第11話 サイエンス・フィクション(2)




 まつりは興味津々といった様子でお願いしてきます。私としては貸したくない理由もとくにないので、素直にいい返事をしました。


 果たして何を読ませようか、と少し悩みました。私は読書をしていく中でSFの魅力に気がつくことができたので、家にある蔵書にはSF作品が多い。だがいきなり海外の古典SFやハードSFを読ませるのはハードルが高いでしょう。



 SFは難しい。一般的にはそのようなイメージがあると思います。しかしそれはひとえに、いきなり難しい作品に手を出してしまうからだと私は考えています。SFの名作と呼ばれるものは、あくまでコアなSFファンが気に入ったものでしかなく、名作だからといって万人受けするとは限らないのです。古典SFやハードSFなどは、SFジャンルにとっての近代文学や純文学のようなものであり、初心者はもっと気楽に楽しめる作品から入っていった方が無難かと思っています。


 そういった考えから古典でもハードでもない作品、エンターテインメントとしての物語性と、人生のうちに一度は真剣に考えなければならないようなメッセージ性の強い作品といった、ライトな読みやすさとSFとしての読み応えを兼ね備えた最近のSFから、かつ女の子であるまつりが身近に感じられるよう、主要登場人物に少女が出てくる作品を厳選した。



 一例をあげると、並行世界が科学的に実証された未来で、遠く離れた並行世界から転移してきた女子に話しかけられるという作品。主人公にとってはただのクラスメイトだが、向こうではその子と恋人関係となっており、果たして並行世界の自分は自分と同じ人間なのか、恋人が自分ではない別の自分と関係を持つことについてどう思うのか、などといった可能性の捉え方を問うたヒューマンドラマなSF作品とか。こちらは二巻ワンセットの作品なので二冊貸し与えた。


 はたまた、氷河期を迎えて人類がコールドスリープするようになった未来で、人が再び目覚めるまでの間の維持管理をする少女型アンドロイドたちの話。時が経つにつれ物資が枯渇していき仲間や自分を犠牲にしながら眠る人間を守っていたものの、あるとき、身を粉にしてまで延命させるほど人類に価値はあるのだろうか、といった疑問に行き当たり、果たして機械であるアンドロイドに人間は必要なのかといった問いを投げるライトノベルとか。



 SFの面白いところは、娯楽でありながら本質的なテーマがとても考えさせられるところにあると感じています。SFと哲学は相性がいい。個人的にSFとは一種の思考実験だと考えています。私たちが暮らす現実に「もし○○が××ならば~」と仮定を与え、その仮定から原理や影響を考察し、最終的な結論として物語の中で答えを提示する。そうした科学によって激変した世界に思いを馳せることで、人としての在り方を見つめ直すといった楽しみ方を見出すことができるのです。


 哲学というと小難しい印象を抱きますが、そこまで高尚なものでなくとも、現代に通じる皮肉の効いた風刺、という捉え方をすれば身近な存在として受け入れやすいかと思います。最初に貸した小説だって、物語を通して健康とは、幸福とは、意識とは、進化とは、個人とは、社会とはなどといった哲学的で風刺的なものを、現代を生きる我々読者に痛烈に投げかけているように捉えられます。



「師匠ってどこか斜に構えている感じがして普通の大人の人とは違うように思えてましたけど、それって師匠が考えさせられるSF小説を好んで読んでいるからなんですね。師匠のお仕事とか、師匠の作るギターとかも、そういった思想が取り入れられているような気がします」


「そう……かな? 自分としてはとくに意識していないけど、でも、確かに仕事とか自作楽器の制作とかは、一つひとつの作業に真理や探究心といったものを追求しているような気がする」


 私としては自分の仕事とSF好きは全く繋がっていないものだと認識していたので、こうして彼女に指摘されるとなんだか妙な気分になりました。趣味が仕事に影響を与えているのでしょうか。まつりは「やっぱり師匠は師匠ですね」と反応するも、それは思索的な目的をもって仕事していることがすごいと言いたいのだろうと解釈しました。



 ともかく、物事に疑問や思想を抱き考えるのは大切です。



 その後も私はまつりにSF小説を貸しました。たとえば、記憶が保てなくなり外部記憶装置に頼るようになった人類のお話で、果たして人格や魂といったものが宿るのは肉体かそれとも記憶か、ということをブラックジョーク的に描いたパニックSFとか。はたまた文明が衰退した世界を彷徨う旅人が、訪れる土地の変わった風習をエキゾチックに読み解くロードムービー的な終末SFとか。


 こうしたSF小説を読み、作中のテーマが投げかける問いに思いを馳せることで、まつりも今自分が生きている現実を見つめ直すようになりました。漠然とした現実をただ盲目に受け入れるのではなく、現実の物事に何かしらの意味を見出そうという姿勢が見受けられました。たとえ些細なことであっても自分の意見を持って意味深に捉えるようになったのです。


 たとえば、日々のニュースで報道されたことに関して、まつりはSF的な哲学で語るようになりました。そこには読んだSF小説から引用した言葉が用いられることもあり、とくに原点である例の白い表紙のSF小説からの引用が多いような気がしました。したり顔で語るまつりですが、しかしそれは所詮受け売りでしかなく、どうしようもなく浅さが見えてしまうのです。ニュースを見て「善」について語るも、それは小説の中で語られていることと全く同じでした。



 さて、まつりの年頃のこうした傾向について、適切に表現できる言葉があります。それは「中二病」です。ネットスラングであり、提唱されたときと時間が経過した現代とでは、その意味合いが微妙に変化してしまっているが、しかし大まかな定義としては「多感な思春期で考え方を拗らせてしまった痛々しい子」ということになります。そしてその意味で言うならば、まつりはSF小説で見事中二病を発症させてしまった。


 十三歳、中学二年生という年頃の女の子が、妙に意識が高いことを不意に言い出す。私は彼女にSF小説を読ませたのは失敗だったのではなかろうかと、若干後悔しました。


 しかし一方で、中二病を患ったことによって、彼女が路上で歌っている曲の歌詞が洗練されていきました。ただただ稚拙に思いを叫ぶのではなく、感情を見つめ直し思慮することで伝えるべき思いを鋭利に研ぎ澄ませ、メッセージ性を強めている。物事の影響によって得た自分の意思をアウトプットする術を身に着けつつありました。まだ改善の余地はあるものの、成長という傾向としては、中二病であったとしてももしかしたらプラスに作用しているのかもしれません。


 まつりと出会ってから二ヵ月が過ぎ、もう六月も半ばになろうとしていました。相変わらず彼女は金髪で登校拒否しているものの、音楽を聴き、演奏技術を磨き、小説を読み、そして感情をかたちにするといった、確かな成長が見受けられた。

 彼女は彼女で、意志を示して得た自由から確かな何かを見出そうとしていました。




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