい」と笑われましたが、彼女は健気に「読んでみます。時間はありますから」と言ってくれた。まつりの夏休みは始まったばかりでした。




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