二章
第10話 サイエンス・フィクション(1)
まつりが泣き止んでから、彼女を私の自宅まで招いた。柏駅から徒歩圏内にあるくたびれた感じがする賃貸マンションで、単身者にはちょうどいい物件です。
「そこで待ってて。すぐ取ってくる」
私はまつりをエントランス前に残そうとすると、彼女は「中に入れてくれないんですか?」と不満げに文句を言ってきました。
「未成年の女の子を部屋に上げたら誘拐になる。君は誘拐犯を仕立て上げたいのか?」
「師匠になら誘拐されてもいいですよ」
まつりはそんなことを言い出すので、私は「バカなこと言うな」と一蹴してマンションの中に入っていきました。
まつりを自宅前まで連れてきたのは、彼女に渡したいものがあったから。彼女の話を聞いたことにより、彼女にふさわしい小説を連想させたので、その書籍を貸し与えようと思ったからです。この小説を読むことによって、まつり自身何かプラスに作用するものがあるのではと、衝動的に思えたのです。
自室に入って明かりをつけてから、本棚から目的の書籍だけを取って踵を返しました。そうして一階まで降りエントランスに戻ると、まつりはマンションの玄関と歩道との間の段差に座り込んで夜空を見上げていた。
「お待たせ」と声をかけると、まつりは立ち上がってこちらを振り返る。私は早速「この本を是非読んでみて」と言って、真っ白な表紙が特徴の文庫本を差し出した。
「……『ハーモニー』?」
まつりは受け取った文庫本を一瞥し、不思議そうに本のタイトルを読み上げました。渡した書籍は伊藤計劃という作家が書いたSF小説でした。
この小説を渡した意図がつかめないのか、まつりは「どういったお話なんですか?」と尋ねたので、私は簡潔に作品のことを語った。
この小説はユートピアの臨界点と評された作品で、究極のユートピアを目指したら絶対的なディストピアとなってしまった未来の話です。
医療の劇的な発展により病気というものがなくなり、人々は模範となる健康体を維持している近未来。身体は個人のものではなく公共性のある社会的リソースとして、皆が皆他者を慈しみ思いやりによる社会を築き、美しい調和に満ちた、まさに絵に描いたような健康で健全な幸福世界。
しかしそんな世界に馴染むことができなかった少女たちがいた。身体の状態を常時監視されて痩せる自由も太る自由さえもなくなり皆同じ体型の不気味さを、そして自分たちの身体のプライベートな部分までもが数値化され他者に管理されることを、思春期で多感な時期の少女たちは嫌悪感を抱いていた。誰彼構わず聖人君子のような優しさと思いやりで縛り付ける同調圧力な社会に息苦しさを感じていた。
それはまるで、健康と博愛によって個人という感覚が希薄になりそれを幸福とした世界のようであった。
そうして少女たちは、この身体はわたし自身のもの、として、自ら身体を殺めることで意志を示し、仮初の幸福な社会に反抗しようとした。だが実際に自殺に成功したのは一人だけだった。
主人公は自殺に失敗した少女で、物語は彼女が成長して大人として生きるなかで世界的な大事件が勃発するも、その事件の背景には死んだはずの親友の面影が見え隠れするという、サスペンス的な内容となっている。この作品は日本SF大賞などの様々な賞で受賞した、国内SFにおいて有数の傑作である。
私はこの作品に登場する、社会に溶け込めずもがき苦しむ少女たちの姿が、家庭に支配されて抑圧された学校生活を強いられたまつりと重なったのです。「この身体はわたし自身のもの」と宣言するために自殺を選んだ少女たちと、「わたしがわたしであるために」と自己と自由を求めたまつりの姿は、たとえ置かれた世界が違くとも、フィクションと現実という違いがあったとしても、とてもよく似通っているように思えました。
「……文字ばっかり」
まつりは真っ白な表紙の文庫本をペラペラと捲って眺め、不満を漏らすように呟く。文字ばかりなのは当然といえば当然です。何せ小説という文字によって構成されている媒体なのですから。
