第9話 まつりの事情(3)
「というと?」
「自分のパフォーマンスで通行人の足を止めて、知らない人に注目される。生まれも育ちも関係ない。自分が自分であることを思いっきり主張して、それを皆に認めさせる。わたしもあんな風に自由に歌って、わたしの自由を受け止めてくれて、そうすればわたしは晴れてわたしになれるような気がしたの」
親の管理下にあり束縛されていたからこその、自我と自由への強い欲求。私はまつりの話を聞いてそう感じました。
そうして彼女も路上でパフォーマンスしたいがために努力した。パフォーマンスするのであれば楽器が演奏できなければならないと考え、まつりはギターを始めた。子供のお金で買えるような、リサイクルショップで投げ売りされていた格安のアコースティックギターを買ってきて、毎日自分なりに練習に励む。
楽器を演奏するならば、音楽について知らなければならない。まつりは手始めに自分が心から好きだと思える音楽に出会うため、ネットで様々な音楽に触れた。そこには、流行りものだからといって話題を合わせるためだけにアイドルソングやKポップを聴いていた彼女の姿はありませんでした。そうして広大なネットの海の中で音楽に潜り込んでいた最中に出会ったのが、のちにファンだと公言するようになった例のアーティストでした。
「最初は確か、何かの広告として動画が流れたの。普段なら広告とか飛ばすのに、そのときだけ飛ばせなかった。短い動画の中で、人の心に突き刺さるような強い歌詞が耳から離れなかったの。こんなにも、人の在り方を問うような歌を力強く歌えるアーティストに巡り合っていなかったから、ただただ衝撃的だった」
そう言ってから、彼女はスマートフォンの画面を見せてきた。例のアーティスト、amazarashiの楽曲が停止状態で表示されていました。
「そのあと、その人の曲を漁っているうちに見つけたの。この曲はね、歌詞の中で『ねえママ』って問いかけるの。ママの言う意見を真に受けていたけど、でもそれに問いを投げる歌。この曲に出てくるママはとても独善で歪んでいて、おかしなことを言っていると感じたの。その歌詞がまた、わたしのママみたいに思えて、わたしの代わりにママを否定してくれているように思えて、とても心に刺さったんだ。きっと曲の解釈としては間違っているのかもしれないけど、でも普通じゃない人生を過ごしているわたしにとって、特別な意味を持つ曲であることに変わりなかったの」
続けて他の曲名を言い、「この曲は寂しさのある歌だけど、でもこれは人生の賛歌で、不器用なわたしを肯定しているように思えたの」「こっちは疾走感がある曲だけど、でも個性とか孤独とかを鋭く歌っていて、まさにわたしのことがそのまま曲になっているみたいだったの」と言い、そして付け足すように「わたしもこんな風に歌いたいと思った」と彼女は言いました。
それらの言葉を聞いて、私はある種得心するものがありました。というより、このまつりという少女の人物像がはっきりと見えてきたのです。
彼女は路上で、親とか先生とかの大人に対する反発だったり、学校などの集団における無個性を揶揄するものだったりする、普遍的な不平不満を拙く叫んでいた。最初それらは、若い子が抱いていそうなよくある憤りの塊だという印象でしかありませんでした。しかしこうしてまつりの話を聞いてからは、その印象は反転しました。
彼女が歌っていたのは、彼女の人生そのものだったのです。
彼女が十三年間の人生で体験した波乱万丈を歌にしていただけで、惜しいことに表現が稚拙過ぎて聴き手に全く伝わっていなかったというだけのことでした。
そのことに気がついた私は、思わず泣きそうになりました。三十何年も平和に暮らしてきた私のような女よりも、十三年生きてきた彼女の方が濃い人生を送っていて、今もなお生き生きと脈動し続けている。その事実に、私は自分自身の情けなさと彼女に対する敬意を感じ取りました。
先程、私は彼女の人生のことを最初から間違えていたと言いましたが、それは訂正しなければなりません。彼女の人生には無駄なことなど一片もないのですから。つらく厳しい人生であったけど、それらは今を生きる原動力となっているのですから。それまでがあったからこそ、今の彼女がいる。自分が自分であることを渇望できるようになったのです。おそらくまつりの同年代で彼女のように意志を持って己を貫き通せる強さを持つ子はいないでしょう。まつりだからこそ獲得できた強さでした。
まつりの真面目で律義な性格と、潜在的な教養の高さ、そして意志の強さは、ある意味では母親の教育の賜物かもしれない。方法は間違えていたかもしれないが、ものとしてしっかり身についているものも確かにありました。
まつりという少女の見方が、このとき変わりました。
「実際にこの春から路上ライブをするようになって、現実の厳しさを目の当たりにした。誰もわたしの歌で立ち止まってくれなかったの。誰も見向きもしてくれなかった。実はね、師匠が初めてだったの。足を止めて聴いてくれたのも、話しかけてくれたのも、ライブのお駄賃をくれたのも、師匠だけだった。誰も反応してくれなくて心が折れそうだったときに、師匠だけが反応してくれたの。それだけでも、わたし、師匠と出会えてよかったと思っているんだ」
「でも、あれは不快で見ていられなかったから助け船を出しただけだ。人の帰り道で雑音を垂れ流されては困るからな」
まつりは膨れっ面で「酷い言い方」と不満を露わにするも、「でも下手くそだったから声かけてくれたんだね。少しでも上達していたら、こうして師匠とお話できてなかったかも」とポジティブな解釈をした。
「師匠。話を聞いてくれてありがとう」
彼女は、まるでこの世に悔いがないとでも言いたそうな、浄化された笑みを浮かべていました。実に満足そうではありましたが、この子は自分の事情を話すことになったきっかけを、話している間に忘れてしまったのではないかと心配になりました。それくらいに、彼女の表情からは憑き物が払われていました。
まつりの感謝の言葉に、私はどう返せばいいのかわかりませんでした。わからなかったからこそ、言葉で返すのは野暮なように思えました。
私はスッと手を伸ばし、まつりの頭に乗せた。
「君はよく頑張ったね」
そうして一言だけ言って、私はまつりの頭を撫でました。ただ、彼女のことを直視することができず、隣に座っているまつりを撫でながら、私は真正面を見続けることしかできませんでした。相変わらず柏駅前は忙しない。日も完全に沈んでいて空には夜の帳が下りていました。
途端、隣から鼻をすする音が聞こえました。反射的に見やると、まつりは頭を撫でられながら嗚咽を漏らして号泣していました。
「どうした!? 頭撫でられるのが泣くほど嫌だったの?」
私はたまらず尋ねると、まつりは膝に顔を埋めて泣き顔を隠しながら、器用に頭を振った。
「違うの……。今まで、誰かに頭を撫でられたことなんてなかったから。こんなにも暖かくて、こんなにも気持ちがいいものだなんて知らなくて、師匠に撫でられたことでわたしの中にあるものが、溢れ出てきて、止まらないの……」
頭を撫でられたことがない子供なんているのだろうかと疑問に思いましたが、話に聞く母親ならあり得るかもしれないと、妙に納得させられました。
「そうかい。こんなのでいいのなら、気が済むまで撫でてあげるよ」
私は少しぶっきらぼうに言いながら、まつりが泣き止むまで彼女の頭を撫で続けました。
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