第12話 まつりの決意
六月も半ばを過ぎ業界特有の繁忙期が落ち着いてきた頃、二月に制作した、まつりが画像を保存するほど感銘を受けた例のスチームパンク風テレキャスターは、ありがたいことに買い手が付きました。当初は別に商品としてではなく完全に趣味で作ったものであり売る気はなかったのですけど、相手は以前仕事を受けたことのある物好きな楽器コレクターで、おおよそ社会人のボーナスくらいの金額を提示してくれました。手の込んだアートギターがそのくらいの金額であるならばとくに異議はなかったので、そのまま商談は成立した。
そうして夏を前に懐が潤ったことに気分をよくした私は、いつも通りまつりと会って些細な立ち話として、詳しい商談内容は伏せながらスチームパンク風ギターが売れたことを話した。しかし彼女の反応は、私の想定外なものでありました。
「そういえば師匠。まだ返事を伺っていなかったんですけど」
「何の?」
「弟子入りのお返事」
私がこの一ヵ月間はぐらかし続けていたことを、まつりはついに指摘した。そういえば彼女が弟子入りを申し出たその日こそ、嬉々としてスチームパンクなアートギターの画像を見せてきたのであり、私はうっかりそのことを失念していました。弟子入りの件は覚えていたけど、アートギターの話をしたのが同日だったとは思わなかったです。
「なんだっけ、確か中学校に通ってなく時間はあるから、今から弟子入りできるとかだったかな」
私はまつりの申し出と、彼女自身の身の上話を思い出しながら呟く。その呟きに、まつりは真面目な表情で「はいッ」と溌剌とした気合の入った返事をし、弟子としての覚悟が見受けられました。
「断る」と私は即答しました。大人としては断る以外の選択肢はなかったのです。彼女はすぐさま「どうしてですか?」と半ば絶望したような落ち込んだ表情をして反応します。
「わたしがまだ中学二年生の子供だからですか?」
「そうだよ。仮に弟子入りだったり修行だったりしても、それは労働であることには変わりない。労働であるなら雇用契約を結ばなければならないけど、残念ながら労働基準法で中学生の雇用は違法となっている。だから駄目」
法律の話をすればさすがに諦めるだろうと、このとき私は考えていました。
ですが彼女はすぐさま「なら無給で。お給料が発生しないならお手伝いだから雇用しなくても――」と言い出したものですから、私は眉をひそめて「なめるな」と話を遮って一喝した。
「雇用主が従業員に支払う給料は、それは責任の対価よ。きちんとした報酬が発生しない仕事など責任が希薄になるし、ましては無給など責任の拠り所がない。君はそんな責任感のない状態で弟子入りしたいのか?」
厳しい言い方に、まつりは若干の怯えを見せたものの、すぐさま「失言、すみませんでした」と頭を下げて謝った。それはとても中学生とは思えない大人びた態度であり、彼女の強い律義さをまたしても痛感させられました。
「なら……」とまつりは続ける。
「わたしが十五歳になって働ける年齢になったら、弟子入りを認めてくれませんか」
労働基準法で中学生の雇用が禁じられているのなら、中学生でなくなればいい。短絡的ではあるものの、着眼点としてはよかったです。
しかし、それでも私の答えは変わりませんでした。
「駄目だ。ずぶの素人に道具を扱わせて怪我でもされたらたまったものではない。道具の扱い方を含めて教え込めばいいけど、あいにくこちらは仕事として稼がなければならない。時間に追われれば指導する余裕もなくなってしまう。そうなると弟子入りした意味がない」
私の言い分に、まつりは悔しさからなのか、ガーリーなスカートをギュッと握りしめていた。
その様子を見兼ねたわけではないですが、一応大人として、拒否するだけではなく確かな手段も提示する。
「もし本気でこの道を目指したいのなら、まずは専門学校にでも通って基礎を学んでくるといい。そういう楽器を扱う技術学科の学校があるから、そこで毎日真面目に勉強さえすれば、卒業する頃には素人ではなく半人前くらいにはなるでしょう」
「その、専門学校ってところは即戦力を育てるための学校ですよね。卒業しても一人前にはならないんですか?」
「ならないね。どの分野でもそうだけど、たかだか学校を卒業しただけで、その業界で何年何十年と第一線で活躍してきた猛者たちと対等になれるわけがない。積み重ねた経験が違い過ぎるからね。考えてみて、調理師の専門学校を卒業したばかりの新人が、現場叩きあげの一流シェフと同レベルになれるわけがない。どの分野の専門学校でも、学校は所詮スタートラインでしかないのよ」