しかしまつりのそういった反応は予測できました。だから私はもう四冊書籍を差し出した。
「この小説は漫画化されているんだ。こっちなら読書に不慣れでも読みやすいでしょ」
彼女は適当に捲っていた文庫本を閉じ、差し出された漫画の単行本を受け取ってから、同様にページを捲る。何ページか目を通したところで「これなら読めそう」とまつりは微笑みました。
「まあ、わからない言葉が出てきたらその都度スマホで調べてゆっくり読みな」と私が促すと、「うん、わかりました。時間はいくらでもあるしね」と答え、貸し与えた五冊の書籍を大事そうに抱えた。その日は柏駅前まで彼女を送って帰宅させました。
翌日、いつもの夕方、いつものシャッター前にて、まつりは路上ライブをせずしゃがみ込んで本を読んでいました。ギグケースすらないところを見ると、演奏するつもりがそもそもないようでした。
「師匠。これありがとう」
開口一番まつりは礼を言い、四冊の書籍を差し出す。昨日貸したSF漫画でした。話を聞くに、漫画の方は昨日今日で全部読んでしまったようです。
「あのね、この物語に、わたしがいた」
そう語るまつりは、やはりというべきか、自身と作中の少女を重ね合わせていた。
「物語に登場する女の子たちとは全然違う境遇だけど、でも、その境遇に馴染めずやり場のない気持ちを自分の内側に溜め込んでいくしかない様子は、まさにわたしと同じだった」
そうして強い共感を覚え作品の虜となったようで、彼女は原作小説の方も読み始めていた。私がここに来るまでの間、駅前の路上でも小説を読んでいたらしく、開いているページはまだまだ序盤ではあるものの、確かにページは進んでいるように見受けられました。
「漫画はもういいの? しばらく借りてていいよ」と私が言うと、まつりは手首にかけていた本屋の袋を持ち上げて「実は今日本屋さんで探して買っちゃいました」とはにかむものなので、その熱中具合は火を見るよりも明らかでした。
伊藤計劃作品は比較的読みやすい部類に入るSFですが、しかし年端もいかない女の子が読むにはやはり難しいようで、彼女はゆっくり時間をかけて丁寧に読み進めていきました。それでも、まつりは登校拒否をしていて時間は膨大にあったためか、SF小説を一週間で読破してしまいました。
まつりは作中の文章を引用して自分の話をする。健全で平和で美しくなっていく社会において、その善意がとどまることなく過剰に拡大していくことに対しての嘆きであるかのような一文に、自分自身を重ねる。
「わたしのママはね、きっと完璧を目指し過ぎてエスカレートしちゃったんだと思う。わたしをいい子にいい子に育てようとして、親としての善意でわたしに尽くしてくれていたけど、その善意が暴走しちゃった。この小説だって、度が過ぎず適度な博愛であれば、女の子たちももう少し社会に馴染めたと思うの。わたしもそう。ママの教育が適度なものであれば、きっとわたしは今でもいい子でいられた。ママが病んで自殺することもなかったんだ」
続けて、作品のことを「真綿で首をしめる。やさしさに息詰まる」と表し、「わたしはママの存在に息詰まっていた」と語る。
「わたし思ったんだ。わたしは自由に友達が作りたくて反発した。でも本当のところはママの支配から逃れたかっただけで、実は友達とかあんまり関係なかったのかも。自由な友達って言うのは、多分ただの方便。ママから解放されるためなら何でもよかったのかもね」
「随分と寂しいことを言うんだね」
「だって、本を読んでいるときは孤独感から解放されたんだもん。学校でも真の友達を求めて、学校行かなくなってからも人を求めて路上でライブしていたけど、本を読んでいる間はそういった欲とは無縁だったの」
そういえば作中で、孤独の持久力としては本が一番頑丈、といったことが書かれていたような気がします。
「ねえ師匠。もしよかったら、師匠の本貸してくれませんか? 師匠がどんな小説を読んで影響を受けているのか、わたしも知りたい」
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