第14話 少女の家族(1)




 私はまつりから、楽器職人を目指すのに今からできることはないか、といったことを聞かれたので、現役の職人として「毎日楽器に触れること」と答えました。触れてさえいれば楽器についておのずと気がつくことがあるはずなので、まだ中学生の彼女にはそれで充分だと思ったからです。またエレキギターのような弦楽器は弦振動とか電気配線といった物理分野が関わってきますし、製作するにあたりミリ単位のずれも許されない正確な図面を書く必要があるので、理数科目に強いと後々都合がよくなることも伝えた。ただ元々頭のいい子なので、勉学については全く心配などしていませんでした。


 そうしてまつりは夏休みの間、受験を視野に入れた学校の勉強と、私から借りたSF小説の読書。ギターの演奏の練習や自宅でできる独学ボイストレーニング、そして路上で披露するための曲作りといった毎日に終始していました。


 とくに休む理由がないから休まないとして、お盆も平常通り仕事をした私としては、夏休みというものが縁遠いものでしかなく、実際に八月が終わり九月になって柏の街に制服姿の学生が再び溢れるようになってから、「もうそういう時期なのか」と鈍感な感慨に耽っていました。毎日夕方に会っていたまつりも、夏の私服から学校の夏服にいつの間にか変わっており、黒髪制服姿のまま柏駅前で路上ライブを行っていました。


 まつりに貸していた書籍を返してもらい感想を語り合ったり、彼女の幾分ましになった新曲を路上で聴いたりして毎日の夕方を過ごした。そうした九月の穏やかな日常を過ごしているとき、私は不意打ちのような、予想外の出来事に遭遇することとなったのです。


 いや、それは本来予想してしかるべきことだったのかもしれません。よく考えてみれば、いえよく考えなくても、そういう事態は起こり得るべきでした。



「すみません。よろしいですか」



 一日の仕事を終えた私は電車に乗り柏駅で降車し、改札を通過したまさにそのタイミングで、知らない男性に声をかけられたのです。その男は一見すると、私より十歳ほど年上のように感じられました。仕立てのよいスーツをしっかり着こなし、髪もビジネスマンとして丁寧に整えられていたものですから、とてもお堅い仕事をされているような印象を抱きました。毎日好きなことをしてお金を稼ぎ、仕事でスーツを着る機会など滅多にない私とは正反対です。


「えっと、どちら様ですか?」


 私は訝しみながら誰何しました。当然このような人物は私の知り合いにはいません。


 しかし男性の答えに、私は驚愕を禁じ得ませんでした。


「あの子の父親です」


 一瞬、私の思考は止まりました。なにせ思い当たるところがあったのですから。「あの子」とは、どう考えてもまつり以外にいません。


 彼女の父親と名乗る人物が私に何の用なのか。常識的に考えれば中学生の娘とどういった関係なのかを詰問しに来たのだろうと思いましたが、しかしある部分で腑に落ちないものもありました。


 これまで、まつりから父親の話など一度も聞いたことがないのです。


 彼女は母親から過度な英才教育を受けさせられていて、また学校での友人関係を徹底して管理されていました。それによってまつりの抑圧された感情が爆発し、金髪にして結果的に母親を殴り、最終的には家庭崩壊ののち母親は病んで自殺してしまったのです。この話をまつり本人から聞かされた際、父親が一切登場しなかったことに、私は疑念すら抱きませんでした。父親の存在を忘れてしまうほどに、彼女の境遇が衝撃的だったのです。


 しかし、ならばこそ、この男は妻と娘が大変なときに一体何をしていたのだろうか。そして娘と良好な関係を築いているならば、私が彼女と出会ってからの半年間をなぜ見て見ぬふりをして、なぜ半年経過した時期にこうして私を咎めに来たのか。深く考えてみると不自然な点がいくつもありました。


「……どういったご用件で?」


 もしかしたら白々しさが滲み出ていたかもしれない。それでも私はこの男を警戒し、出方を窺っていました。


「あの子について、お話があります」


 まつりの父親はまるでロボットのように無表情を貫いていたものですから、私の警戒の態度をどう捉えたのかまるでわかりませんでした。


 ですが、この男が「あの子の話」と持ち掛けてきた以上、くだんの「あの子」と関わりがある私は、彼と話をしなければならないと感じました。どう足掻いても逃げ道などないように思えたからです。


 男の後を追うように柏駅を出て、一軒のカフェに入店しました。駅を出ればもうお店が視界に入るくらいの近場のチェーン店で、まつりの父親としてもとくにこだわりがあって店を選んだわけではなく、ただ単に近くでゆっくり話ができそうな店がそこだったから入ったように見受けられました。


 実のところ、私はカフェとか喫茶店などといったお店に入ることは滅多にありません。コーヒーは飲みますが、しかしそれは脳の栄養としての糖分と、覚醒効果をもたらすカフェインの摂取が目的で、すなわち私にとってコーヒーは栄養補給でしかないのです。そのため缶コーヒーでことが足り、わざわざお店に入ってこだわりのコーヒーを飲む必然性が感じられないのです。こうして連れられて入店し、とりあえず目に入ったメニューを注文して飲んでみても、味の違いはあれどコーヒーのよさは全くもってわかりませんでした。