このあたりのことはよく誤解されがちな部分でもあります。技術の世界では生涯勉強が基本なので、専門的な学校を卒業した程度ではたかが知れている。自己探求し切磋琢磨して、篩にかけられもがいて這い上がって、そうやって一握りの才能だけがその専門分野の前線で活躍できるのです。
この子は今、そういった世界に飛び込もうとしている。ならば私としても無責任なアドバイスをして彼女の人生を狂わせるわけにはいきません。やる気があるのであれば、それを活かすことができる最良の方法を教えるまでです。楽器の世界を目指すのはいいが、いきなり私のところに弟子入りするよりは、しっかりした教育機関で専門的なことを学んできた方が有益であります。
「最低限、専門学校は卒業する。ただ学校を卒業するだけでは井の中の蛙だから、卒業後何年かは楽器業界で働いて人脈と経験を積み重ねる。そこまでくれば晴れて弟子入りを認めよう。おそらく今からだと十年くらいはかかるだろうけどね」
私は弟子入りの条件を出したものの、果たしてここまで辿り着いたときに私への興味が残っているのかはなはだ疑問でありました。条件を満たす地点にまで到達したのであれば、そのまま独自の道を突き進んだ方がいいのでは、と私は自分で言っておきながら密かに思いました。
「専門学校はどうすれば通えるのですか?」
「専門学校はまず高校を卒業しなければならない。高校を卒業するには受験をして高校入試を突破しなければならない。そして高校入試に合格するには、中学校に通って勉強しなければならないな」
私がそこまで教えると、まつりは露骨に眉を寄せて不機嫌そうな表情となります。
「わたしに、学校に行けと、師匠は言うんですか」
その態度は、まるで私に失望しているかのようでした。
「師匠はわたしの話を聞いてくれて、わたしの知らないことをたくさん教えてくれて、他の大人の人とは全然違うと思っていたのに……。師匠も、普通の大人と同じことを言うのですね」
楽器の世界を志し、あまつさえそれで独立して個人で生計を立てている私は、おそらく世間一般的な会社勤めの大人とは価値観が違うのでしょう。ただし、ここで彼女が言っている普通の大人とは、そういった意味ではないことは私にだってわかります。
だから私は「普通なことを言ったつもりはない」と前置きしてから、まつりの言葉に反応します。
「別に学校に行きたくないなら行かなければいい。君には特殊な事情があったにしろ、学校へ通わない選択をしたのは君自身、それこそ君が望んでいた自由の結果よ。学校に通わないで生きていける術があるならそれを目指すのは自由だけど、けどそれに他者を巻き込むな」
私は一旦区切り、一度深く呼吸してから、はっきりと言い渡す。
「自分の目指す将来があって、そこに至るための方法を知ることができたのなら、あとはどうするべきなのかは自分で判断することよ。目指すために復学するのもよし、諦めて登校拒否を続けるのもよし。こういったことを決断し続けて生きていくのが、君が追い求めた自由ってものだよ」
少々厳しい言い方だっただろうか。まつりは俯いて黙り込んでしまった。
しかしこればかりは自分自身で決めていかなければならず、必然突き放すような言い方しかできません。そしてこの話をした以上、私は彼女の決断を聞き届けなければならない。最早立ち話で済ませる内容ではなくなってきたので、私は閉店した百貨店のシャッターの横、水が出なくなって久しいいつもの噴水の縁に座り込み、彼女の言葉を待つことにしました。
まつりはしばらく逡巡したのち、座り込む私の前に立つ。柏駅を照らす夕焼けが逆光となって彼女の表情は見えにくくなったものの、決意と覚悟を決めた凛々しい顔つきになっていることは見て取れました。さらにいえば、逆光が後光のように感じられ、彼女の決心が神秘的で尊いもののように錯覚した。
「師匠のお言葉、しかと受け止めました。わたし、また学校に通います。通って中学を卒業して、高校も卒業して、専門学校に入学して学んで、楽器業界で働いてから、改めて師匠に弟子入りを申し出ます」
まつりは確かな決断を表明した。そこには母親による絶対支配も、不憫な学校生活による抑圧も、ましては路上で歌っていたときの捨てられた猫のような孤独感もなく、明瞭な自由意志を感じ取りました。どのような決断結果にしろ、周りに流されることなく自分自身で選んだ価値のある決断だと思えました。
「そうかい。まあ頑張りな。また学校でつらいことがあったら、ここでこうして話を聞いてやることはできるからね。支えになれるかはわからないけど、話し相手として頼りにしてもいい」
私は逆光のまつりを見つめつつ、微笑みながら彼女の決断を受け止めました。
そうすると、まつりは急に申し訳なさそうに、言い出しづらそうに身体をソワソワさせ、数拍の間ののち躊躇いがちに言い出す。そのような様子だったものですから、私としても身構えて話を聞きます。
「その師匠……言いにくいのですが、お金を、貸していただけませんか? さすがに金髪のまま学校に行くことはできないので、黒染めしたいのです……」
何事かと思えばそんなことだったのか、と私は気を緩めて小さく吹き出しました。せっかくの決断なのだからそれを邪魔するのも野暮かと思い、私は財布を取り出すために鞄に手を伸ばそうとしたものの、寸前でやめました。
別に彼女のことを信用していないわけではない。ここでお金を渡しても、真面目で律義な彼女はきちんと髪を黒く染めてくるでしょう。けどお金は大事です。貴重なお金をおいそれと渡すのもどうかと思ったので、ここは一つ厳しくして彼女の意志を試すことにした。
「人様に金をせびるのに、見下ろす馬鹿がどこにいる」
噴水に座り込んでいる私はあえて不快感を示すように、目の前に立つまつりに言い放つ。するとまつりはハッとした表情を見せたのち、「失礼しました」と慌てた様子で言いながら、素早い動作で正座した。ここは柏の路上で、駅前と繁華街から少しだけ離れてはいるものの、人通りが皆無なわけではありません。金髪ではあるものの幼気な少女が路上に正座している姿はあまりにも酷であります。しかも可愛らしいスカートを穿いているまつりは膝から下は剥き出し状態になっていて、硬い地面に正座している様子は実に痛々しかった。というより事実痛そうでした。
「そこまでする必要はない」と、むしろ私の方が慌てて正座をやめさせようとするも、変に真面目な彼女は鋭い表情のまま頑なに正座をやめようとしなかったので、「正座をやめなさい。二度は言わない」と強めに咎めることでようやく正座をやめてくれました。まつりはお尻と膝を浮かせてしゃがみ込む姿勢に変えた。膝から下が少し赤くなっていて、私は申し訳ない気持ちになりました。
私は気を取り直して彼女を見つめます。
「別に信用していないわけではないけど、金を渡して別のことに使い込まれるのも嫌だから、今ここで、行きつけの美容室かなんかに電話して、髪を黒く染める予約でも取りなさい。そこまですれば、施術代全額出してあげる」
私がそう言うやいなや、まつりはスマホを取り出して立ち上がり、私に背を向けてどこかに電話し始めました。数分話したのち電話を切り、スマホをしまいながら再び私に向き直ります。
「今予約取りました。たまたま明日空いていたので明日髪を黒くしてきます」
そう朗らかに報告するまつりであったが、私はむしろ彼女の行動力というか決断力の方が驚きを禁じ得なかったです。先程硬い路上に正座したことといい、この子には躊躇いというものがないのだろうか。
しかしこれはとても大きな利点でもあります。まつりという少女には真面目さと律義さがあり、確かな教養による思慮深さと礼儀正しさもあり、加えてこの躊躇いのない決断力です。本当に、このまま路上で朽ちさせるにはもったいない逸材であることを、私は身に染みて実感しました。きっとまつりは、楽器の世界に限らずどんな分野の世界でも通用するだけの素質を持ち合わせているのでしょう。
私は「いいでしょう」と言いながら財布を取り出し、中に入っていた一万円札を差し出した。まつりは膝をついて両手で紙幣を受け取り、「ありがとうございます」と深々と一礼した。
この子は最初お金を貸してほしいと申し出たが、しかし私としてはほぼあげるつもりで一万円を出しました。返ってくることが期待できないというわけではなく、彼女の才能に鑑みて払う価値があると、そう私が判断したからです。彼女の中にある潜在的な素質が開花する可能性があるのであれば、一万円くらい安いものだと感じました。
「師匠。次会うときは、私の髪は黒くなってますからね」
屈託のない笑顔で話すまつりに、私は「ええ。期待してる」と短く返しました。
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