「それで、あの子の話というのは、どういったものですか?」


 大人二人、男女で一つのテーブルを囲んでいるこの状況。私としては一刻も早くこの居心地の悪い状況を脱したかったので、よくわからないコーヒーを一口飲んだのち本題を促しました。


「あの子とはどういった関係で」とまつりの父親は尋ねるので、私は「ただの路上ライブの観客です」と端的に答えた。どうもこの男は機械のように効率的に話すものですから、私もつられて冷徹な話し方となってしまいます。私の答えに何を察したのかは、男が無表情だったものなので窺い知れませんが、「そうですか」と抑揚のない反応をするだけでした。


「あの子から、私のことについて何か伺っていませんか?」


 まつりの父親はそう尋ねるものですから、私としては「いえ、とくには」と答えるしかありません。男は「そうですか」と溜め息交じりに呟くので、私は「こういった話をされるということは、何か知られてはいけない事情でもあるのですか」と意地悪く攻めてみました。事情が呑み込めない以上、私はこの男から情報を引き出すほかないのです。そして私が不利になるような状況は回避せねばなりません。


 男は「お話しづらいことですが……」と躊躇いがちに前置きしてから、ゆっくりと、そして短く告げました。



「私はあの子と血の繋がりはないのです」



 その事実を聞かされてもとくに感じるものはありませんでした。別に珍しい話でもないと思います。結婚する相手に連れ子がいたり、養子縁組や里親だったりすれば、血の繋がっていない親子の関係はできあがるのですから。血が繋がっていないからどうなのか、などといったことは、親族でもない赤の他人の私には関係がないのです。彼女は彼女、ただそれだけです。一応一般的な可能性として「再婚か何かで?」と反応しておくことにしました。


 しかし、男も相当話しにくいことなのか、少し間をおいてから「違います」と答え、「あの子は私と妻が結婚してから生まれた子です」と話しました。ならば何がそんなに言いにくいことなのか、と瞬間的に思いましたが、すぐさま話の違和感に気付きました。結婚してから生まれた子が実は血が繋がっていないとは、普通ならあり得ないのですから。


「……奥さんの浮気ですか」と、今度は私が躊躇いがちに尋ね、目の前の男も「浮気ということならば、浮気なのでしょう」と要領を得ない答え方をしました。


「私が妻と交際しているときに妻が妊娠しまして、それで籍を入れたのですが、どうやら妊娠した子は私ではない別の男の子供だったようです」


 私は話を聞きながらコーヒーを一口飲もうとしてカップに手を伸ばすも、伸ばした手は途中で止まってしまいました。


「それは……つまりは托卵ということですか」


 私は言ってから「人に対して托卵という言葉が適切なのかはわかりませんが」と付け加えました。男も「いえ、その通りです」ととくに気にした様子もありませんでした。


 まつりの母親自身が父親となる男性を誤認していたのか、はたまた最初から浮気を隠蔽して騙し通すつもりで黙っていたのかは、当人ではないのでようとしてその真意は知れません。ただ私の目の前にいるこの男性は、身なりからエリート社会人であると察することができるので、もしかしたらこの男性の経済力に寄生しようとしたのでは、と無関係な立場である私はそう想像しました。


 鳥が違う鳥の巣に自分の卵を忍ばせ、子育てを委託する行為。そういったカッコウなどに見受けられる鳥類の習性を、まさか人間が行っているという事実に驚きを隠せないものの、しかしその背景は決して推察することができないわけではありませんでした。


「生まれてから数年は疑いすらありませんでした」と語る男に「それはそうですよ」と私は表面上同情しました。普通に生活していれば血の繋がりに疑念を抱きませんから。


 曰く、まつりが幼いときに血液型を調べた際、この男からでは生まれるはずのない血液型をしていたそうです。その後家族を言いくるめて騙し密かにDNA鑑定をしたところ、まつりとの親子関係が認められなかったとのことです。


「……それで、親子ではないとわかってから、どうなさったのですか?」


 親子ではないことが証明されても、現にこの男はまつりの父親を名乗っている。親子としての関係は途切れていない様子でした。


「私は妻を信じました。私は心から妻を愛しています。たとえ不義理なことがあったとしても何かの間違いだったとして、この事実をうちに秘めました。この事実を知ってから、私は家族に血液型をはじめとする話は一切しませんでした。私には妻さえいればそれでよかったのです」


 男は一度コーヒーを口に含み喉を潤わせてから続きを話した。


「でもあの子に対しての愛情は違いました。妻の子であることは確かなので愛情が全くないわけではありません。ですが半分は私の知らない男の血が流れていて、自分の血が流れていない事実を常に意識してしまい、それまで注いでいた愛情が半減してしまったのです。そこからはあの子と距離をとるようになりました。恥ずかしながら、ここ何年もまともに会話したことはありません。ただの同居人としての扱いです」


 頭では話を理解することはできますが、しかし三十代独身である私がこの話を感情的に理解することは不可能でした。事実関係としてはわからなくもないですが、感情が追いつきません。




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